mihousagi_nさんがご紹介くださったにもかかわらず出席がかなわなかった自身の学会発表についてもご報告したいところなのですが、今回は国境を越えた表現活動について、今年自分が体験した二つの事例をご紹介したいと思います。
その1:「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書
ご存じの方もいらっしゃるかも知れませんが、文化庁の「諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業」報告書がWeb上で公開されています。私も小林ゼミ同期・Kさんのご紹介で、シンガポールの現地調査をお手伝いさせていただきました。この調査、よりよいレジデンス事業実施のために世界各国の事例を比較検討するという趣旨で行われたのですが、その意義は大きく次の二点に集約されるのではないかと思っています。①現地調査の過程で行われる日本と諸外国の情報交換・人的交流と②現役アーティストがすぐにでも使える多種多様なレジデンス事業を網羅したデータベース的役割です。
報告書冒頭の総括部分に「アーティスト・イン・レジデンスとは(略)アーティストに国境を越えた移動と滞在を促し、各国、各都市の文化的な「価値」や「事情」が人と人を介してグローバルにリレーしていく仕掛けである」(報告書p.3)という記述がありますが、私は調査に関わってこの主張に強く共感しました。というのは、まさに調査の過程が「リレー」の一環に思えたからです。問題意識の高いシンガポールの芸術機関は私達の質問に答えるだけでなく、日本の状況について積極的に情報交換を求めました。「シンガポールのここにこの人が居る」、「日本のここにこの人が居る」という繋がりは、今回限りの調査で終わるものではなく、未来の共同作業への種まきのように見えました。つい先日、公演で東南アジアを訪れていた日本人アーティストをこの調査で知り合ったシンガポールの関係者にご紹介することが出来、私も微力ながらリレーを繋ぐことができました。引続き、バトンを受け渡していけたらと思います。
ひとくちにレジデンス事業と言ってもその目的や形態は様々です。新しい土地で表現の可能性を追求したい表現者が、自分にあった趣旨の事業を選んで参加できれば、滞在制作の効果も倍増ではないでしょうか。この調査では世界11カ国、合計263件のレジデンス事業を調査し、その活動内容を紹介しています(現地調査が行われたのは37件。国内65団体も報告書資料編で紹介されている)。もちろんアーティストはこれらの情報をギャラリストやアートマネージャーから伝え聞いているかもしれませんし、実績あるレジデンスが紹介される半面、カバーしきれていない事業や地域もあるのですが、レジデンス事業が目的と地域別に分類されている情報は、実際の利用者にはとても便利なものに思えました(報告書pp.10-11で7種類に分類)。
ちなみに、日本からの調査員のみなさんは現地調査の際、国際交流基金が運営する日本のレジデンスを紹介するデータベース・AIR-Jのパンフレットを持って調査先を訪れていたのですが、日本のメジャー都市は熟知しているシンガポールの機関が注目したのは地方のレジデンス事業でした。小林ゼミ時代から地方の芸術文化を応援したいと思ってきた自分にとってはなんとも嬉しい反応でした。まだ見ぬ日本の魅力を外からの表現者が発見してくれる、もしくは日本の表現者が発見しに行く機会が益々増えることを祈ります。
その2:シンガポールで行われた二つの演劇プロジェクトについて
人と人が国境を越えて出会う時、多くの場合は言語の壁に遭遇すると思います。シンガポールは多人種・多言語国家であり、国際共同制作かどうかに関わらず複数の言語が飛び交う演劇公演が字幕付きで開催されることは今や日常茶飯事です。セゾン文化財団のニュースレター『View Point』65号(2013年11月30日発行)には、シンガポールを拠点に活動する滝口健さんの翻訳の役割に関する興味深い論考が掲載されています。本文中に登場する日星国際共同制作の演劇作品『モバイル2 フラット・シティーズ』と、シンガポール人劇作家フジール・スライマンの戯曲『コギト』を日本の劇団・三条会が日本語で上演するプロジェクトに自分も関わらせていただき、翻訳作業の現場と可能性を体感することが出来ました。
『モバイル2』には現代日本の若者、インド系マレーシア人、東南アジアに移住した日本人、第二次世界大戦中の日本軍人など、様々なキャラクターが登場し、それぞれが、たとえば「日本人」と聞いて思い浮かべる像に対して異なるイメージを持っています。創り手側がそれらを理解した上で作品が練られているのですが、事前のリサーチとインプットには想像を超える手間と時間がかけられていました。そしてそれに伴って生じる大量の翻訳。国際共同制作ならではの面白みを醸成する「文化的交渉」(p.5)が作り手の間でいかにスムーズに行われるかは、異文化の仲介者である翻訳者の動きに関わって来ると痛感しました。
『モバイル2』は2013年、シンガポールとマレーシアで上演されましたが、現在日本公演に向けての準備が進められています。舞台上に提示される様々な視点に直面して、それぞれの地域の観客たちは作り手が創作過程で体験したような疑問を感じたことでしょう。近い将来、日本に住む観客のみなさんがこの作品をどのように解釈するか、今から楽しみです。
ところで演劇における翻訳といえば、通常外国語の戯曲を日本語に訳すことを思い浮かべるかもしれません。三条会とチェックポイント・シアターによる『コギト』翻訳プロジェクトでは、普段何気なく触れている翻訳の文体の裏にある解釈の作業を、翻訳者だけでなく劇作家も俳優も演出家も体験するというワークショップが行われました(翻訳作品は2015年上演予定)。
私にとって最も印象的だったのは、文体によって登場人物の性格のみならず立ち居振る舞いまでが左右されるという日本語の性質でした。シンガポールで何気なく目にしている英語演劇とその華語字幕、マレー語演劇と英語字幕の間には、もしかすると多くの「ロスト・イン・トランスレーション」があるのではないか、と気付きはっとしました。
今やインターネットをつかって世界のどことでも瞬時につながることのできる世の中になりましたが、実際にその地を訪れた時の衝撃、現地の人々との(良い意味での)衝突はバーチャルな空間で味わうものとは違うはずです。芸術文化のいいところは、それが個人の体験にとどまらず、作品として観客の目に触れるところ。これからも様々な作品を通して、思いもよらない文化間のギャップや、外の視点で描かれる日本像に敏感でありたいと思います。(齋)
0 件のコメント:
コメントを投稿