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全体のスケジュールに再び合流した3日目は、国立劇場を見学しました。
その神殿的立ち姿に既に圧倒されます・・・ |
2000年から責任運営制度が適用された事により民間人を団体トップに登用、当初7つあった専属団体は3つとなり、その他は独立しました。
(専属団体の選抜基準には政治的な影響もあったそうですが、公演内容による資金調達面での影響が大きく、4つの独立した団体においては国からの資金は入っているものの比較的自立度の高いプログラムを行う団体が独立。2日目に他の方々が訪れた芸術の殿堂もそれらの団体が使っているとのこと)
現在の劇場長は5期目で、以前は芸術の殿堂の館長やソウル文化財団理事を務めていらっしゃった方。責任運営制度導入により即物的成果を求める民間運営システムの功罪が議論された中、こちらの劇場長は貸し館業務をやめてシーズンシステムを導入し専属団体のみで稼働する方針を定めリーダーシップを取ってこられました。
専属で残った団体は予算割り当てが低い傾向があったそうですが、他が独立したので今年度から重点的に3団体へ資金を割り当てる予定であること、また舞台制作も全てここで行っているため経費の削減が可能となっていることもあり、持続的運営が実現されています。
責任運営制度になる前となった後の予算はあまり変わらないそうです。
空の劇場は青少年のための劇場で、自然保護地域内なので建築物の制約があり、半野外スタイルをとっているそうです。
この様なアリーナスタイルは韓国で一般的とのこと。
空の劇場内部 |
大道具の保管場所がなく、倉庫を外部に借りているが場所が足りないというのが目下の悩みだそう。
この様な施設条件のため、どの公演を行うかは舞台装置の性質に影響を受けています。例えばここでは伝統芸能の公演が多く行われるのですが、そうした公演は大掛かりな装置は不要です。
シカゴ公演期間中のメインステージ |
旧国学校校舎を利用した公演芸術博物館では、韓国の公演芸術(地方の慣習的なものではなく正統なものが中心)の歴史について学ぶ事が出来、資料は19万点程保存されているそうです。
お昼ご飯に頂いたのは韓国の国民食(?)的中華料理、ジャジャン麺。
そこから同席して下さったソウル文化財団のキム・ヘボさんの計らいで、当時ソウル市長だったイ・ミョンバクのリーダーシップの下、ソウル市をあげた環境、土木、政治的事業として行われたチョンゲチョン(かつてソウルに流れていた川、近隣住民の生活用水であったものの高度発展期に一度埋め立てられた)の復元の「文化的」側面を見出すべく、その資料館に伺いました。
復元模型 |
解説して下さった方の土木への情熱に若干押されつつも、川の復元に見られる様に「環境」を扱ったイ・ミョンバク市政(2002-2006)、オペラハウス建設案といった大々的公共事業をベースとし「カルチャノミクス」と称されるオ・セフン市政(2006-2011)、そして「(まだ始まったばかりなので形容するのは難しいが強いて言えば)ヒューマニズム、コミュニティ共生」と言える様なパク・ウォンスン現市長の地域の創作空間創設、というソウル市の文化政策の流れがあるのだという事を学びました。
ソウル文化財団(建物は旧水道施設を使用)は2004年にイ・ミョンバク市政の下設置され、ソウル市文化政策予算の10%が割り振られており、現在4つの部局に190人が勤務しています。
そのミッションは、前述した通り市長が交代することにより大きな変化を被る訳ですが、文化政策の大元は国が作るものであるので一市のプロジェクトにもかかわらず、ソウル特別市という場所柄も加わり、国の方針に強く影響を受ける性質があるそうです。
現市長はNGO出身なので共同体を大切にしていて、メモリー・イン・ソウル(市民の声を聞き作品にして行く)を推進するなど庶民派な感じだそうですが、彼自身が文化について詳しくないのでシンクタンクに依存する部分があり、その調査報告を通じて文化活動が平均化されてしまい結果的に高級芸術も低廉化されてしまう傾向もあるとの事でした。
ソウル市文化財団の部局による活動の一つである「創作空間プロジェクト」が始まったのは2008年、レジデンスは既にあったものの、こちらは「衰退する空間の活性化」を主に目指し設置されました。
この創作空間は美術だけに限定せず広く文化を扱っており、全部で9つ(+ナムサンの施設が2つ)の創作空間が芸術創作空間本部に属しています。
