…ということで、おそらくほかのゼミ生のみなさまが鶴岡については感想を書いてくださると思いますので、このブログでは小林先生が帰ったあとの、残された数人による25日のオプションツアー(鶴岡→酒田班)についてご報告いたします。
藩校致道館
1800年に9代目藩主酒井忠徳が藩政の立て直しには人材育成が必要と考え藩校を設立。現在の大学院にあたる学制もあり、大学院生としては当時の教養科目、タイトな課題やスケジュールに己を顧みることしばし…。江戸時代の教育システムに興味津々でした。
鶴岡カトリック教会
国の重要文化財。1903年フランスの宣教師ダリベル神父によって献堂される。「黒いマリア」像が印象的でした。
鶴岡教会
こちらはプロテスタントの教会。礼拝中でお話が聞けず残念…
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鶴岡南高等学校Sさんの母校を拝見。文武両道、たくさんの全国大会入賞生徒名が校舎の外壁に貼り出されています。鶴岡の若い知性がここに…。
羽黒山「秋の入峰式」
午後は再び初日にお世話になった宮下坊様のご案内で全国から集まった山伏が7日間にわたる山での修行に入る前の入峰式を見学。壮観でした。
この日は寺の入峰式で、翌日の神社の入峰式にはさらに多くの山伏が集まるそうです。宮下坊で支度をする山伏の方々に山伏になった動機やかなり過酷な山での修行内容についてお話をうかがうことができました。出羽三山の信仰の奥深さを教えていただく貴重な体験でした。
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AOMORIYAでティータイム
鶴岡駅近く、地元産のフルーツをふんだんに使ったケーキやジュースに一同、感激。酒田行き(もう夕方に)
ここでSさんは帰京の途に。女子3人での酒田散策となりました。
日和山公園
酒田はなんといっても海運・舟運によって栄えた湊町、ということで池に浮かぶ「北前船」2分の1モデルを見学。突然の豪雨に近くの庵で雨宿りしながら、交易で大繁栄した酒田の昔に思いをはせるのでした。光丘文庫
海運を駆使して非凡な才能を発揮し、酒田の本間家を全国有数の大地主へと導いた3代目本間光丘の功績をたたえるため1923年に設立された文庫です。東宮時代の昭和天皇も来庫。1958年には酒田市に建物と蔵書約6万冊が寄贈されています。丘の上から酒田の町を一望できます。
そして、酒田の町はいよいよ夜の時間に。ネオン街らしいけれども日曜日ということもあいまってどこも灯の消えた酒田の町をさまよっていると、光り輝くお店がひとつ。おお!あれは銀座にもある「白ばら」の姉妹店?!と思って近づくと、魅惑のポスターが…「キャバレーナイトショー、8月25日開催…」今夜?!素敵!!と思っていると店内から「愛の賛歌」の絶唱が流れてきます。女子3人、さあ、どうする?!…で、3人とも思い切って店内に飛び込んでしまいました。そして、そこに広がっていたのは…
虹色の電飾、スポットライト、ミラーボール、ベルベット張りのソファ、なんだか巨大なパームツリーのつくりものが林立する空間で極上のキンキラキンの美女が歌っています!!
でもこの美女、えらくなまっていて、観客と酒田方言ネタでワハワハ笑っています。演奏の合間にはノコギリバイオリン演奏あり、火の玉ジャグリングありで、なんでもありの出し物に酒田市民が拍手喝采の大騒ぎです。見ているうちに「これはもしや?!」と思っていたら、この美女は上々颱風の白崎映美さんでした!
白崎さんは酒田市出身、キャバレー「白ばら」で凱旋公演をしていたのでした。もともとジャンル不明、ゲリラ的にあらゆる場所でライブを繰り広げてきた上々颱風出身の白崎さんなので、地元方言によるスキャットに演歌、シャンソン、コンテンポラリーな曲まで変化自在です。その上、客席の反応も最高なのです。この熱気!この笑い!この掛け合い!すごいエンタメに遭遇してしまって女子三人も大興奮!!これぞ文化施設!!これぞ地元密着!!と感じ入っていると白崎さんが「このキャバレー白ばらを維持してくださっている本間店長に感謝!!」と謝辞を述べています。本間家!!酒田!!そうです。いろいろな系統の本間家があるそうですが、江戸の昔より湊町酒田の文化を支え、殿さまより豪奢をほこったと称される本間家の威光が時代を超えて、ここ白ばらも届いていることに私たちは感動してしまいました。
11月にも白崎さんの公演が酒田市民会館「希望ホール」で開催予定とのこと、地元酒田での白崎さんライブ、さぞや素晴らしいことでしょう…タクシーの運転手さんも「酒田はすっかりさびれちゃってね」とこぼしていましたが、「西の堺、東の酒田」の歴史を鑑みるに、潜在的にまだまだ文化的な可能性を秘めているのではないでしょうか。酒田も含め、庄内、魅力的でした。ぜひまた再訪したい(ライブ行きたい…)との思いを強くして帰京したのでした。 (Mube)
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