昨日「NPO法人地球ことば村」が月に一度開催している「ことばのサロン」に参加してきました。
【アーユルヴェーダ系医療のフィールドワークから見える村落生活でのことばのあり方について】という強面な題目でしたが、言葉についてやりたいと公言している手前、手当たり次第参加しちゃえ!という気持ちで突入しました(笑)
講師:梅村絢美さん(京都大学人文科学研究所)
行ってみると【スリランカの伝承医療における「語らない」診療から言葉と「かけがえのなさ」を考える】という少し取っつきやすいテーマに変更されていました。
スリランカの伝承医療の診察では、日本では当たり前の「どうされましたか?」という問診がないそうです。
患者は医師に症状を述べません。その代わりに医師は患者の脈をとり、アドバイスを行い薬を処方します。
これらは、「発話の忌避」や「言語表象の拒絶」によるものだと梅村氏は分析しています。
「発話の忌避」とは、症状を口にしてしまうと余計に悪化する、ということで「病は気から」に近いかもしれません。
「言語表象の拒絶」とは、この時、この場所で、他ならぬこの私が病んでいるという状態はかけがえのない経験であり、言葉で一般化して表すことのできるものではない、ということです。
また、この伝承医療には名前がなく、敢えて言葉にするなら「○○さんの医療行為」「○○村の医療行為」といった表現しか出来ません。
言葉でもって症状を医師に伝えることに慣れた私たちにとって興味深い事象です。
ただ勿論、スリランカにも西洋医療が導入されています。
近代化の波に押されて、このスリランカ古来の医療は衰退していってしまうのではと危惧してしまいます。
西洋医療は科学的で合理的であり、伝承医療を圧倒するに足ると思えるからです。
しかし梅村氏によると、西洋医療、アーユルヴェーダ、伝承医療は場面によって使い分けられているようです。
即効性が求められる場合には西洋医療、気長に治療できるような症状には伝承医療、など。
そうだとすると、伝承医療は独自の地位を確立していて、差し迫って存亡の危機にあるというわけではなさそうです。
なんだか少し安心しました(笑)
スリランカのこうした医療行為も、ひとつの文化だと思います。
科学の合理性に屈することなく、これからも残っていってほしいと感じました。
(risaia)
0 件のコメント:
コメントを投稿