二日目の予定が動かせず、でもどうしても行きたくて、日帰りで参加させていただきました。これまで想像するだけだった大町を、短い時間でも訪れることができたのは大きかったです。信濃大町駅に降りて清々しい空気を吸った瞬間、集積した情報の塊がふわっと融けて現実の空間のなかに拡散していくようでした。雪景色のなか、車の窓越しにNPOの看板を見ただけでなんだかうれしくって盛り上がってしまいましたね。
市役所でのグループ研究発表会の印象になりますが、最初に感じたのは、生まれ育ち今も暮らすまちのこれからを考える作業にとりくんでいる職員の方々がちょっとうらやましい、ということです。これは「よそもの」としてどこかの町にお邪魔するときにいつも思うことでもあります。
二つ目の印象は、職員の方どうしとても仲がよさそう、ということでした。そして穏やかでスマートな感じが多くの人に共通しているようにみえました。八つのプレゼンがどれもよくまとまっていたのは、グループ内での話しあいが発表に向かって確実に積み上げられてきたからなのでしょう。すべきことが明確な職務の傍らで、正解のない課題にとりくむのは、ほんとうのところかなり発想の切り替えが必要で、チャレンジングなことなのだと思います。
完成度の高いプロジェクト案が次々に発表されるのを感心しながら聞いていたのですが、一方で、地方出身の者として思っていたのは、ここにいるような人たちが大町全体にいる訳ではないだろうな、ということです。自分の経験を振り返ると、小学校や中学校のときにはいろんなタイプの子どもがいたのに、受験と進学、進路の選択を経るたびに次第に均質化した集団になるということがありました。そして大人になると、学校では目立たなかった子が何かのすぐれたプロフェッショナルとして活躍していたり、小学校同級生の起業率がとても高かったりします。そして、日々動くまちの「今」をつくっているのは、そのような既存の組織や資格とは無縁なところで働いている人たちであることが多いです。
地域で生きることは、そうした多様性のなかにふたたび身を置くことだと思うのです。会議室で同席していた方たちが、市役所の外側のどんな人たちとどんな風につながっているのだろう、ということが気になってきました。
その意味では、発表のなかの「マチサラ」という造語がとても魅力的に響きました。季節ごとに市内全体の若い世代が集う場をつくるという企画です。「まちthorough?」と思ったら、「りんごを皮“さら”食べる」のように使うのだそうです。まちを丸ごと!
若手職員研修としてひとりひとりが大町を考えている時間は、外の世界と接触するときに何かをほんとうに生み出すのだろう、と想像しました。大町のこの先、とても楽しみです。そして次回こそは、私も外の世界を見てみたいです。
(ykn)
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