ゼミ合宿全回参加の古株です。修論ゼミが当初の眼目だったこの合宿、激しく移動して合宿地を目いっぱい見学しながらゼミ発表&議論という形がすっかり定着しましたね。新しい環境でさまざまな発見をし、日頃顔を合わせる機会の少ないメンバーとも一緒にディスカッションする。二つの刺激は相乗効果があるように思います。今回も心に残る旅となりました。単なる個人の“よい経験”に終わらせないためには、これからもしつこく考え続けることが必要ですが、考える作業の負荷は意外に大きくて、それに耐える訓練あるいは楽しむ習慣が身についていないと放り出してしまいそうになります。集団のなかでさまざまなテーマに思いを巡らせ、的確な言葉とタイミングでアウトプットする大切さをいやでも意識させられた三日間(+オプション)は、その意味で「強化合宿」でもありました。(自らの力不足への後悔をこめて書いています。)年齢も学部の専攻も職業経験もさまざまな仲間がいるとは、稀有な貴重なことだとあらためて思います。
合宿の魅力は、見知らぬまちの“内部”につながる機会が組み込まれていることでもあります。お会いした方々はひじょうに明晰に、歴史や地域の文脈を含めてご自分たちの活動を語ってくださいました。そのために必要な綿密な事前準備をしてくださった幹事学年の皆さんと、故郷を開いてくださったおふたりにとても感謝しています。ありがとうございました。「こんな方がいらっしゃるんだ!」と連日感激するなんて、これもまた普通の経験ではありません。
金沢で“city fathers”という言葉を聞きましたが、どの訪問地でも市民の共同体としてのまち(=city)の未来を、大きな家族の将来のように考えて行動している人たちにお会いできました。現実具体的な人の集合体である地域が課題として眼前にあるとき、NPO、行政、経済界、町会などさまざまな立場から他の立場へ働き掛けるのは自然なことなのかも知れません。それがうまくいく理由のひとつは、向かい合う人を逸らさない魅力だな・・・とcity fathers and mothersのお話を聞きながら思うことしばしばでした。
外部との接触が方向性を定める契機になったことも共通していました。豪雨後のボランティア受け入れが発端となった河和田アートキャンプ。美術批評家の参加が理念をつくった金津創作の森。全国的な戦後復興の流れとの差異化によって自らの特徴と力を見極めた金沢。俳優との出会いが出発点の能登演劇堂。町家再発見から動き始めた一本杉通り。・・・9年前に一本杉を訪れた方の名は、そういえば去年は石見でもお聞きしました。まちの”中”で活動する人も、”外”からその力を見定めて応援する人も両方重要だと思います。
今とりくんでいる都市文化政策や文化施設の研究によって、存在している価値を見出し、社会の中で必要としている人に向けてきちんと表現できる「目利き」になれるだろうか?――― と合宿の最後に自問しました。文化資源学の課題のようでもあります。なにしろ「70歳以下は若手」と聞いたばかりでしたから、少し難しい課題を自分にこれから課してみてもよいだろう、と思いながら虹の見える一本杉通りを歩きました。
合宿の訪問を受け入れてくださった皆さまには、心より御礼を申し上げます。
(ykn)
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