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このプロジェクトは、東日本大震災の被災地で2年前から開催されているアートプロジェクトで、写仏を通して皆さんに癒しを感じていただき、楽しい時間を過ごしてもらおうというものです。最終的には1000枚の仏様の絵を集め、ひとつの作品として美術館などでの展示を計画しています。仏様の絵は、印象派が多く用いたという木炭画で描きます。輪郭などの雛形があるところに顔のパーツを描いていくだけなので簡単で、しかしやり始めると深みにはまって楽しくなっていく、そんな体験をさせてくれます。
このプロジェクトは、珍しくNET-TAMを見ていたときに偶然見つけました。
東北地方には震災以前も以降もお邪魔したことはありませんでした。被害を受けた地域の現状を自分の目で見て、現地の方々に直接会いしてお話を聞いてもいないのに、分かったようなことを言っているのが、すごく無責任で申し訳ないことだと思っていました。実質2日間の行程ですからもちろん現状のすべてを見ることはできませんが、少しでも何かを感じてこなければいけないと感じてきました。
そんな折このプロジェクトに出会い、ちょうどスケジュール帳もその日程の部分がぽっかり空いておりまして、これは行かねば!と、詳細を読むより先に(!)申し込んでいました。
先ほど、被災した地域の現状を見なければという思いがあったことを書きましたが、このプロジェクトに参加してみようと思った理由は、もうひとつありました。それは「アートに何ができるんだ?」という少しひねくれた問題意識でした。私は自分で音楽を聴いたり演奏したり、絵を見たり描いたりするのは、大好きです。しかし、音楽や美術を通して、深く傷ついた人の心に働きかけようという行為に意義があるのか、そもそも苦しみの体験を共有していない者がそんなことをするのは烏滸がましいことなのではないか、というふうに思っていたのです。自分自身は芸術大好きですが、傷ついた人に芸術で何かしようということについて、懐疑的だったのです。だから、機会があれば芸術と癒しという現場に自分自身の身を置き、どういうことなのか体感してみたかったのです。そもそも、芸術によるセラピーの知識がない人間がこのようなことを書くのも愚なことかもしれず、すでに音楽療法などの分野では科学的に説明がついているのかもしれませんけれど。
参加してくださったのはお年寄りが主で、私以外のチームでは子供も参加してくれたようです。どのような告知で集まってくださったのか謎だったのですが、「私は絵さ下手だ。絵なんか描けねぇ」と言いながら、しぶしぶ木炭を手に取る方もしばしばいらっしゃいました。多くの方は、はじめは少し躊躇いながら、でも慣れてくると楽しそうにお喋りしながら思い思いの仏様を描いていきました。訪問先によってかなり雰囲気は違いましたが、絵を描きに来たというよりも、いつもの友達とお喋りをしに来た、といった印象を持ちました。私たちの持ってきた木炭画はあくまで、手すさびのようになっているセンターもありましたが、それはそれで、いつもの仲間とたわいもない世間話(とはいっても、やはりどの話題にも何かしらの形で震災が関わっていたように思います)をできる場と時間を提供できたという意味で有意義だったと思います。
それから、不思議なことには、作家の先生によると、描いているうちに、仏様の顔が自分や、自分のよく見ている人、見ていた人に、似てくるというんですね。実際、「その顔あなたに似てるねぇ」「この顔、母親に似てる気がするのよ」という声も参加者の中から聞かれました。
芸術の中でも絵画というものは特に正直で、それゆえに残酷なこともあるように思います。もしかしたら、自分の描いた仏様の目元や口元が、震災で失った家族を映し出しているということもあったかもしれません。無意識に苦しんでいることが形になることで、苦しみの正体が見えてきて、多少なりとも気持ちの整理がつくということがあります。そういう作用はいくらか期待できるのかもしれないと思いました。しかし震災の場合、亡くした人のことで辛い思いをしているのはご本人にとっても明らかなことであり、改めて目に見える形にすることは、癒しよりも痛みを与えることのようにも思われます。そういう意味で、このような効果を期待することができるかという点では、賛同しかねるのです。
期待される効果として作家の先生がおっしゃっていたのは、仏様の絵を描くことで心が穏やかになるということです。私自身も3枚ほど描かせていただきましたが、それは一理あると感じました。まず、仏様なので雑には描けませんよね(笑)無意識に丁寧に描こうとします。さらに描きながら仏様の表情を自分の中で思い浮かべ、紙に落としていくので、なんだか自分自身もやさしく穏やかな気持ちになるのです。この点で、仏様という題材を選んだ作家の先生方のセンスに感服しました。
陸前高田のとある自治会の会長さんが、どうしても絵を描こうとなさらないので、描きましょうよーと声をかけました。そうすると、これから車で30分走ったところにある病院に行かなければいけないというのです。震災後アルコール中毒になり、身寄りもない知人の見舞いに行くとのことでした。「あれも、震災の被害者の一人だねぇ」とおっしゃるのを聞き、震災は本当にまだまだ続いているんだということを、今更ながら思い知らされました。苦しみを身をもって分かち合うことのできない私に、できることがあるかは分かりません。でも少しでも、彼らの苦しみに寄り添うことができればと、無力にもそう思ったのでした。
思ったことをつらつらと書いて、読みにくい随想的な文章になってしまったことお詫びします。
今後もこのプロジェクトに関わっていこうと思っています。アートは被災地に何ができるのか、もっと考えていきたいです。
以上、ドーハからベルリンへの空の道より。
英語もドイツ語も分かりませんが、ドイツ頑張ってきまーす。
(risaia)
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