約二年ぶりにフランスにやってきたyknです。
論文のための文献確認が目的ですが、もうひとつ大事なのは「2013年2月のフランス」を生きること。だから、私版のフランス便りはタイトルも2013年2月限定です。 三週間の短い滞在中に出会うことを、ここに書き留めていこうと思います。
到着から一夜明けた土曜日、パリ市近代美術館の展覧会を観に行きました。L'Art en Guerre France 1938-1947。シンプルなタイトルは、1938-1947年のフランスで「戦争状態にあった芸術」とでも訳した方がよいかしらと思います。戦争の時代に芸術もまた闘っていたのだという意味もあるでしょうか。
スペイン内戦翌年から冷戦開始までの10年間に創作された多数の作品を展示し、当時のアーカイヴ映像コーナーも設けられたこの展覧会で「文化政策」という言葉は一切使われてはいないものの、戦後の文化政策史を研究する私にとっては、その前に起こったことの重さを意識させてくれる展覧会でした。
会場のパリ市近代美術館は1937年博覧会で建てられたパレ・ド・トーキョーに1942年に開設された国立近代美術館が前身です。ナチスドイツ占領下の開館時は外国人作家の作品や抽象画を一切除外してフランスの近代美術50年が展示されたそうです。その場に立つからこそという部分も今回は大きかったように思います。
十部構成の展覧会は、1938年にパリで開催されたシュルレアリスム国際展に始まり、その年から1946年までフランス国内に存在した強制収容所で生まれた作品の数々、占領時代ヴィシー政権下の芸術家の活動、芸術家を支え続けた個人ギャラリーの活動、国土解放(リベラシオン)後の文化シーン、戦後の美術への影響など、明暗の際立つ波乱の時代をもっぱら作品そのものの展示で見せてくれました。
全体を観終わって思うのは、政権に利用された象徴としての芸術と、同時代の収容所で生まれていた切実な芸術の間にある隔たりの大きさです。前者は芸術とくに美術が社交や公共空間のなかで大きな役割を果たしていた近代社会でこそ政策の対象となった訳ですし、後者は人類が誕生して以来普遍的でもっとも根本的な欲求が生みだすものだと感じさせられました。
「人質」(Jean Fautier)連作展(1945年)に、後の初代文化大臣で作家のアンドレ・マルローが寄せた序文に「近代美術は、芸術の概念と美のそれが分離したときに生まれた」という一文を見て、なんだか胸をうたれました。「文化政策」の実践者が人間にとって芸術とは何かを真に問うているか、を垣間見たようでした。
翻って、日本社会での芸術とは?などいろいろと考えさせられたのですが、さまざまに課題を再認識する展覧会となりました。
(ykn)
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