2013年1月31日木曜日

4th Annual Conference for the Consortium of Asian and African Studies @ National University of Singapore


 先日シンガポール国立大学で行なわれたアジア・アフリカ研究教育コンソーシアム(Consortium of Asian and African Studies/CAAS)の国際会議をのぞいてきました。すべての発表をカバーすることはできなかったので、私が見聞きした中で文化政策に関連のありそうなところをご紹介します。

 CAASはアジア・アフリカ研究に取り組む大学が2007年に立ち上げた組織で、現在世界各地の7つの大学が加盟しています(フランス国立東洋言語文化学院 、ライデン大学、韓国外国語大学校、シンガポール国立大学、ロンドン大学東洋・アフリカ研究学院、コロンビア大学、東京外国語大学)。1月28日から30日までシンガポール国立大学で行なわれた国際会議は"Sustainable Cities"をテーマにグローバリゼーションや人・モノの移動、政府やコミュニティが抱える問題などに焦点をあて、中国からナイロビまで実に様々な地域と分野の研究成果を紹介するものでした(プログラムと要旨/PDF)。その中でも文化政策やまちづくりの実践と関連して興味深かったのは、草の根運動が生み出す芸術文化のまち・創造都市の事例でした。

 ひとつ目は台湾第二の都市・高雄における行政の創造都市政策とアーティストや市民のリアクションに関する研究です。以前このブログでも台北で伝統的な建物のリノベーションが推進されているとのご報告がありましたが、高雄も重工業の拠点からクリエイティブ産業の集積する港町へと脱皮すべく再開発が進んでいます。市の創造都市政策で古い倉庫郡を改装したアートセンター・駁二芸術特区(Pier 2 Art Center)は市内有数の観光スポットとなり、昔ながらの金物屋がならぶPark Road(公園路)では古い建物を取り壊して自転車専用道やベンチ等が整備されました。しかしこれら上からの開発は、外からやってくる観光客には好評でも、地域住民の日常生活には馴染みのないもので、抽象的なパブリックアートも、犬の糞を捨てるゴミ箱も市民が愛用しているとは言えない状況だったようです。それどころか、まちをミュージアム化しクリエーターを呼び込むことは、もともと住んでいた人々を強制退去に追い込んだといいます。これに対しHamasen(哈瑪星)地区では、新しく移り住んできたアーティストと地域住民のつくるNGOが協力し、アートやデザインの力を駆使して市の開発計画に異を唱え始め、一定の成果をあげているようです。高雄のアートを核にした地域再生と排除される人々の存在は横浜の黄金町・寿町の事例にもつながるトピックのように感じました。長期的・俯瞰的なビジョンを示す行政の施策は必要ですが、地域住民との対話なくしてはテーマパークのような取ってつけたようなまちになってしまい、人々が愛着を持つ場所は生まれないように思います。今のところトップダウン型しか存在しない創造都市・シンガポールで、下からの声が表立って聞こえてこない現状の不自然さを改めて感じた発表内容でもありました。(残念ながら私は高雄に行ったことがありません。現地を訪れた方がいらっしゃいましたら、是非実際のまちの雰囲気を教えて頂きたいです。)
住宅地の広場に設営された歌台の会場。
夜になると多くの観客でにぎわいます。

 ふたつ目はシンガポールの中華系コミュニティにおける宗教儀礼のパフォーマンスと音楽の分析です。高層ビルの立ち並ぶ未来都市ともいえるイメージを持つシンガポールですが、実際暮らしてみると日常生活の随所にアジアの伝統を見出すことが出来、たとえば中華系コミュニティでは葬儀やお盆に際してChisese Operaや人形劇、歌台(歌謡ショー)などの儀礼が行なわれています。ここでいう中華系とは一枚岩ではなく、それぞれのルーツとする方言によって個別のコミュニティを形成しており、パフォーマンスの多くもシンガポールの公用語となっている北京語ではなく、福建語や潮州語といった方言で上演されます。しかしシンガポール政府は北京語の普及を推進する言語政策を進めてきたため、若者の多くは方言を理解できません。そのためChinese Street Opera(街戯)や人形劇(傀儡戯)の担い手も観客も高齢化し、年々減少する傾向にあります。その一方で、歌台は歌謡ショーとして儀礼的な要素が薄れつつも一定の人気を博し、童乩(タンキー)と呼ばれるシャーマンによる神おろしの儀式も脈々と受け継がれていますそうです。

 シンガポール政府は毎年実施しているSingapore Cultural Statisticsのなかで、有料の催事に参加した国民や積極的に芸術文化活動に関わった国民の統計を出して、観客と実践者の更なる増大を目指していますが、上述の方言を使用した大衆芸能や宗教儀礼の観賞やパフォーマンスへの参加は政府が振興する芸術文化のカテゴリーには入っていません。政府の規制は厳しく、儀礼としてのパフォーマンスを行なう際には事前に団体登録をしたり、開催許可をとったりする必要があるそうです。そのおかげで中華系以外の国民が不快な思いをせずに暮らせる多民族・多文化国家が実現しているとも言えるのですが、政府の提示した文化や言語を受け取る国民の側は、アイデンティティの確立に苦しんできたことも事実です。政府の施策では触れられていない大衆芸能や宗教儀礼こそ、シンガポール国民の多くが日ごろ親しんでいるものであり、時代や社会の変化に応じて言語や民族を超えてハイブリットに進化し続けているものです。

 文化政策の日陰に追いやられているこれらの活動を魅力的に思うのは、自分が外国人だからでしょうか。高雄の事例にも共通して言えることは、もともとその場所にあった煩雑さがきれいでお洒落にに整備されすぎてしまうと、そこから排除されてしまう人がでてきて、同時にそこで行なわれる芸術文化活動からは本来備わっている超自然的な力が削がれてしまうように思えます。果たしてそんな場所が創造性を育む拠点と成り得るのか。管理国家という印象の強かったシンガポールですが、今回の研究発表や以前ご紹介した歴史遺産の保存活動を通して、徐々に重層的な社会を実感できるようになってきました。下からの市民の活動を手がかりに、強い国家シンガポールでこそ見えてくる文化政策の役割とここに暮らす人々の反応を今後もご紹介していけたらと思っています。(齋)

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