2013年9月3日火曜日

原始感覚美術祭2013に行ってきました。

昨年度から縁あっておつきあいをするようになった長野県大町市ですが、その木崎湖周辺で開催されている「原始感覚美術祭2013」に行ってきました。山形県鶴岡市での院生のゼミ合宿、学部生等を連れての韓国体験プログラム(ソウル、釜山)と巡業が続く中でのぽっかりあいた一日、往復8時間をかけての訪問でしたが、とても楽しいものになりました。

同行者は、研究室のアイドルSさん、博士課程のS君、就職がきまって安心をしたHさんとOさん、そして留学生のCさんです。予定通り(!)雨の降った中での見学だったのですが、幻想的で静かな木崎湖周辺は魅力的です。初めて大町市を訪れたときから、このいっさい観光化されていない、変な看板等がまったくなく、すれていない木崎湖は魅了されました。とくに昨日は美しい北アルプスがまったく見えない雨模様で、しっとりしており、上空から降りてくる雲が木崎湖周辺の山並みにふわっとヴェールをかけるようにかかっており、それがゆらゆらとたゆたっている様子はなんとも静かで神秘的な風景です。雨の平日ということで、湖でウォータースポーツをする人もほとんどなく一隻が通り過ぎると、ひっそりと舟が浮いているだけ、何か現代から異空間へとタイムスリップしたような気持ちにさせます。漁をしているのでしょうか。対岸の風景は、スイスの湖のような青さをたたえながらも、矛盾しているようですが墨絵のような世界が広がっている。Sさんは、何か湖自体が私たちを不安にさせる気配のようなものを感じている模様です。少し怖いくらいなのです。それが、今風にいえば、スピリチュアルということになるのでしょうか。そういえば、昨年度の市の職員の方とワークショップをしたときも、「スピリチュアル体験」をテーマにしていた方々がいらっしゃったことを思い出しました。

いま、写真は無力だと感じる。


11時に信濃大町で待ち合わせた私たちは、レンタカーを借りて、とりあえず原始感覚美術祭の中心となっている西丸震哉記念館に伺い、ご挨拶かたがたパスポートを購入しました。ちょっとしたハプニングで遅れているHさんを後ほど稲尾駅で拾うことにして、とりあえず近辺の作品を見に出かけました。普通のお宅の使われていない蔵や、土間、古民家、店舗に作品が置かれていることもあり、これがなかなか扉に手をかけるのに勇気がいります。古民家や蔵の場合などは、急なはしごがかけられているだけで、これを昇っていいものかどうかもよくわからない。最初に訪れた古民家山本邸では、アーティストの香川大介さんが、まさに制作の最中でした。制作をされていたところは古民家なのだと思いますが、2階を掃除して、昨年度から作品を制作し続けているそうです。緻密な作品を私たちがわいわいと見ている中でも集中して描いていらっしゃる。作品の中には、この蔵に残っていた道具が少しずつ隠されて描かれているとのことでした。不思議な絵画に囲まれながら、アーティストが静かな気迫で描いておられるところは、それだけでも感動をします。

訪れて見学した作品一つ一つに力がこもっており、この木崎湖周辺の空間やこの地域の生業と歴史的に結びついて醸し出される作品の力に圧倒されながら、短い時間でたくさんみてみようともくろんでいた私のあさはかな気持ちを打ち砕きました。もちろん映像作品など、作品自体の鑑賞自体に時間がかかるものもあるのですが、静物であったとしても、じっくり観察しないではいられない何かがあります。また、皆でわいわいと語り合うのもおもしろい。私は作品の批評はできないので、興味深く見せていただいたということ以上にはいえないのですが、実は何よりも楽しかったのが、その力のある作品を見に行くために私たちが思いがけなく手間取っていたところがおもしろかったのです。何か作品に出会うためのプロセスも、急いで回ろうとする現代の私たちの生活スタイルを批判されているようです。サービス精神などというものとは無縁のように見え、雑草が生い茂った中をかき分けていくところもあり、見つけ出すのは一苦労です。誰かの秘密基地を暴きにいくようなどきどき感と不安感がないまぜになりながら襲ってくる。もし一人で行ったとしたら、作品を見つけられずに戻ってしまうほどです。ただそれを6人で探して歩くのがなんだか楽しいのです。今年度はもう終了してしまいますが、来年訪問される際は、複数人で行かれることをおすすめします。文化経営なんてことをやっていますと、ついいろいろな意味で鑑賞者に配慮したわかりやすい展示のあり方やバリアフリー化を目指してしまいがちですが、そのこと自体を考えさせられます。

この先に作品があることを確信できるか。
もちろん標識はあるのだけれど。



現在日本においては、様々なアートフェスティバルが開催されています。どれも、地域活性化と結びつけられて語られることが多く、それ自体うさんくさく感じることが多々あります。どこにうさんくささを感じるのか。アーティストが行っていることは、その地域の潜在的な魅力を引き出したり、気づかさせてくれる以上でも以下でもないにもかかわらず、アーティストの活動や作品それ自体と芸術作品の成果とは異なる成果を結びつけて何か直接的な経済的利益や訪問者数などではかろうとするその行為があるということです。アートフェスティバル等を地域活性化に活用しなければならないのは誰なのか。やはり単にアートリテラシーがないだけなのではないか。また、われわれの文化資源学専攻では、つねに「保存と活用」の問題を矛盾を抱えながら考えています。ここで保存しなければならないものは何なのか、活用とはどのような結果を生み出すことを言うのか。昨日、原始感覚美術祭がなければ訪れることのなかった、少なくとも6人の訪問者が木崎湖周辺と大町市に何らかの魅力を感じ取ったと思うのです。時間が足りなくて十分に回りきることができず、来年は必ず宿泊して回ろうということを誓い合った6人です。どこに行っても少し仕様を変えたお土産が並んでいるところよりも、ここでしか味わえない何かを自覚すること、そしてそれを味わえるようにする・なることというのが大事だということを改めて感じた一日でした。

(久しぶりの投稿 M.K)

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