M1のRaeです。
今年の8月1日にびわ湖ホールで行われたオペラ演出家のコンビチュニー氏、沼尻芸術監督、演出家の平田オリザ氏による対談を聞いてきました。
主に日本におけるオペラの演出について話し合いが行われたのですが、日本におけるオペラ演出の位置がまだまだ脆弱というか、そもそも役割が曖昧だなあと感じました。
コンビチュニー氏によると、ドイツでは5,6カ所でオペラ演出を専攻として5年間学ぶことができる大学があり、そこでは哲学、心理学、音楽理論など…多岐に亘る学問を学ぶことになっているそうです。更に演出家志望の学生は歌手志望の学生とともに仕事を行うことが出来るそうですが、日本では全くと言っていいほどそのようなシステムがありません。平田氏は来年以降に東京芸大で演技を教えることになっているようですが、遅ればせながらようやく音大が一歩を踏み出したところということで、これからのオペラ演出の将来に対して不安と期待がないまぜになっているような印象を受けました。
オペラ演出の将来について言えば、平田氏によるとフランスでは演出家を養成するところがないものの演出家が憧れの職業であるそうです。但し大部分の人がなれず、挫折した結果、その人たちは官僚や、公務員になっていくそうでそれは強みだと述べていました。もしこれが事実ならば素晴らしいことですね。しかも、日本でも出来ないことではないでしょう。積極的に採用するために枠を設けてみれば…などと考えてしまいます。更に、以前のブログにも書きましたが劇場が若い演出家を育てる場になっていけば良いですね。昔国立劇場がやっていた小オペラシリーズやびわ湖ホールのオペラアカデミーの行方知れず
というのはなんとも勿体無い話ですね。
取り敢えず、オペラ演出の件だけ抜粋してみましたが、他にも日本のオペラ界に聳える会員制という壁や、演出家になるために必要なコネクションについても話が進みました。今、東大では本郷と駒場の両キャンパスでオペラ演出についての授業が行われています。授業では日本オペラの問題点がテーマではないのですが、一度考え始めると劇場に行くたびにそんなことを考えてしまいます。ある意味、楽しい鑑賞の仕方ではないです。また考えついたら投稿します。
2014年10月30日木曜日
公開研究会を開催します
11月5日(水)に公開研究会を開催します。
CRファクトリー事務局長さんの五井渕利明さんをお迎えして、様々な利害を持つ人たちの合意形成をどのように行って行くのかということを、ご経験からお聞きする研究会を開催します。
五井渕利明さん
2011年にCRファクトリーに参画。「すべての人が居場所と仲間を持って心豊かに生きる社会」の実現を目指しながら、ワークショップの企画・運営などの「コミュニティ・運営支援事業」を展開しています。CRファクトリー以外では、ものがたり法人FireWorksのプロジェクト・コーディネーターを務めていらっしゃいます。
日時:11月5日(水)14:50〜16:30
会場は東京大学本郷キャンパス内の教室になります。お申し込みいただいた方に、場所をお伝えします。
会場の都合上、事前のご参加申込みをお願いします(締めきり11月4日)
marisemi.blog@gmail.com
なお、本研究会は、科学研究費基盤研究(B)「地域文化政策領域における『新しい公共 』の担い手と環境整備」の一環で行います。
(小林真理)
CRファクトリー事務局長さんの五井渕利明さんをお迎えして、様々な利害を持つ人たちの合意形成をどのように行って行くのかということを、ご経験からお聞きする研究会を開催します。
五井渕利明さん
2011年にCRファクトリーに参画。「すべての人が居場所と仲間を持って心豊かに生きる社会」の実現を目指しながら、ワークショップの企画・運営などの「コミュニティ・運営支援事業」を展開しています。CRファクトリー以外では、ものがたり法人FireWorksのプロジェクト・コーディネーターを務めていらっしゃいます。
日時:11月5日(水)14:50〜16:30
会場は東京大学本郷キャンパス内の教室になります。お申し込みいただいた方に、場所をお伝えします。
会場の都合上、事前のご参加申込みをお願いします(締めきり11月4日)
marisemi.blog@gmail.com
なお、本研究会は、科学研究費基盤研究(B)「地域文化政策領域における『新しい公共 』の担い手と環境整備」の一環で行います。
(小林真理)
2014年10月28日火曜日
今日は大学図書館にてソーラン節の発表会でした
本日10月28日、ワルシャワのポーランド・ユダヤ人歴史博物館が全館開業しました。
1970年、西ドイツのブラント首相がナチスの犯罪行為に対する謝罪の意を示すためにワルシャワ・ゲットー慰霊碑の前で跪いた写真は世界史の教科書でおなじみですが、その慰霊碑の目の前に博物館はあります。ポーランドにおけるユダヤ文化1000年間の歴史を体感できる常設展示が最大の見どころとなっています。何でも大戦前の生活にまつわる展示室では人々で賑わっていた通りの日常的な音や匂いまで感じられるのだそうです。先日、既に入ることのできる特別展(「博物館はどうやって作るのか?」)に行ってきました。それによると設立計画は1993年に始まり、現在までの二十年間に博物館に関する捉え方が世界的に変わるとともに(知識の殿堂から開かれた場所へ)、当施設の計画も変わっていったという経緯が興味深かったです。
