今年も、M1の人が本当によく準備をしてくれて、思いがけなくいろいろなところ回ることができました。本当にありがとう。最後のお小言は、次にこんなことを企画するときに心がけておいてくれると、もっとうまくできますよということです。毎年思いがけずうまくいったり、いかなかったりということがありますが、合宿が上手に運営できることが最終目標ではありません。基本は学生間、学生と教員間の信頼関係の構築です。人文社会系の研究は、ほとんどが一人で行うものですが、本当に一人だけの力でできることというのは限られています。共通の考え方の基盤や方法論をもって、どれだけ公正に議論ができるかということで、論理矛盾に気づいたり、研究が思いがけなく進展したりします。さしずめ文化資源学の学生は、「文化」に某かに興味を持っているということについては、間違えなく共通だといえるでしょう。合宿は、そのようなことを確認したり、関係を築いていったり、学んでいく上ではうってつけの場ということだということです。でもM1の人は合宿運営で忙しく、先輩たちや教員と話す余裕がないですね。そうであるからこそ、先輩の方から積極的に声をかけてあげてほしいなと思っているということです。
さて、基本的に、合宿に行くと、やはり人と、食、とお酒、かなと思います。食もお酒も語りたいですが、今回も大勢の方とお目にかかれて、短い間ながらも様々なことを伺えた上に、いろいろなことを考えました。総括するつもりはありませんが、やはり民の力かなっと。行政の側ではなくて、民間の側が、自分たちの地域や文化をこうしたい、と思って行動するか否かということにかかっているということを改めて実感させられました。それが成功しても、しなくても、そうやって行動をしている人たちは生き生きとしていて、巻き込まれていく感じがしました。河和田アートキャンプの関係で集まってくださった皆さんも、福光酒造の福光社長も、そして一本杉通りの町会長の北林さんも、行政を頼ろうとしているわけでもなく、だからといって馬鹿にしているでもなく、対等のパートナーとして関係を構築しようとしている姿がみえました。むしろそれらを、行政側が行政の得意な方法でどのようにサポートできるのか、あるいは変われるのかというところなのだと思いますが、これができていないところというのが多いのではないでしょうか。言葉尻の市民参加や民営化ではできないことですね。
私が金沢市の職員の方のご説明で感心したのは、学生の質問で、長い間行われている文学賞が開催されるに至った経緯を尋ねたときです。自分が担当の時ではなかったにも関わらず、「〜と聞いている」と裏話的なことも明確に応えられたことです。行政は人が代わっても継続性を担保するということになっていますが、なぜか文化の領域は人に依存している事例が多く見られ、行政の基本原則が通用していないところがあります。それが良く働くこともあるのですが、悪く働く方が多いように思います。金沢市の職員の方の受け答えに、金沢市の文化行政の優れているところと職員の方の優秀さをみました。
(M.K)
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