合宿も迫って参りましたが、皆様いかがお過ごしですか。
まだNYの投稿も途中ですが、今回は8月3-5日に香川県にて開催された木下ゼミ合宿について書きたいと思います。
と言っても、メインプラン及びオプションの丸亀城は他の参加者にお任せするとして、私は高松市美術館と直島について2回にわたりレポートしたいと思います。
【高松市美術館】
3日に行われた懇親会に高松市美学芸員の毛利さんとアーティストの山本さんがいらっしゃり、展覧会のご紹介を頂いたので翌日に行ってきました。なんと8月4日は美術館の開館記念日で入館無料。企画展「Takamatsu Contemporary Art Annual vol. 02 Gifts and Exchange」と常設展「旅のはざまでー私はここにいますー」を鑑賞しました。
企画展の概要は以下の通りです。
企画展「Takamatsu Contemporary Art Annual」は、新進気鋭の作家を発掘・紹介する年に一度の現代美術のグループ展で、パイロット展としての「vol. 00」、瀬戸内国際芸術祭2010の連携企画としての「vol. 01」に引き続き「vol. 02」が開催されている。
今回のテーマ「贈り物と交換」は、昨年の3.11を経て芸術とコミュニケーションの開かれた可能性を探るキーワードとして設定された。市場原理主義とは違うものとして、混迷した社会の中で芸術が果たす役割を「パーソナルな贈り物(獲得ではなく贈る)とその交換(時代や場所を超えて)によって成り立つコミュニケーション」として捉えている。
作家:平野薫、山本高之、和泉希洋志、GABOMI、八木良太
(以上、高松市美HPを参照 http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/ex_special/s243.html)
作品自体は実際にご覧頂くとして、本来使わないであろう場所(休憩室1などというプレートが掛かっている小部屋、あるいは通路)まで余す所無く利用し、見せる工夫をされている事が印象深かったです。
常設展の概要は以下の通りです。
いつの時代も国境をまたぐ美術家たちは後を絶たず、未知なる世界に自ら身を置き制作に挑んでいる。今回の展示では、近年収蔵品に加えられた作品の中から、海外に拠点を置き挑戦している12名の作家にスポットを当てた。出展作家に共通するのは、物理的に境界線を移動し、思考や視点を少しずつ移行あるいはずらしてみていることである。
こちらの常設展は、イケムラレイコ、奈良美智、O JUN、志賀理江子、大岩オスカール、照屋勇賢らの作品が展示されていました。
一方隣の展示室では、こちらも常設展として讃岐漆芸作品が展示されていました。
【直島:地中美術館】
3日目はオプショナルツアーの丸亀城ではなく、直島に行きました。
当初直島から倉敷という強行スケジュールを組んでいたのですが、ほぼ全員の方々から「それ無理、大原美術館はいなくならないんだし直島だけにした方が良い」という極めて建設的な御意見を頂き、直島だけに決めました。
朝一番のフェリーに乗りゆるゆると直島へ。
作品と言うよりもはや公園の遊具に近い赤いかぼちゃがある港には、ガラス張りの総合案内所があり、その奥には民家と自然が広がっています。
移動手段として自転車を選択した私ともう1名は、最初は心地好い風に吹かれ、途中からはひいひい言いながらアップダウンを越えて地中美術館(の発券所兼待合室)へ到着。
地中美術館とは
「自然と人間を考える場所」として2004年に設立。直島の南側に位置し、館内にはクロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品が安藤忠雄設計の建物に恒久設置されている。アーティストと建築家とが互いに構想をぶつけ合い作り上げたこの美術館は、建物全体が巨大なサイトスペシフィック・ワークといえる。直島の美しい景観を損なわないよう建物の大半が地下に埋設されたこの美術館は、地下でありながら自然光が降り注ぎ、一日を通して、また四季を通して作品や空間の表情が刻々と変わる。
(以上、ベネッセアートサイト直島HPを参照 http://www.benesse-artsite.jp/chichu/index.html)
そこにもまたガラス張りの待合室で、中には人が沢山。「美術館に入館するための説明を受けるために待つ」というちょっと不思議な体験をしました。
もう1人が合流し3人組となった私達は、白衣(?)を着たスタッフから地中美術館の概要と注意事項を聞き、券を購入(学割もなく高いです)、歩いて5分の美術館入り口へ。
そこでも入場コントロールを経て、いよいよ中へ。
安藤忠雄建築の特徴である硬質でストイックな建物とそこへの光の取り方を鑑賞しながら回廊を回って、Walter de Mariaの作品へ。
そこにも係の方がいて、「静けさも作品の一部なので静かにして下さい、また金の棒にはお手を触れぬ様」という注意を受けました。
薄暗い館内で全身真っ白、黒髪ポニーテールのスタッフに何度も注意を受けている様子は、さながら精神病棟にいる様です。あたかも自分が精神病患者になり管理されている様な気分にさえなります。
展示室内に入ると一転、上にぽっかり開いた天窓から差し込む光が眩しく、黄金の木彫が配された室内はまるで祭壇の様。その中に異質な玉がぽかり。
館内にはキャプション等一切無いので、果敢に「病棟」監視員の方に話しかけにいくと、意外と気さくに作品概要や建物との兼ね合い、また作品に対する個人的感想まで話して下さりました。
NYのPS1で悪天候のため見れなかったJames Turrellの作品は3点。とりわけOpen Fieldは光と空間の知覚に驚きと興奮と感嘆をもたらすものでした。
私達3人のうちの1人が、事前に「奥へは行かないで」と言われていたにもかかわらず思わず作品奥へ駆け出し、強烈な警告ブザーがなるというハプニング。しかしこの挑戦を通じて、壁に見えている向こう側は実は壁ではないという事実が発覚し、思わず目を皿の様にして眺めてしまいました。
そして最後に皆大好き(?)Claude Monetです。
この「精神病棟」でMonetの作品がどの様に展示されるのか期待と不安半分半分な思いでいましたが、薄暗い前室を抜けて広がる、本家オランジュリーの展示にインスパイアされたという配置は意外と無難。とは言え真っ白な壁に最小限の白い枠とガラス板でフレーミングされた「睡蓮」は、やはり印象が大分違います。
この部屋の設計では(Monetとはさすがに話し合いの末設計というわけには行かないですが)、自然光とは思えない程室内に大量の光が取り込まれており、不思議と作品が出来た当時の光に思いを馳せてしまいます。
また、床は細かな大理石が小さくサイコロ状にカットされ一つ一つ埋め込まれており、印象派表現の科学的な側面を表している様です。この大理石には補色となるオレンジも所々組み込まれ、真っ白で張りつめた空間に少しのゆとりをもたらしてくれます。
ジヴェルニーの風景を模した小道が美術館入り口前にありますが、この敷き詰められた大理石も小川の砂利を想起させます。
ここで、この病棟の組織図が気になり始めた私達は、スタッフの方を直撃。
ここで働かれている方々は、公益財団法人直島福武美術館財団から島へ派遣されている従業員の方々で、学芸員資格を持つ方もいれば持たない方もいるとの事。
全て恒久展示のためいわゆる「学芸員」は必要なく、ここで働く人たちは館内の案内をしたり、所蔵作品やそれに関連のある研究をしたりしているそうです。
続く。
(M.O)
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