話が変わりますが、正直ワルシャワは暮らしてみると面白い街であっても、観光向けの街とは言い難いです。日本の旅行会社が中欧の旅と称してウィーン、プラハ、ブタペストのツアーを組むことはあっても、その中にワルシャワは入りません(クラコフは入ってもいいのでは?と思います)。ここは戦後建て直され、観光ガイドに載るような見どころがそれこそショパンしか思いつかない街です。もちろん細かく見ていけば唯一無二の面白さはいくらでも見つかりますが。
そして“観光ガイドに載るような歴史”に乏しい原因の一つに、大戦前後でこの国が多文化から「ポーランド人、ポーランド語、カトリック」の単一文化へと劇的に変化したこと、その際1000年にわたり蓄積されてきたユダヤ文化が根こそぎ失われたことが挙げられるのではと考えます。特別展でも、この博物館は過去を振り返るためだけにあるのではない、あくまで現在・未来のための施設であり、ユダヤ人のみならずむしろワルシャワ市民にとって重要な意味を持つ施設だと強調されていました。ここはホロコーストだけに焦点を当てる施設ではない、「ユダヤ人がいかに死んでいったか」だけではなく「ユダヤ人がいかに生きていた、生きているか」を探るということです(現在国内には約2万人が暮らしているとされています)。
現在のワルシャワでユダヤ文化の痕跡を探そうと思っても、記念碑以外のそれはほとんどないのが現状です(だからこそ前回紹介したヤシの木が意味を持ちます)。この状況は逆説的に常設展示の特徴へと繋がります。歴史的に価値のある物があまり残っていないからこそ、五感に訴えるような新しい展示法が採用されました。複雑な装飾が豪華なシナゴーグは展示の目玉ですが、それを館内に再建することで建築技術の継承も目指したわけです。全館開業前から、この施設は市民に向けて音楽やシンポジウムといった多くの事業を行い、より広い理解を得るために努めてきたようです。
(N.N.)
話が変わりますが、正直ワルシャワは暮らしてみると面白い街であっても、観光向けの街とは言い難いです。日本の旅行会社が中欧の旅と称してウィーン、プラハ、ブタペストのツアーを組むことはあっても、その中にワルシャワは入りません(クラコフは入ってもいいのでは?と思います)。ここは戦後建て直され、観光ガイドに載るような見どころがそれこそショパンしか思いつかない街です。もちろん細かく見ていけば唯一無二の面白さはいくらでも見つかりますが。
そして“観光ガイドに載るような歴史”に乏しい原因の一つに、大戦前後でこの国が多文化から「ポーランド人、ポーランド語、カトリック」の単一文化へと劇的に変化したこと、その際1000年にわたり蓄積されてきたユダヤ文化が根こそぎ失われたことが挙げられるのではと考えます。特別展でも、この博物館は過去を振り返るためだけにあるのではない、あくまで現在・未来のための施設であり、ユダヤ人のみならずむしろワルシャワ市民にとって重要な意味を持つ施設だと強調されていました。ここはホロコーストだけに焦点を当てる施設ではない、「ユダヤ人がいかに死んでいったか」だけではなく「ユダヤ人がいかに生きていた、生きているか」を探るということです(現在国内には約2万人が暮らしているとされています)。
現在のワルシャワでユダヤ文化の痕跡を探そうと思っても、記念碑以外のそれはほとんどないのが現状です(だからこそ前回紹介したヤシの木が意味を持ちます)。この状況は逆説的に常設展示の特徴へと繋がります。歴史的に価値のある物があまり残っていないからこそ、五感に訴えるような新しい展示法が採用されました。複雑な装飾が豪華なシナゴーグは展示の目玉ですが、それを館内に再建することで建築技術の継承も目指したわけです。全館開業前から、この施設は市民に向けて音楽やシンポジウムといった多くの事業を行い、より広い理解を得るために努めてきたようです。
この博物館が本当にワルシャワ市民の我が街に対する理解を深める助けになるのかは現時点では分かりませんが、大きな目的意識を持って建てられたことは確かです。
最後に博物館の後に行った場所の写真を。戦災を逃れ110年以上の歴史を持つHala
Mirowskaは市民の台所といった野外市場ですが、そこにはかつてゲットーの壁があったことを示す表示が残っています。そして意外だったのが中心部に位置するPróżna通り。かつてはユダヤ人居住区として賑わっていたこの通りは、戦後すっかり寂れてしまっていると紹介されていました。今回行ってみたところ、確かに崩れ落ちそうな建物の壁が見える一方で、その建物上層階には真新しい工事用シートがかけられていました。その向かい側には洒落たレストランがあり、名前の通り「空っぽ」だった通りも趣を変えつつありました。ただしそれは本来この場所が中心部という一等地であることを活かした再開発であり、過去の復元といった方向には向かわない模様です。
(N.N.)
