地域研究活動は、地域社会にとってどのような意味を持つのか。そして、その活動はどのように担保されるべきなのだろうか。フィールドワークにおける市民の関わりの意味について関心がある筆者にとって、地域史の編纂事業が地域社会に与える影響もまたとても興味を持っている。自分自身も自治体史編纂事業に関わった経験を持っているが、この手の事業の多くは、教育委員会に属し、その成果は出版物である自治体史が図書館の書棚の片隅に並べられるぐらいで、その存在が市民になじみのあるものとは言い難い。それゆえに、どのようなメンバーが調査や研究に関わり、どのような過程で執筆されるのか、さらにはその存在が地域にとってどのような意味を持つのか、ということについて、市民どころか、行政内部でもブラックボックス化している場合が少なくない。内容は、歴史研究や民俗研究など、専門的な内容であるために、多くの人にはとっつきにくいものとなっている。高い専門性に裏打ちされた内容が、編纂されること自体に意味があるのは十分理解している。しかし、本当にそれだけでよいのか?
この問いに一つの答えを出してくれるのが、2003年に誕生した飯田市歴史研究所である。この市立の歴史研究所の第一の目的は「市民の地域認識を深める」ことにあるという。
そもそも下伊那地方は幕末に伊那国学が発達し、その後も伊那史学会が発足するなど、地域研究の盛んな土地柄である。こうした地域史研究の素地を踏まえつつ、1997年に飯田市は市史編纂事業に着手したが、2001年に事業の見直しを行い、その結果研究所設立にまで至った経緯がある。
研究所の活動は、①史料調査と公開、②研究活動、③教育活動、④市史編纂活動である。研究所の特色は、研究者による史料の調査や研究だけでなく、その成果がラジオ番組や公開講座を通じた市民に対する教育活動と接続していることにある。飯田市歴史研究所の活動について、多和田氏は、地域史研究が市民の地域認識を深め、市民が自らの頭で考えるようになることが目標だと述べている(註1)。
この点について、筆者も同感である。例えば、発掘調査という場においても、市民がそこに参加し、遺跡を解釈し、価値づけるプロセスを研究者や行政と共有することが、市民が主体的に物事を考える回路のひとつとなると考えている。そもそも学ぶとは、こういうことなのではないだろうか。
画一的に技術や知識を教え込む教育は、近代の軍隊や工場で求められる人材を供給する上で有効だったろう。しかし、先の見えない世の中だからこそ、主体的に考え、行動することが誰に対しても求められているのではないだろうか。こうした市民像とは真逆の人々に時折遭遇するのだが、こういう人物に限って、かならず行政や誰かの責任を声高に主張する。思わず筆者は、こうした人に「ご自身はいつ主体的に考え、行動するの?」と問い直したくなってしまう。
地域の研究は、まさにこうした考え、行動する市民を創りだす場となるはずである。こうした場を「研究所」というかたちで具現化した飯田市の英断に今後も期待したい。
*註1 多和田雅保「飯田市歴史研究所の創立と活動」日本歴史 (692), 137-139, 2006-01
(ま)
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