創作空間推進委員会がまずそれぞれの地域について調査を行い、既に何らかの創作活動が行われていた場合(ムルレなど)にはそれを支援し、一方でコンテンツがあまりなかったところではその地域の色を活かすべく何かを導入するという形をとっています。
他方で、作家の多様な要望に応えるべくなるべく多くのジャンルをこれらの施設を通じて網羅させたという側面もあり、市としてはできるだけ多くの利用者がいることを望んでいるものの、各施設には差がある様に思われます。
ソウル市全体を管理しつつ、こうした各区の違いも理解していなくてはならないというジレンマが文化財団にはあると言います。そのジレンマを解決すべく、点在する文化施設のネットワークを構築しそれらを一括して考えることが課題になっているそうです。
この様に行政が積極的に介入をする事で起こる弊害もあり、代表的な例としては、家賃の問題があげられます。ソウル市が文化特定地区に指定した所(弘大や大学路)が家賃があがったためアーティストが流れ着いたムルレも、特定地区になった事により最近家賃に上昇傾向が見られるそうです。
キムさんが指摘して下さった通り、プロジェクトを行う上でその地域生活にも多大な変化がもたらされるという事は、必ず念頭に置かなければならない事であると思います。
という訳で、その創作空間プロジェクトの1つであるシンダン創作アーケードを見学しました。
アーケード内に設置された作品:市場で働く人達の肖像と彼らの夢(スーパーマンになりたかった、演奏家になりたかった、等)をホログラムで合わせている |
当初はソウル市の委託事業としての地域活性化としてこの事業には支援が付いていたものの、今はその仕事を民間財団に転換したため、家賃負担に関する議論もあったそうです。とは言え、ソウル市施設管理の施設を活かした事業なので公営のはず、という訳で引き続きこの家賃無料体制は続く様です。
お茶と韓国のお餅頂きながらプレゼンテーションを拝聴したのですが、ディレクターの方が終始前向きで明るい話し振りだったのが印象的でした。この地域はソウルにおける貧困層にあたるとの事でしたが、これらの活動が少しずつ芽を出して来ているという希望を持って取り組まれている様に感じました。
その後大学路にあるソウル演劇センターに伺いました。
大学路は600年前から教育区域であり、1924-74年までソウル大学があった場所。
大学の移転に伴いARKO美術館と劇場が設置され、また明洞や新林の家賃が上がったので大学路に芸術活動拠点が移転して来ると言う動きもあり、現在小劇場が沢山ある事でも有名です。
ここで初演を行い人気が出るとその劇団や公演はどんどんステップアップして行く様な、所謂「オフ」で、大学路出身で現在著名な俳優さんも多いとの事でした。
それまで劇団や小劇場が集まって宣伝する場がなかったので、ヘイファドン(現在大学路と呼ばれている地域)の元区役所に入る形で情報発信の場としてソウル演劇センターが発足、資料室も備えています。またもう一つの演劇センターには稽古ができるようにリハーサル室あり、中高生の大学路ツアーや演劇人の再教育プログラムも提供している他、劇団と企業を結ぶメセナ事業や新人役者、新人演出家の支援をやって行く予定で、ただ資金的な援助を行うだけでなく内容も支援していく事が目標だそうです。
1階の各公演のチラシが置いてあるフロアには、無数の若者達が集まっていました。情報を得に来ている人もいれば、単純にたまり場として利用している人など様々に見えましたが、こうした施設があるという事が広く知られているという状況が既に良いなぁと思いました。
夕食はまたまたTさんご推薦のお店にてご飯に韓国版お味噌汁的なものをかけて食べるもの(名前失念)を頂きました。例のごとく写真はありませんが。。。
そしてお待ちかね、オプションのミュージカル「パルレ(洗濯)」観劇へ。
Tさん、Lさんよりおすすめがあった通り、現代の都市の社会問題を織り込みつつコミカルで軽快なリズムと音楽で進んで行く本作にすっかり引き込まれてしまいました。途中で客席との交流をするような場面(詳しくは見てからのお楽しみ、以前日本でも公演をされたとの事です)もあり、笑いあり涙ありの素敵な舞台でした。
普段あまり舞台芸術に親しんでいない私ですが、生ものの芸術だからこそ感じるエネルギーのようなものがあって、これを機会にもっとこれから積極的に色々見てみたい、と思わせてくれる一時でした。
(M.O)
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