2014年10月25日土曜日
あたり前をつくりだす大切さ ~ホールで安全にすごしてもらうために~
先週、研修として「普通救命講習」を受けてきました。
私も数年前に自分の施設に設置されたときに研修を受けたきりだったので
今回は復習もかねて講習に参加しました。
医師や看護師ではないホールスタッフではできることが限られてしまいます。
もちろん救急車を呼ぶことはできますが
それまでに容体が変化したときに、どこまで対応ができるかは
個人の行動次第です。
そういった現場に遭遇してどれだけ冷静でいられるかはわかりませんが
それでも、
AEDが「見たことのない機械」⇒「知っている機械」になることは
大きいと思います。
どうしても多くの人がホールで働くということは
「コンサートの制作ができる」「裏方としてアーティストとやりとりをする」
といったプロデュース面を強く捉えているように思えます。
それに拍車をかけるように劇場法も制定されて
ますますスタッフの専門性が謳われるようになりました。
しかし、
それはたくさんのお客様が集まるホールの「あたりまえの安全」があってからこそ、
なのではないでしょうか。
安全に使えないホールではどんな事業もできないし、お客様を迎えることもできません。
公共文化施設を考えるにあたって、自分ももう少し目を向けてみたいなと思う
今日この頃です。
(Nobu)
みなさんも こういったAEDを みかけたことが あると思います |
現在では一般市民でも自動体外式除細動器(AED)の使用が許可されており
多くの公共機関で設置されるようになりました。
それは文化施設も例外ではありません。
むしろ一度に多くの人が集まる文化施設だからこそ、
AEDの設置が不可欠ともいえます。
それでも
とっさに正しく使えるかというと、それは日ごろの訓練が必要になります。私も数年前に自分の施設に設置されたときに研修を受けたきりだったので
今回は復習もかねて講習に参加しました。
そこで一番に思ったのは「今回講習を受けてよかった」ということです。
ホールに勤務をして、たくさんのお客様をお迎えしても
いざというときに適切に対応できるかというと医師や看護師ではないホールスタッフではできることが限られてしまいます。
もちろん救急車を呼ぶことはできますが
それまでに容体が変化したときに、どこまで対応ができるかは
個人の行動次第です。
そういった現場に遭遇してどれだけ冷静でいられるかはわかりませんが
それでも、
AEDが「見たことのない機械」⇒「知っている機械」になることは
大きいと思います。
今回、あえてこういったことを書いてみたのには
少しだけ意図があります。どうしても多くの人がホールで働くということは
「コンサートの制作ができる」「裏方としてアーティストとやりとりをする」
といったプロデュース面を強く捉えているように思えます。
それに拍車をかけるように劇場法も制定されて
ますますスタッフの専門性が謳われるようになりました。
しかし、
それはたくさんのお客様が集まるホールの「あたりまえの安全」があってからこそ、
なのではないでしょうか。
安全に使えないホールではどんな事業もできないし、お客様を迎えることもできません。
安全に使えるステージ、安心して座れる座席、温度調節されている場内…。
芸術文化活動の一歩前にある「あたりまえ」について公共文化施設を考えるにあたって、自分ももう少し目を向けてみたいなと思う
今日この頃です。
2014年10月21日火曜日
青海省民族歌舞団来日公演
博論に必要になりそうなもの(?)ということで、半年くらい前から筋トレを始め、自分の身体の内側のことなのに外部のようで、感覚が変わってくる不思議で、確かな変化を感じつつあるharukoです(外からみてもわかりません)。このような経験をすると、ダンサーのように身体を使う方は見えている世界が違うと思ってしまいます。
さて先週末後楽園で「青海省民族歌舞団来日公演」があり、その前日関係者に予期せず誘われ、チベットの歌と演劇を観に出かけてきました。
民族文化の継承や普及、その展示のあり方など、文化政策の重要でデリケートな問題の一つと思いますが、ブログではひとまず今回みたものの簡単な紹介と感想を書かせてもらいます。
