日本では東京タワーが有形文化財に登録されそうで、昭和レトロも一過性のブームにとどまらず文化遺産としての地位を確立しつつある今日この頃。シンガポールでも"携帯もテレビもパソコンもなかったのに、どうしてあんなに楽しかったのだろう。(Always三丁目の夕日)"と、60年代に郷愁を感じる人が増えているように思います。シンガポールの「原風景」は、植民地時代に政府機関や高級住宅として使用された西洋風建築や、戦前まで一般的な庶民の住まいだったショップハウス(長屋)だと言われていました(奥村みさ『文化資本としてのエスニシティ-シンガポールにおける文化的アイデンティティの模索』2009)。しかし今、巷で熱狂的な支持を集めているのは60年代のシンガポールに対するノスタルジアのようなのです。
映画が上演される国立博物館で開場を待つ観客。 中華系の若者の姿が目立つ。 |
"Old Romances"は、アコースティックなBGMに乗せ、街角に隠れた古き良きシンガポールを映し出し、顔の見えない電話越しの声が、時に寂しげに、時に愉快に、その場所にまつわる個人的な想い出を語るというドキュメンタリー映画です。カセットテープを売る音楽屋、金物屋、歯医者、ワニ園といった昔懐かしい景色がスクリーンに現れる度、満席の客席からは「この場所知ってる!」または「こんな場所があったのか!」とため息が漏れていました。
この映画を作った共同監督の一人は、検閲局を目の敵にした挑発的な作品からシンガポールの反逆児(the Angry Young Man)と呼ばれるRoyston Tan。(今年6月東京で開催されたシンガポール映画祭で特集が組まれていたのでご存知の方もいらっしゃるかも知れません。)彼が2010年、国家遺産局(National Heritage Boad, NHB)のサポートでシンガポールの建国記念日のために制作したドキュメンタリー番組"Old Places(動画)"は大反響を呼び、多くの国民がロケ地を訪れ、番組にインスパイアされたブログまで登場したほどでした。しかし"Old Places"に収められた場所の4割がその後姿を消し、危機感を覚えたTan監督は、シンガポールの原風景が消えてしまう前にフィルムに収めようと続編の制作に着手、Facebook等を通じて想い出の場所の情報収集を続け、二年の歳月を経て"Old Romances"は誕生したのでした。
英語と中国語によるアフタートーク。 監督達(左からVictric Thng、Eva Tang、 Royston Tan)と 司会者(右端)。スクリーンに映っているのは 作品に登場する中国戯曲の俳優。 |
また政府にとっても、国民が拠り所となるような歴史を感じられることは、シンガポールらしい芸術文化を新しく生み出すのと同様、国家と国民のアイデンティティを確立するためには欠かせない要素です。国家遺産局は"Old Romances"に助成した他、昨年は大学生グループが古いパン屋や串焼き屋台などを追った短編映像シリーズ"UNSEEN/UNSAID"の制作もサポートしていました。国家遺産局はこれまで、多文化社会を象徴する多様な宗教施設や植民地時代の建物を登録・保存するNational Monument事業や戦前に建設されたショップハウス群の修復と活用等を展開していましたが、ここにきて戦後の文化遺産の再評価にも動き出しているようです。確かに、歴史に残る事件の舞台となった建造物よりも、明日にも消えてしまいそうな個々人の想い出の残る「原風景」をアピールしたほうが、一人ひとりがリアルな「シンガポールらしさ」を感じ、延いては「この国に留まりたい」と思う愛国心の養成にも繋がると考えられそうです。
いずれにせよ、外国人の目にも充分に魅力的なシンガポールの「原風景」。シンガポールへお越しの際はビルの隙間に息づく隠れた名所にも目を凝らしてみてください。(齋)
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