2013年1月23日水曜日

Awaken the Dragon - 眠りから醒めたシンガポールの龍と焼き物の歴史


 かつてシンガポールで製陶業が栄えたことはあまり知られていません。人気のシンガポール土産の一つに、中華風の花鳥の絵柄とパステルカラーが美しいプラナカン食器(Nyonya Ware)*がありますが、これらは中国からの輸入品です。今回はシンガポールにひっそりと眠っていた登窯と、焼き物の歴史を呼び覚ますAwaken the Dragon Projectをご紹介します。

 ゴムのプランテーションが盛んだったマレー半島では生ゴムの原料となる樹液を溜める容器の需要が高まり、中国からの移民によってゴム園の傍に陶磁器を生産する窯が作られていったそうです。1930年代のシンガポールには9基から20基もの龍窯(りゅうよう・Dragon Kiln/登窯の一種)が存在したといわれていますが、プランテーションの衰退に伴い姿を消し、1980年代にはシンガポール国内に潮州式の窯2基を残すのみとなってしまいました。一方の陶光窯(Thow Kwang Dragon Kiln)はオーナー(Thow Kwang Industry Pte Ltd/陶光工芸有限公司)が保存し陶芸家が作品作りのために年に数回使っており、プラナカン食器が安く手に入る隠れた陶芸の里"Pottery Jangle"として日本人も訪れる場所となっています。他方の源発窯(Guan Huat Dragon Kiln)は1958年につくられ、廃業と共に窯も使われなくなっていたところを2003年にシンガポールの観光局が陶芸家のための工房・Jalan Bahar Clay Studios(JBCS)として修復・整備、今日までその姿を留めています。このJBCSの窯は全長が43mにも及ぶ巨大なものでしたが、使われるのは年に数回のみ。しかも焼く陶器の数が少なく窯前方の一部を使うだけだったため、勢いよく炎と煙を噴出す巨大な龍の姿を見ることはできませんでした。そのうえ二つの龍窯がある地域は、2030年に完成予定の環境に配慮した商業地区・Clean Tech Parkとして再開発が進んでおり、工房の隣では連日重機が作業をしています。龍窯がシンガポールから消えてしまう日は刻一刻と迫っていたのです。

美しい炎が燃え盛る窯の側面。
専門家の指示でボランティアや来場者が薪をくべていく。
  「辰年(Dragon year**)に龍窯(Dragon Kiln)を復活させたい!」そんな状況の中、オーストラリアで陶芸を学び現在はシンガポールで教鞭をとっているMichelle Limは、シンガポールでアートプロジェクトの実績のある社会企業・Post-MuseumのJennifer Teo、Woon Tien Weiと共に龍窯の魅力と歴史を伝えるプロジェクトを企画しました。このプロジェクトはシンガポールの土を使った陶芸ワークショップを行なう第一段階(2012年9月~12月)、約30年ぶりにJBCSの龍窯全体を使って陶器を焼き、窯の復活を祝う第二段階(2013年1月15日~20日)、完成した作品を展示する最終段階(2013年3月)からなるものでした。

龍窯の中で解説を聞く陶芸ワークショップ参加者。
 巨大な龍窯を全て使って陶器を焼くためには沢山の陶器が必要です(JBCSの龍窯の図***)。そこでJBCSに加え博物館や各地のコミュニティーセンター、幼稚園や老人ホームなどで陶芸ワークショップが開催され、3000人以上もの人々が掌に乗るくらいの可愛い作品を作りました。陶芸体験だけでなく歴史遺産としての価値を伝えることを目指したプロジェクトなので、ワークショップでは土をこねる前にシンガポールの製陶業の歴史と、殷の時代までさかのぼる龍窯の歴史、窯の構造、工程、そして電気窯では再現できない美しい仕上がりについてのレクチャーを受けます。JBCSで開催されたワークショップでは、写真のように実際に龍窯の内部に入って解説を聞く機会もありました。ワークショップの最後に参加者は一人ずつ作品と通し番号を持って写真に収まり、アーカイブとしてプロジェクトのブログやFacebookページで公開されています。これらの写真を見ると実に、さまざまな年齢と文化的背景を持つ人々がこのプロジェクトに参加したことがよくわかります。