今回来日した歌舞団は、チベット自治区が樹立された1965年に設立され、団員はチベット族を中心に構成されています。ある白書によると、「2000年に、自治区の各級の大衆芸術館、文化館(センター)は計400余りに上り、自治区歌舞団、チベット劇団、新劇団を主とする各種のプロ芸術公演団体は25に、大衆的アマ公演団体は160余り、県ウランムチ(文芸工作隊)公演隊は17に上る」そうです。そして、青海省民族歌舞団
は、プロ団体である自治区歌舞団、青海省蔵劇団をより選抜された団員で構成されており、日本で公演を行うのは今回が初めてだったそうです。
公演では全9演目の上演がなされました。おそらく今回の目玉のひとつが、「蔵劇」というチベット族に伝わる民間劇です。蔵劇は、歌、詩、舞踊が一体となった劇で、京劇よりも長い600年以上の歴史があり、2009年にはユネスコの無形文化遺産に登録されました。
個人的に心に残ったのが、「吉祥吟」という演目。これは、蔵劇のような動きや絢爛さはなく、楽器と歌から成るものです。厳格な法会で行われる供養儀式のためのものだそうです。楽器が鐘、大笛、太鼓と手に持つ鈴のようなもの。女声に男声があわさります。
特に、二枚の鐘を打ち鳴らせた後、その音を挟んで共鳴しあわせてできる響きには奥行きがあって、みたこともないチベットの情景が目に浮かぶようで感動してしまいました。その芸能がもともと置かれていた文脈から引き離されると、体験は全く別物になると思いますが、民族文化、地域文化に限らず、現代のあらゆる身の回りの文化体験から受ける感動、情動の根源が何かというのを考えると、そのような側面を持っているのかもしれないなと感じてしまいました。
「楽しませられる」が最大の利益。
修士論文第一生活もあっという間に3分の1使ってしまいましたが、
まだ山の入口付近でうろうろしているpugrinです・・・・・・
そういうわけでブログを書いている場合ではないかもしれませんが
面白い動画を皆さんと共有したく、少しだけ書きます。
https://www.youtube.com/watch?v=SB_0vRnkeOk
赤信号の「止まってる人」マークを躍らせてみたら、
立ち止まってくれる人がぐっと増えた
という動画です。
場所は、ポルトガルの首都リスボン。
信号無視は大きな問題でしたが、この信号のおかげで
止まることが「楽しみ」になり、交通マナーが良くなったという結果が出たのです。
http://matome.naver.jp/odai/2141109593651733001
これ、交通に対する生活課による政策と見ることもですが、
ダンスという文化と、それを投影する現代のテクノロジーを融合した
「インタラクティブメディア・アートの振興」という意味での
文化政策、と見ることもできますよね。
残念ながらこの動画の意図は政策ではなく、
信号へダンスを映す「投影ブース」を作った
メルセデス・ベンツの小ブランド「SMART」の啓発キャンペーンなのですが、
例えば文化政策をする意味って、こういうことじゃないかなあと心打たれました。
規制したり命令したりするのではなく、「楽しませる」。
何か役に立つからダンスをする・見せるのではなく、
「楽しませること」が幅広く役に立つ、そのために文化的なものを活用する。
もちろんそのための枠組みや技術の裏付けあってこそですが、
この動画を見ると少し元気が出てくるのではないかな、と思いました。
ついイベントを作ったり有名な人を呼んだりすることを
文化政策の施策として据えがちですが、
このような発想やそれが出来る人々と一緒にやっていくことこそ、
文化政策の醍醐味のように感じています。
ただ、日本では風営法や習慣、一般常識において
踊る場所や機会が保障されていないことも現実です。
楽しいからと道端で、鼻歌を歌い踊りながら歩く人は奇人変人として避けられるでしょう。
そんな日本でダンスをするという生き方を選んだ人は本当に素晴らしい挑戦者ですよね。
明日、ゼミに伊藤キムさんという世界的なダンサーさんを
ゲストにお迎えすることがとても楽しみです。
必ず大町を直接的に、生身でもって刺激してもらえると確信しています。
絶対に直接言葉を交わさなくては^^
そんなチャンスで黙っていてはもったいない!!
