8/29
釜山に移動した韓国FW4日目。
15年前までは空軍飛行場があったセンタムシティに釜山市の財団法人が国際映画祭を盛り上げ、釜山市を国際的な映画都市にすべく建設したのが、tantakaさんの投稿にもご紹介があった映画の殿堂です。
Lさんによると、この施設の注目ポイントは、映画に関するソフト面の素地があった上でハードの整備が行われたという点。
海に接している事で経済的成長を享受して来た釜山ですが、1996年には釜山国際映画祭が始まり、映画撮影において市が優遇政策を行うなど、映画業界でも映画に関心が高い都市として以前から有名でした。
当該施設が完成した事により、海雲台に滞在するVIPにとって悩みの種であった移動の不便さが解消され、この殿堂を中心にして映画映像タウンが形成されています。
こちらの野外ステージでは定期的に釜山市民に無料で映画の上映会が提供されます。
丁度訪れた時には国際コメディフェスティバルが開催されており、各国からコメディアンが集結していた様です。
野外ステージ、レッドカーペットがひかれています |
釜山名物の焼き魚を頂いた後、オプションのスパへ。
これがまた素晴らしく、男性陣もきゃっきゃきゃっきゃと楽しんでおられました。
8/30
釜山二日目のこの日は、国の町再生プロジェクト公募展で見事支援を勝ち取りアートの村となったガムチョン文化村へ。(tantakaさんの投稿もあわせてご覧下さい)
戦争の時に避難民が集まり住居を構えた(と解説の方はおっしゃっていましたが、占領下で山間部へ朝鮮人が追いやられてしまったためかと思われます)この場所では、一つの家ごとに5ー7坪程度しか無く住環境は良いとは言えません。
スラム化・高齢化(65歳が20%)した当該地域にも文化村ができる以前に企業が開発するという案が出たものの、あまりのコストパフォーマンスの悪さに手付かずでした。
各家の屋根には青い水用タンクが |
全国公募プログラムが設置された際に、釜山文化観光部の「村美術プロジェクト」においてアートファクトリーが主導しプロジェクトを企画する事となり、どこの地域を対処として応募するかを決める為に釜山市内を視察し、ここを選びました。
そしてめでたく全国公募の中から釜山のガムチョンが当選し、2009年より1億ウォンの国からの援助を受けてプログラムが開始。行政区域からも金銭的支援があるそうです。
本公募プロジェクトは3年分の予算が出るため、2009年には作品を設置(参加しているのは釜山のアーティストに限る)、2010年には空き家プロジェクト(空き家に青少年が同居、犯罪多発などの問題があったため、国家規模で空き家をなくそうという動きが2010年あたりからあった)を行う傍ら、学生が参加し作品制作をしたりしました。2011年度は釜山市から資金が出て、山道の拡大による格差是正が行われ、パーキングや路地などの基盤整備が行われました。
そして1年インターバルをおいた3回目では、メインの周りの住民たち(除外されたという思いを抱いていた人たち)に対するプログラムを行う予定との事。
そもそもの村の問題点として、各家にお手洗いがないのは法的に無許可の建造物にあたるそうで、こうした課題が美術プロジェクトを通じて解決できるわけではなく、またそれを目指している訳ではないのですが、この再生プロジェクトを通じて近隣住民が享受した恩恵としては以下の様なものが挙げられるそうです。
1)訪ねてくる観光客に対応するための店ができる(今まではスーパーが一つあるぐらいだった)
2)作品設置などで工事をするので住民が職を得る
3)人が訪ねてくるので町の清掃が盛んになる
4)パーキング不足の解消
5)通じなかった路地が開通し生活が便利になる
一方で、開発により被る生活の変化も大きく、観光客の増加により生活スタイルの変化、騒音被害が深刻との事。
訪れてみての感想は、正直「?」でした。
そもそもこのプロジェクトを通じて「再生」という名の下で発生する様々な変化は近隣住民にとって本当に最善の事なのでしょうか。
建築上の不法性がどの程度深刻なのかいまいち不明ですが、それを改善したとしたらこの風景は確実に失われます。ここに住んでいる人達はどのような思いで日々の生活を送っているのでしょうか。
確かに「文化村」という名前が付き注目を集めた事で、沢山の観光客(海外からだけでなく、現地では多くの韓国人の姿を見かけました)にとっての「行ってみようか」というきっかけにはなると思いますが、実際にあの場所に足を踏み入れて痛切に感じるのは、設置されているアート作品は二の次で(正直なところ作品としての質は高くはなく、またこの場所に設置することを深く考えた作品がとても少ない印象でした)、あの土地の記憶、歴史的側面での文化財的価値であると思います。
事実、他のFW参加者に感想を聞いた所、「アートの事はよくわからないけど空間として興味深かったし、単純に風景として面白かった」という答えが返ってきました。
その後釜山中心部へ戻り訪れたのは、トタトガ創作空間です。
600年前から商業地として栄え、植民地時代には大陸への入り口として使われていおりモノの流通が盛んだった釜山中心部は、その文化の中心地でもありました。
ところが15年前から釜山市庁舎が別場所に移ったことにより静かになり、空きビルが目立つ様に。そうした歴史を踏まえて、再び芸術文化で街づくりをすべく釜山芸術教育連合体という芸術団体が当該地域に入りました。
現在、「トタトガ」事業は釜山市から支援金を得ているプロジェクトであり、市から芸術家は作業空間利用において3年間全額補助を受けています。その代わりに、市民が芸術を共有できるよう、芸術文化教育や芸術教授のためのプログラムが活発に開催されています。
