昨日、新国立劇場のマンスリー・プロジェクト「シェイクスピアは同時代人?」に行ってきました。
ゲストは、現在上演中の「テンペスト」で翻訳にあたった松岡和子先生と、演出を手掛ける白井晃さん。
私が中学校時代、ほぼ空で台詞を言えた愛読書「ハムレット」は松岡訳でした。そういうわけで、松岡先生のお名前を見てすぐに申し込みました(笑)
シェイクスピア作品には、役者が感情を乗せにくく自分の血肉とするまでに時間を要する台詞が多いそう。私は一読者に過ぎないので、演じる側のそうした苦労もまた発見でした。想像していたよりずっとお洒落でお茶目な松岡先生の「役者さんには『感情が言葉から引き出されるまで待って』とお願いしているんです。『感情をつくらないで』って」という言葉が印象的でした。白井さんも、「マクベス」に出演した当時を振り返り、「稽古を始めたばかりのころは、台詞が身体に入ってこなくて苦しんだ。しかし、それがいったん自分の血肉になると、自分でも思いもよらなかった感情が引き起こされ、それがとても気持ち良くなる」とおっしゃっていました。
私自身、シェイクスピア作品を読んで「的を射たような『それらしい雰囲気』はあるものの、本当に意味があるのかないのかすら確証が持てない、そんな台詞に溢れている」と感じていました。そのため、お二方の話は私の作品理解の困難にひとつの回答を提示してくれたように思います。
確かに、時代の違い、土地の違い、その他あらゆる違いが、我々とシェイクスピアの間にはあります。そのことが台詞の真意のつかめなさの大きな要因であることは間違いありません。しかし、よく分からないけれども書かれた台詞を発してみる、そしてそれを繰り返して真剣に言葉と向き合っていくうちに、シェイクスピアが台詞に吹き込んだ感情と、自分の中にある名もなき未知の感情とが出会うのでしょう。そこで役者は、新しい自分の感情を発見することになるのですね。
演劇って、深いですね。私はお芝居なんてやったこともありませんし、観たこともほとんどありません。昨日のトークセッションに参加して、演劇にコミットしないのは勿体ない!と感じずにはいられませんでした。
最後に、本筋とは関係ありませんがシェイクスピアの「この世は舞台、人はみな役者」っていう言葉、好きです。なんだかほっとするんです。とびきり愉快で笑って泣ける喜劇を生きたいですね。
(risaia)
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