自分自身が今すぐやるという自覚を持つところからゼミは走り出すと思います。
論文が終わったらもっと・・・!と思ってあと1カ月ちょっと、
M1からバトンをちゃんと受け取れるように日々コツコツがんばります。
まだ山の入口付近でうろうろしているpugrinです・・・・・・
そういうわけでブログを書いている場合ではないかもしれませんが
面白い動画を皆さんと共有したく、少しだけ書きます。
https://www.youtube.com/watch?v=SB_0vRnkeOk
赤信号の「止まってる人」マークを躍らせてみたら、
立ち止まってくれる人がぐっと増えた
という動画です。
場所は、ポルトガルの首都リスボン。
信号無視は大きな問題でしたが、この信号のおかげで
止まることが「楽しみ」になり、交通マナーが良くなったという結果が出たのです。
http://matome.naver.jp/odai/2141109593651733001
これ、交通に対する生活課による政策と見ることもですが、
ダンスという文化と、それを投影する現代のテクノロジーを融合した
「インタラクティブメディア・アートの振興」という意味での
文化政策、と見ることもできますよね。
残念ながらこの動画の意図は政策ではなく、
信号へダンスを映す「投影ブース」を作った
メルセデス・ベンツの小ブランド「SMART」の啓発キャンペーンなのですが、
例えば文化政策をする意味って、こういうことじゃないかなあと心打たれました。
規制したり命令したりするのではなく、「楽しませる」。
何か役に立つからダンスをする・見せるのではなく、
「楽しませること」が幅広く役に立つ、そのために文化的なものを活用する。
もちろんそのための枠組みや技術の裏付けあってこそですが、
この動画を見ると少し元気が出てくるのではないかな、と思いました。
ついイベントを作ったり有名な人を呼んだりすることを
文化政策の施策として据えがちですが、
このような発想やそれが出来る人々と一緒にやっていくことこそ、
文化政策の醍醐味のように感じています。
ただ、日本では風営法や習慣、一般常識において
踊る場所や機会が保障されていないことも現実です。
楽しいからと道端で、鼻歌を歌い踊りながら歩く人は奇人変人として避けられるでしょう。
そんな日本でダンスをするという生き方を選んだ人は本当に素晴らしい挑戦者ですよね。
明日、ゼミに伊藤キムさんという世界的なダンサーさんを
ゲストにお迎えすることがとても楽しみです。
必ず大町を直接的に、生身でもって刺激してもらえると確信しています。
絶対に直接言葉を交わさなくては^^
そんなチャンスで黙っていてはもったいない!!
自分自身が今すぐやるという自覚を持つところからゼミは走り出すと思います。
論文が終わったらもっと・・・!と思ってあと1カ月ちょっと、
M1からバトンをちゃんと受け取れるように日々コツコツがんばります。
2014年10月19日日曜日
世の中の「地方創生」の声
ちょっと情報共有を。
「地方創生」が頻繁に話題に出てきたな、ということで貼り付けですみませんが、以下のサイトをご紹介します。
神山に小泉進次郎が自分のスタッフを住まわせたなど、興味深いです。
当初、石破大臣の人事は左遷人事?などと言われてましたが、「地方創生」こそ重要課題と考えるのであればそうでもないわけです。
地方が動き始めないと日本は危ないという危機意識が「本気で」共有されはじめたのかもしれません。小林ゼミでの大町プロジェクトは、だから大事だと改めて思いました。「第六次産業」などで地方創生をめざす人たちもいれば、このゼミでは「文化」で地方創生の試みの一端を担っています。地方の活力を奪った「政府が(誰かが)やってくれる」というメンタリティをどれだけ変えられるかという難しい試みだと思います。そしてそれは地方だけでなく、このプロジェクトに関わり、文化経営を学んでいる私たちのメンタリティの問題にも直結していると思うのです。
とはいえ、修論を書かねばならないので(汗)、プロジェクトに存分に参加できないのが非常に残念です。書き上げたら参入しますので、よろしくお願いいたします!
ちなみにこの記事を書いているのは、水曜5限の小林先生の授業での発表で紹介した参考文献『つながる図書館』を書いた猪谷千香さんです。この本も地方の図書館の多様な取り組みを紹介していて一読の価値ありです。図書館を通して地方創生を考える本です。
追伸
azさん、大町産のラ・カスタ、私も今年お誕生日にもらってシャンプーとトリートメントを使ったのですが、すごくいいですね。勢いで家人にもすすめて買わせてしまいました。大町が誇れる、いい商品だと思います!