地元ミュージシャンThe Constant Idealiste
背後のスクリーンにはワークショップ参加者と
作品の写真が映し出される。
 そして1月17日の夜、ついに窯に火が入り、龍が復活するフェスティバルが始まりました。フェスティバル期間中は陶芸家の作品展や体験講座、座談会などが開催されましたが、一番の見所は何と言ってもワークショップの作品を龍窯で焼く作業です。長年使われていなかった窯の内部は修復と清掃が必要。しかし製陶業の廃れたシンガポールでは龍窯を修復できる専門家が見つからず、修復作業はオーストラリアの窖窯専門家・Ian Jonesの指揮のもとに行われました。細長い窯の中全体を熱するためには斜面の下にある入り口から薪を入れ始め、充分な高温に達したら一つ上の部分へ進むという地道な作業が求められます。窯を1300℃まで熱するため、ボランティアが約三日間にわたり昼夜を徹して薪(廃材)をくべ続けました。しかし作業は決して辛いばかりのものではありません。窯の前では写真のように次々と地元のミュージシャンやDJがライブを行い、フェスティバル限定ビールやマッサージ屋まで登場しました。なにより、窯の中の炎に魅了された観客達が次々と作業に加わったため、予定より早いペースで作業が進んだようです。

窯の脇には窯の神様が奉ってある。
左上は釜の中の温度を示す機械。現在1063℃。
 私がJBCSを訪れたのは、しとしとと雨の降る当地にしては肌寒い週末の午後。全体の三分の二辺りまで火が入った龍窯の近くはほのかに暖かく、手前にある窯の口からは美しい炎が見え、尻尾にあたるじ部分からは黒い煙が立ち上っていました。これはまさしく龍の姿。先月ワークショップに参加するため訪問した際は静かに眠っていた龍窯とは全く異なる様相を呈しています。フェスティバルの様子は地元紙も大きく取り上げ、500人以上もの観客がフェスティバルに訪れたと報じていました。 

 プロジェクトの盛り上がりを受け、2013年1月に立ち退きを求められていたJBCSの賃貸契約は2015年まで延長されることになりました。政府も龍窯を残す方向で一帯の開発計画を見直しを考えているとのこと。また主催者側は、一連のイベントを通じてこれまで出会うことのなかったシンガポールの陶芸家たちが一同に介したことが予想外の収穫だったと語っており、今後2年間もフェスティバルを継続したいと考えているそうです。しかし残された課題もあります。JBCSの隣にあるもう一つの龍窯・陶光窯(Thow Kwang dragon kiln)の賃貸契約はあと1年を残すのみですし、二年後にJBCSが閉鎖されてしまったら陶芸家達は低価格で制作を支援してくれる場所を見つけられなくなると懸念しています。

 一緒に窯に薪をくべていたシンガポール人の若者は陶芸をやるのは初めてと言い、工房の向こうで作業を続ける重機を見ながら「ここはもともとジャングルだったのに、それを切り開いてわざわざ新しい木を植えるなんておかしいよね」とつぶやきました。全力疾走のシンガポール社会で振り返ることを忘れていた過去の大切さに気づきはじめる人たちは確実に増えているようです。龍窯復活の熱気はそうした人々の心の変化の一端を伝えていました。(齋)

追記:第2回Awaken the Dragon Kiln Projectも計画中だそうなので、詳細が分かり次第お知らせしたいと思います。

*14世紀末から東南アジアにやってきた中華系移民が土着の民族と結婚して生まれた文化をプラナカン文化と呼ぶ。19世紀に多くのプラナカンがペナンからシンガポールへ移住したため、プラナカン様式の建築物や洋服、料理などはシンガポールを象徴する文化の一つとなっており、プラナカン博物館は日本人にも人気の観光地。
**マジョリティを占める中華系シンガポール人は春節(旧正月)から新年が始まると考える。今年の春節は2月10-11日のため龍窯に火を灯す1月はまだ辰年。
***この図では全長42mとなっているが最新の報道では43mと記されている。

2 件のコメント:

  1. Dragon Kilnをサポートしている者です。このFestivalを通して、多くの方々が様々なことに気づいていただけたらと思います。Projectについて取り上げてくださり、ありがとうございます。

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    1. Mitaさま コメントありがとうございます。友人の紹介で12月の陶芸ワークショップと先日のフェスティバルに参加しました。素晴らしい体験をさせていただいたので、日本のみなさんにもお知らせしたいと思い記事を投稿しました。今後の活動も楽しみにしています。(齋)

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