また芸術家の海外交流を目指し、事業主催者である釜山芸術教育連合体が中心となって福岡でワタガタ(いったりきたり、という意味。10月にフェスティバルを行う)が行われているそうです。
入ってすぐの「40階段」は内戦時の生活の大変さのシンボルで、当時はこの階段を降りたところからずっと海だったそう。またかつて電車の出発点だった場所には線路のあとが残っていて、海でとれた品物を載せて全国へ売りに行く様子が想起されます。 |
釜山芸術教育連合体自体は芸術文化教育を目的として以前からあった団体で、その範囲は古典から現代美術までを含んでいます。
トタトガ事業は観光局から資金、連合体からアイディアがでて形成され、今年で4年目。最近の入居作家選考の倍率は4倍で、利用する場所については釜山市が民間のビルを借りている状態との事。
ビジュアルアーツだけでなく、建築、ジュエリーデザイン、映画、演劇、詩(詩人の為のアトリエがある)など多彩な活動を展開しており、また交流スペースとして活用されるサロンの様な所もあります。入居している作家さんも「他ジャンルの人との交流があるのが他とは違うかも」と仰っていました。
もとはオフィスだった所を改装して作った詩人のアトリエ |
雑居ビルの中に点在する空間はどこも魅力的で、あたたかな雰囲気。「場所の提供」という地味だけれど必須な援助を受けて活動される作家さん達の空気感が柔らかかったのが個人的には印象に残りました。
印刷工場の密集地だった場所の記憶を浮かび上がらせるインスタレーション |
「ソウルではソウル文化財団に、釜山では釜山文化財団にてお話を伺おう」というLさんの素敵な旅程に従い訪れた釜山文化財団は、2009年に設立。
韓国では1973年に文化振興基本法が制定され、文化芸術振興院があったものの、初の文化財団ができたのは15年前の事。釜山では文化財団ができる前は公務員が公平に資金を文化関連団体に分配していたものの、より専門的で戦略的なサポートを目指し、文化財団が設置されました。
一年の予算のうち71%が地域行政、18%が国、残りは財団の運用資金からでており、78%が文化事業運営費として利用されています。
(広域文化財団は日本の都や県レベルより少し大きい所、基礎文化財団は政令指定都市に設置される。文化財団に勤務するのはほぼ民間人。)
全国にある60の文化財団のうち釜山は京畿道、ソウルに続く第三位の規模で、国際文化交流と文化福祉チームをもつ唯一の財団との事。資金の3割が対アーティスト、7割が対市民に利用されているためアーティストからの反発もあるそう。
開港地釜山の文化財団のビジョンには、「海洋:解放と交流」「未来:実験的で挑戦的」「循環:都市再生と文化創作(プロシュム(生産者+消費者)、コミュニティアート、文化生態系、カルチュラルエコシステムなどと呼ばれるもの)」という3つの核がある他、日本との歴史的繋がりの深さを背景に「朝鮮通信使」というキーワードを用いて、当時行われた文化交流をアーティストの活動を通じて再現するという活動も活発に行っています。具体的には、2015年に世界記憶遺産に朝鮮通信使を登録するべく動きが活発化しているそう。
韓国の広域文化財団は施設を持たないものが一般的ですが、近年創作空間の運営が多く行われています。釜山の場合、(先述したトタトガは作ったわけではないが資金を援助している)サブカルチャー(インディーズなど)に力をいれており、釜山港にたくさんあるコンテナを利用している施設を作っています。
こちらの施設ではプロミュージシャンを公募し、施設利用料はレジデントはタダ(6ヶ月)、貸し館は500円という安さ。アーティストを積極的に支援をすることで芸術をソウルに流出させないという目的があるそうです。
また、法律で地方文化財団の立場を規定することによって地方財政の状況に依存しない継続的な活動運営戦略を据え、地域文化財団のネットワークを通じて政府に政策提言をする事を目指し活動されています。
今回案内して下さったCさんは「日本から多くを学び反面教師にしている」と仰っていましたが、こうした数々の取り組みを伺うに付け、韓国の広域文化財団はアーツカウンシルの役割を果たしているという事が明らかになりました。
M.Kさんも投稿の中で触れておられますが、Cさんの博識と熱意を目の当たりにし
釜山の文化シーンが益々発展して行くに違いないという思いを新たにしました。
その上で、私達が(今後欧米だけでなく近隣諸外国からも)どれだけの事を学びうるのか、そしてその学びを実践に移して行けるのか、まだまだ若輩ながらこの分野で学ぶ一学生としての使命感の様なものを感じたのでした。
夜にはCさんの計らいで高級お刺身レストランに連れて行って頂き、素敵な夜景を眺めながら海の幸に舌鼓を打ちました。
8/31
最終日は各自解散だったわけですが、私は飛行機の時間まで少し余裕があったので釜山の現代美術施設を幾つか見てきました。
といっても例のごとく地図が読めず迷子になり、たどり着けたのは2カ所のみ。
先日スパに行ったセンタムシティのデパートには、日本のデパートと同様に美術スペースがあります。雰囲気も日本のデパートと似た感じ。
この時はDidier Meconboniの展覧会をやっていて、プラスチック版を使った作品は勿論の事平面作品が可愛くて良かったです。
その後訪れた広く開放的な作りの釜山市美術館では、韓国の市立美術館内の連携で開催されているハ・ジュンウォン氏コレクションの特別展をやっていました。
そうこうしているうちに飛行機の時間が迫り、後ろ髪を引かれながら韓国を後にしたのでした。
韓国FWレポートにお付合い頂き有り難う御座いました。
(M.O)
0 件のコメント:
コメントを投稿