(Mube)
2014年10月18日土曜日
地図が変わっていく感覚
私は、舞台芸術の企画制作の仕事をしつつ、この文化資源学研究室、小林ゼミに通っています。
夏季休業中は、仕事の機会に恵まれて、那覇、福岡、北九州、山口、高田豊後(大分)に行きました。そして、この小林ゼミ合宿で行った台湾。言われてみたら、ごくごく当たり前のことなのですが、例えば、福岡からだと東京に行くより韓国(プサン、ソウル)に行く方が距離・時間的にも、そして安いLCC飛行機やフェリーの普及で身軽に行けるということ。(今さらながらでお恥ずかしい話ですが…)沖縄と台湾の歴史的関係等の本も読み、日本と東アジア各国との結びつきをあらためて認識し、自分のなかの地図が変わっていく感覚を覚えました。東京一極集中・発信でない、地域の文化を考えていきたいと常々思っているのに、自分自身の視点があまりに固定していたということに気づかさせられました。
そして、その土地でそこに住む人の話を聞きながら考える、沖縄基地問題や隣国との関係。情報はいくらでも遠方からでも得られることはできますが、その場に身を置いて、体感しながら考える貴重な時間を持つことができました。私が専門とする舞台芸術(ひとつの場所に集まってある一定の時間を共にするもの)を考えるにあたっても、示唆を与えられたように思います。
北九州芸術劇場近くの飲屋街で出会った猫 ちょっと森山大道風(?)に撮影できたと気に入っている写真です |
そして、秋になった今、夏の強い日差しのなかで、疲れてしまった私の髪を、癒しているのは、ラ・カスタのヘアケア製品です。ラ・カスタは、このブログに度々登場する小林ゼミが関わっている長野県大町市に工場があるアルペンローゼ株式会社のプロダクツ。ゼミのなかで何度となく出て来たこのブランドをお店で見つけて、「少々高級だな…」と思いつつ、大町市で作られた製品かと思うと愛着いっぱいで購入しました。今度、大町を訪れた際には、ラ・カスタ ナチュラル ヒーリング ガーデンにもぜひ訪れてみたいものです。毎日、バラの香りを楽しみながら、シャンプーをしています。
大町を訪れたのは、ちょうど旧暦の七夕の時期。
軒先にこのように人形が飾られていました。
真ん中のちょっと無骨な男性は「カ-タリ」といって、
ふたりの恋のキューピッド役。
|
(az/小倉)
2014年10月16日木曜日
ショパン像も定番ですが、紅葉と合わせてみると良いものです
ワルシャワはヨーロッパに位置する首都らしく、文化イベント(今週は30回目を迎える国際映画祭)やウォールアート(落書き防止策としての作品もあれば、市内に残る数少ないシナゴーグ付近にはイディッシュ語で描かれたものもあります)でいっぱいですが、今回は銅像(pomnik)に関する話題を。
この街は政治家や軍人、作家などの銅像で溢れています。花やロウソクが供えられ、お墓と似た扱いを受けている像もあるのが印象的です(建国の父と言われるピウスツキ像やゲットー跡地のモニュメント、右のワルシャワ蜂起記念像など)。
ただ、ここまで数が多いと中には理解に苦しむ作品も混ざり始めます。たとえば国民詩人スウォヴァツキ像は裸体に布をまとっただけのデザインであり(かつ頭がやや小さくてバランスが悪い)、ド・ゴール元仏首相の像には国旗を示す紅白のリボンがなぜかガムテープで貼られていました。
これらの“残念な”二体は2000年代に作られた比較的新しい作品です。個人的には銅像はいかめしく、何より古いという印象がありますので、近年になっても造られ続けていることが意外でした。これは推測にすぎませんが、現在でも像による顕彰が意味を持つのは、つい最近までそれがしづらかったからなのかと思います。前々回紹介したワルシャワ蜂起博物館(2004年開館)の充実した展示も、体制転換前には蜂起を公で取り上げることがタブーだったことの反動だということを知りました。25年前に「誰を顕彰すべきか」の対象ががらりと変わったということです。像を造るのは結局本人ではなく後世の人間ですので、その時々の時代背景に影響を受けるのでしょう。
2011年に一時撤去されて以来、いまだ本来の場所に戻っていないため、今回写真を撮れなかった像にPan Guma(ミスター・ゴム)がいます。戦災を逃れたために古い建物が立ち並ぶプラガ地区(ズゴジェレッツへ行かれた方はあそこの雰囲気をご想像ください)の交差点に立っていたゴム氏は、アルコール依存症により35歳で死去した方をモデルにしているそうです。貧困地区の現状を知ってもらうためにアーティストがゴム氏を街角に設置したのは2009年のこと。ステレオタイプを助長するといった批判もあったそうですが、冬には彼にマフラーを巻く人が出るなどなかなか馴染んでいたようです。地区の開発工事が済めばゴム氏も“帰って”くるとのことですが、ただでさえ工事が予定通り進まないこの街で彼がどうなるかは不明です。
像というよりはインスタレーション作品をもう一つ。街でも有数の大通りaleje Jerozolimskieにはヤシの木が立っています。これは通りの名(イェルサレム)にちなんで、あえて異質な木を置くことで大戦前後に失われたユダヤ文化を思い出す契機になればとの展示だったそうです(戦前、この街の人口は三分の一がユダヤ系)。一時的な展示の予定でしたが支持を受け、2003年からずっと同じ場所にあります。ただ、現在の交差点は繁華街の入り口になっていることもあり、ヤシの木が目立たないほどに交通量が多い場所となりました。私自身、これが件の木だと気付くまで一か月を要しました。
最後に、この街で一番好きな像について。ヴィスワ河を越えたSaska Kępa地区(サクソン木立)は閑静な住宅街で、そこの大通り沿いに著名な作詞家Agnieszka Osieckaの像があります。彼女は生涯の大半をこの地区で過ごし、今もカフェの片隅に座って道行く人々を眺めています。テーブルにはヒット作
“Małgośka”の歌詞が書かれた紙が広げられています。見る人と同じ目の高さである分、銅像にありがちな権威的な印象がないのが気に入っている理由かもしれません。目の表情にも好奇心が垣間見えます。
(N.N.)
