2012年8月24日金曜日

合宿に関して

 文化資源学と同じ人文社会系研究科にある現代文芸論研究室に所属する者です。普段は欧米の戯曲のテクスト分析をしている私ですが、演劇好きが高じて芝居小屋を巡っているうちに劇場そのものについて、そして(特に去年の震災以降)舞台芸術が社会に対してできることはあるのかなどと考えるようになりました。この合宿で疑問が解けたとは思いませんが、文章と向き合うのとはまた違った体験ができました。
 普段アートというと作品(演劇の場合はそれが戯曲であれ舞台であれ)にしか注目しませんが、今回訪れた地域で重視されているのはむしろ完成までの過程でした。たとえば河和田アートキャンプでは制作側の学生と地元の人々をどう繋げていくかが課題でしたし、金沢市民芸術村では名の通り市民が文化の(受け手ではなく)担い手として位置づけられています。もちろんこの過程全てをアートと呼ぶこともできるでしょう。いずれにせよ、作品はどこからともなく現れるのではなく、その裏には必ず人がいる。
 今回は文化施設のみならず、文化によるまちづくりの現場を多く見せていただきましたが、そこにいる人々如何で現場の雰囲気はこうも違うのか、と痛感することもありました。自分が行っていることについて、明確なヴィジョンを持った方の体験談が魅力的だったのは言うまでもありません。様々な名言を聞いた三日間のうち、個人的に一番なのは、最終日に出会った一本杉商店街の北林氏の「一本杉は何もないけれど、人はおる」です。
 ちなみにこれは合宿と直接は関係しないのですが、皆さんの研究発表に際して、文化資源学とはどんな学問なのか常に自問している(というより各自の研究において後々「伝統」と呼べそうなものを作っていく)姿勢が印象に残りました。というのも「専門が皆バラバラ」は現代文芸論にも共通する事態であり、自分たちは何のために集っているのか一見分かりにくいこともしばしばです。皆を繋ぐ大まかな枠が「文化」か「文学」かという点では違うけれども、二つの研究室の雰囲気は似ていました。こういう場所に身を置くのが好きな性分なのかもしれません。
 他の人の話を聞くのが好きな人間にとって、この三日間は楽しいものでした(酷暑には参ったけれども)。最後に、参加を許可してくださった小林先生、門外漢の私に対し気さくに接してくださった皆さまにお礼を申し上げます。ありがとうございました。

(N.N)

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