2013年2月15日金曜日

1942年2月のシンガポール- the Battle of Pasir Panjang Commemorative Walk

 2月上旬はシンガポール国民の8割に相当する中華系の人々が春節(旧正月、今年は2/10)を祝うため、買い物や掃除、帰省ラッシュ、初詣など行い日本のお正月さながらの賑わいとなります。また2月14日のバレンタインデーには男性が女性に花を贈る習慣も広がりつつあるようで、街中では花束を手にしたカップルを見かけることもしばしは。しかしそう遠くない過去を振り返ると、1942年の2月は日本によるシンガポールの占領が始まった時期だということに気づきます。今回はそんな時節に開催された戦争史跡を巡るツアーThe Battle of Pasir Panjang Commemorative Walkをご紹介します。


1.ツアーはこのHeritage Trailに沿って進んだ。
 The Battle of Pasir Panjang Commemorative WalkはRaffles Museum*のスタッフが年に一度だけ開催する、歴史遺産と自然の散策ツアー。Pasir Panjanとはマレー語で長い砂浜を意味します。シンガポール東南部に位置し国立大学(NUS)のキャンパスがあるこの地域は現在Kent Ridgeと呼ばれ、海側は一面埋め立てとコンテナターミナルで砂浜は見る影もありませんが、市街地のビル郡とタンカーの浮かぶ海が一望できる地形はここが軍事的な要所だったことを物語っています。1942年2月8日シンガポールに上陸した日本軍は、同月13日、このPasir Panjang地域でシンガポール最後の戦いのひとつとなる激戦を繰り広げます。今年のツアーはNUSと国立アーカイブの協力のもと2月9日に行われ、お正月前の早朝にもかかわらず年齢も国籍も様々な20名以上の参加者が集まり、約5キロの散策(写真1)に向けて出発しました。

2.土着の植物が生い茂る道路。
政府の進める芝生を使った緑化では
ここまでの多様性は確保できないとのこと。
出発点はClementy road近くに位置するUniversity Cultural Centre。2月13日に南下してきた日本軍18師団とこの地域を守備していた第一マレー連隊、英国第二砲兵連隊、第44インド旅団との間で戦闘が始まった場所といわれています。今回のツアーを引率した生物学者N. Sivasothi aka Otterman氏は、臨場感あふれる語り口と客観的な視点で戦時中の歴史から生態系までを幅広く紹介してくれました。またNUSの初期の校舎については建築学者が、キャンパス内の自然やPasir Panjangがまだ砂浜だった頃の記憶は幼少期を当地で過ごした地域の方々が雄弁に語ってくれました(写真2)。国の土地利用計画が先月発表されたばかりということもあり、持続可能で土着の生態系を維持できる開発と環境保全に関してもガイドと参加者の会話は盛り上がったのですが、なんといっても我々日本人に重く響いたのは戦時中の記憶でした。
3.NUSのキャンパス内に残るイギリス軍の
見張り小屋の廃屋。通常は立ち入り禁止。

 開発の過程で丘を削り海を埋め立ててきたシンガポールにありながら珍しく丘陵の地形が残っているNUSの敷地を歩きながら、暑さの中戦った各国の兵士たちに想いを馳せます。NUSキャンパス内に現存する英軍基地の遺構を巡り(写真3)、大学に隣接するKent Ridge Parkへと歩みを進めた私たちは、急な階段を息を切らして登り、高台の上に立つ記念碑にたどり着きました(写真4)。ここはPasir Panjangの戦いで最後の拠点となったBukit Chandu(アヘンの丘)と呼ばれる場所。記念碑は数的劣勢にもかかわらず二日間にわたって日本軍の侵攻を食い止めたマレー連隊と隊を率いたAdnan Saidi中尉の功績を伝えるもので、英語、中国語、マレー語、タミル語、日本語で解説が書かれています。
4.Bukit Chanduに立つ記念碑。

 Bukit Chanduからユーカリの大木が植わっている坂道を下ると、緑が美しい森を見下ろす吊橋のようになった遊歩道に出ます。爽やかな風が吹き抜ける遊歩道の中程には戦史を伝える解説パネルが(写真5)。遊歩道から見えるアレクサンドラ病院は、戦時中アジアで最も優れた技術と設備をそなえる英国の軍事病院でした。2月14日の午後、Bukit Chanduでマレー連隊を破った日本軍はこの軍事病院を襲撃し無抵抗の入院患者や医療関係者200人余りが虐殺されたとの解説がなされています(ツアーガイドが、虐殺を遺憾に思った日本の司令官が後日謝罪に訪れたと補足してくれましたが、謝罪の事実は文書や博物館の展示では確認できていません)。

5.軍事病院での虐殺を解説するパネル。
吊橋遊歩道を渡ると、ツアーの終着点・Reflections of Bukit Chanduが見えてきます(写真6)。National Archivesが運営するこの戦争記念館はPasir Panjangの戦い60周年を記念し2002年にコロニアル様式の邸宅を改装してオープンしました。内部には戦時中の遺留品が展示され、数少ない生存者の語りと当時の映像が日本軍の上陸からシンガポール陥落までの過程をドラマチックに伝えています。Kent Ridge Park(Bukit Chandu)の記念碑も、この記念館も、今回のツアーなしに訪れたら国のために命を散らした愛国者達のヒロイズムのメッセージとして私たちには演出過剰に映ったかもしれません。しかし肉親を戦争でなくしたシンガポーリアンや戦後この地に住み続けてきた人々と対話をしながらの散策の後では、一般化された戦争の悲劇ではなく個人の記憶としてまず耳を傾けるべきだという気持ちが勝りました。5時間近くにわたる散策の後で疲れきっているに違いないほかの参加者も同じ思いを共有したようで、記念館の展示を熱心に鑑賞していました。

6.戦争記念館の概観。
日本語のオーディオガイドも貸し出している。
当地の日本人学校ではシンガポール攻略と占領時代の歴史についてかなり詳細な授業が行われるそうですが、仕事で移住した日本人の中には東南アジアの戦史に触れずに帰国してしまう人も多いのではないでしょうか。多くの人々が日本食やポップカルチャーを愛好し、日本語学習者も多いシンガポールは、日本人にとっても居心地のいい環境です。シンガポールがビジネスの拠点や旅行先として注目を集める今だからこそ、好意的な側面だけでなく、多くの犠牲を生んだ第二次大戦と中華系住民やゲリラの粛清が行われ、シンガポール人が「暗黒の日々」と呼ぶ日本の占領期の歴史に意識的に向き合っていく必要があると痛感したツアーでした。今回の散策に参加した日本人は私と友人の二人だけでしたが、71年前シンガポールが昭南島となった2月15日に、この活動と史実を共有したいと思いこれを書いています。みなさんがシンガポールにいらっしゃる際、この遠くない昔の記憶を少しでも思い出していただけたら幸いです**。(齋)
 
*The Raffles Museum of Biodiversity Research (RMBR) 1998年に設立された研究機関。シンガポールの創設者で優れた博物学者でもあったスタンフォード・ラッフルズと1849年に彼の意思により設立された自然史博物館にちなむ。現在はNUSの一部として当時の自然史関連の所蔵品を管理、自然科学の調査研究を行い、ギャラリーで成果を展示している。  
**シンガポールにおける第二次世界大戦と日本占領期の歴史については国立博物館や、イギリスのArthur Percivalが山下奉文に降伏宣言をした旧fフォード工場でも展示を見ることができます。

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