2014年10月14日火曜日
はじめまして、M1のK.S.です。私も今年の8月に大町と台北を訪問しましたが、今回は台北の建築保存についてご紹介します。前の投稿と少し被るので、少し詳しめに書いてみました。
最初は一々感動して写真に撮っていましたが、このような町並みばかりなのでいつの間にか慣れてしまいました。
そんな台北も世界中の他都市の例にもれず、1960年代には道路幅を7.8mから20mに広げるという都市計画で歴史的な建物が多く失われたそうです。この道路拡幅と連動してのことだと思いますが、2,3階建ての建物を15階建てまで許容する規制緩和もなされたようです。
そんな開発の時代から保存が模索されていたのが、ゼミで訪問した大稻埕です。この地区は淡水河に隣接し、清朝時代から布や漢方薬などの問屋街として栄えてきました。ここには台北市により都市再生拠点が設置され、ソフト・ハード両面からの整備が進んでいます。
私たちが最初に訪問したのは、URS44大稻埕工作坊というまちづくり拠点です。ここで台北市政府都市発展局の方と台湾歴史資源経理学会の方から説明を受け、その後実際に町並みを歩きながら解説をしていただきました。
以下では写真と共に簡単な解説をしていきます。
これは初期の保存例です。正面のファサードを復元(再現?)し、セットバックした後ろに高層棟が建てられています。
次の保存段階の例がこれです。正面のファサードをかなり正確に復元し、その後ろにセットバックした高層棟を建てています。道路の狭さと敷地の奥行のおかげで高層棟も目立ちません。高層棟のデザインも伝統建築風になりましたね。
最新の段階では、新築で低層の伝統建築を再現しています。本来は鉄筋コンクリートではなく煉瓦造だと思いますが、表面をタイルやモルタルで覆えば分からないでしょうね。低層の建物を建てることで利用できない分の容積率は、地区外に移転できるそうです。
次はソフト面を見ていきます。
次はソフト面を見ていきます。
これはおしゃれな工芸品を集めたお店ですね。元々この地区には無い業種でしょう。ここでお土産でも買おうかと見ていると、日本製の商品が(笑)。
こちらは地元の老舗とのコラボで新しい商品を作り出したという展示です。この展示が行われていたURS127には、都市再生の本を集めた図書コーナーもありました。
この他にも地域の記憶の展示、画廊、日本産食品の店などがありました。もちろん昔ながらの乾物屋さんもあります。
今回は見学していませんが、若者の起業支援なども行われているそうです。既にブログで紹介されている剝皮寮歷史街區の凍結的な保存よりも新しい、文化的な魅力で人と資本を集めるという、都市開発と保存の合わせ技がここでは取られているようです。
歴史的な建物を利用した再開発では外観だけを再現したものが日本でもよく見られますが、それでいいのかと考えさせられた光景を最後に紹介します。
台北で見た商店建築は奥行きが長いので、採光・通風のためと思われる中庭があります。
ここは3階分の高さがあり、各部屋にはデザイナー事務所やケーキ屋が入居していました。外観からは想像できない独特の空間を体験することの驚き、それが長い間存続してきた実物であるという安心感は、やはり何者にも代えがたいものだと実感しました。(K.S.)
2014年10月3日金曜日
アート・アーカイブについて
ご存知の方もいると思いますが、東京アートポイント計画×NPO法人アート&ソサイエティ研究センター P+ARCHIVEというところで、アート・アーカイブ・キットというものが公開されています(http://www.art-society.com/parchive/kit)。
「スターター・パックのダウンロード」は、プロジェクトを実施する際、資料がどこで誰によって作成されるのかについて確認するためのワークシートです。
「アート・アーカイブ・キットPDF」は、プロジェクトの進行に応じて生じてくる資料をアーカイブしていくために考慮するべき事柄が簡潔にまとめられ、アーカイブする際に使える資料が収録されています。
「アート・アーカイブ・ガイドブックβ版+」は、“アーカイブにあまり馴染みのないアート・プロジェクト運営者にアーカイブの目的やその構成を解説し、アート・プロジェクトの活動の記録・保存方法を紹介することを主な目的とした案内書”だとされています。アート・プロジェクトに焦点を当て、アーカイブを作る意味や、プロジェクトの進行に応じてアーカイブ作成のためにどのようなことを考慮してどのような作業をする必要があるのかについて分かりやすくまとめられています。
なぜ記録が必要なのか、記録するときに何を考える必要があるのか、についてある程度認識を共有させておくために、今学期のゼミで記録に関わるような人には「アート・アーカイブ・ガイドブックβ版+」を、時間を見つけて読んでおいてほしいと思ったので、紹介しておきます。
(余談その1)
夏休みに受講したとある集中講義で、講義本体ではあまり取り扱われなかったのですが、受講生の中から「大学文書館」についての話題が提供されたことがありました。大学のxx年史が編纂されて、そのとき収集した資料を保存するような形で大学文書館が設置され、大学における文書の管理と保存が行われるようになることがあるそうです。ただ、そのとき保存の対象とされるのはいわゆる「正史」のようなもので、業務文書とか事務文書が中心になっており、大学で行われている授業に関する記録はよくてもシラバスや便覧くらいで実際の授業で配布されたプリントなどは記録されていないのではないか、そのような誰がどんな授業をやっていたかについての記録も残していくべきなのでは、というような問題提起がされていました。
先日の授業後に先生がちらっと話されていましたが、この授業の記録も色々な形で取られて残されているわけですが、十分に整理されて活用されているか、というとそうでもない部分があり、うまく活用できるように整理も必要ですし、作成時点で保存や整理、活用のことまで考えて記録が作られるような仕組みづくりや運用方法も必要なのだろうな、と思いました。大学全体の文書管理まで扱うことはできませんが、この授業に関してはせっかくこれまでの記録が残されてきているわけですし、何らかの形でうまく記録を保存して活用していけるような仕組みづくりを考えていければな、と思っています。
(余談その2)
再び、とある集中講義での話です。紙の質というのは色々あって、酸性紙は劣化しやすくて中性紙は保存性が高い、再生紙はまだ十分に保存性が実証されていないのだそうです。それで、お高い紙はそれなりに保存性という意味での質もよろしいらしく、戦争期のような物資不足のときは使われている紙も劣悪なものが多くて保存性もよろしくないようです。最近は経費節減という形で安い紙を使うようにとされる場合があるわけですが、安い紙というのはやはりそれなりの質らしく、長期的に保存するべき文書に保存性のあまりよろしくない紙を使うのはどうなのだろうか、という話題がありました。
長期的な視点の必要な事業や制度設計を、短期的な評価軸で評価して進めていくと、後々被害や損失が出る危険性があるわけですが、それらを記録する文書に関しても、短期的な利益のために保存性について考慮することなく記録媒体が選択されると、後で大きな記録の損失が生じる可能性があるのだろうなと思いました。
2014年10月1日水曜日
台湾の歴史的町並み保存ー2020年に向かう日本は?
台湾ゼミ合宿で特に印象に残ったスポットについて書きます。
前乗りのオプションで立ち寄った「剝皮寮歷史街區」です。龍山寺を訪れた際に周辺を散策していたら偶然行き着きました。
剥皮寮の名前は、清の時代に中国の福州から船で杉材が運び込まれ、このあたりで皮を剥いで加工したことに由来します。
剥皮寮は、日本統治時代に老松小学校の一部として設けられましたが、その広大な敷地面積ゆえ、長い間学校として使用されていませんでした。次第にその場所に店が軒を連ねるようになり、商業地区として栄えたそうです。
台湾の伝統的な建築様式と西洋風のバロック様式が融合した剥皮寮の街並みは、近代までほとんど完璧な形で残ってきました。その一方で、老松小学校の老朽化に伴い、剥皮寮にも改築の話が持ち上がります。周辺住民からの反対もあり、台北市政府は1988年よりこの歴史的な街並みを保存し台北の歴史教育の中心とするべく動き出しました。2009年に回収保存工事を終え、剥皮寮の中心的スポットである台北市郷土教育中心も設立されました。
最近では映画のロケ地となったことにより注目度が上がり、かなり多くの人が訪れるようになったそうです。
実際私たちが散策している最中にも、カメラマンとモデルさんがスナップ撮影を行っていました。それほど、統一されたレンガ造りの軒先が美しく、どこかノスタルジックな雰囲気も漂う地区でした。
歩いていると何人かの人が作業している部屋がありました。
展示内容は、障害のある方の手仕事に関するもの。
訪れたときには他の活動は見当たりませんでしたが、いくつもの部屋の利用が広く開かれているようです。
こんな可愛らしい壁画もひときわ目を引きました。
日本では今後、東京オリンピック開催に向けて再開発が進むことと思います。
そのなかで、多くの美しい建物や景観が失われていくのではないかと私は危惧しています。
こうした歴史的建築物の保存と新しい活用方法の開発は、実は急務なのではないでしょうか。
最後に、台湾で最初に食べた衝撃と戦慄のかき氷のお写真。
その名も「Black Humor」「台北ナビ」剥皮寮http://www.taipeinavi.com/miru/136/
「旅々台北」【奇跡的な遺産 剥皮寮歴史街区】http://www.tabitabi-taipei.com/more/2011/0225/index.php
(risaia)
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