2013年12月22日日曜日

ギャル文字・(´・ω・`)・AA・誤変換・文字化け・漢字を書けないことと書けない漢字を書くこと・常用漢字

 連続的にバンバン投稿できるのが理想なのですがなかなかそうもいかないものですなあ。

 S藤先生の原点でのお話にも関わって僕が普段考えていることその2を書いてみようと思います。
 I田さんが質問されていたフリック入力の話にもつながるものだと思いますけどね、デバイスの進化による現代人と文字の関係性の問題です。

 あれは高校生の時だったのでちょうど10年ほど前の話。部活の懇親会かなんかでカラオケに行ったときにギャル文字表示の歌を歌わされてびっくりした記憶があります。ギャル文字は見たことあったし歌詞を覚えている曲だったのでなんとか歌えたのですがまあ面食らいましたね。маシ〃τ〃⊇ぅレヽぅ感U〃σ表言己τ〃UT=ヵゝら★。ギャル文字って非常に面白い現象だなーと思うのは、携帯電話とかパソコンとかで上記のように表現するときにいろんな特殊記号や外国語の文字を多用して表現することですよね。というのは、紙にペンで書く場合はそんな記号やらギリシャ文字やらを知って書いているわけではないのですから。おそらく80年代~90年代くらいに中高生女子の間で流行った丸文字文化の延長にあるものだと思いますが(そしてその丸文字文化はワープロの普及とともに「フォント」という概念が浸透したことがその土壌にあったのではないかと睨んでいますが)、紙にペンで書いていた、デジタルでは表記しがたい文字を如何にデジタルに表現するかという場面に直面した時に材料として与えられていたデータ内の多くの記号や文字を「かたち」とみなしてデジタルでは表記しがたかった文字を(半ば無理やりながら)表記できるようにまでしてしまったという、制約がある中で最大限に表現を追い求めた非常にクリエイティブな営為であったと思っています。
 似たような現象としては顔文字(´・ω・`)、AA(アスキー・アート)など日本人だからこそ生み出せたのだろうというものすごい文化がありますよね。文字と記号のみが使用可能であるというデジタルデバイスが持つ制約の中でいかにクリエイティブに思うような表現を描き出すことができるのか。デバイスの進化と日本人の想像力・創造力が切磋琢磨し磨き上げられてきた新しい言語表現ではないでしょうか。
 デバイスの進化による文字表記においては一方である種の失敗が生み出した現象も起こっています。誤変換と文字化けです。つい昨日今日にもこんな画像が話題になっていたりします(https://twitter.com/ssdangoss/status/413640852276518912)。紙に手で文字を書くだけだった時代には起こりえなかった変換ミスが世の中で数多く起こっていることはいまさら説明するまでもないでしょう(そもそもひらがなを漢字に「変換」するという行為そのものがデジタルデバイスが生み出した新しい行為だと思いますが)。論文や書籍にも多く見受けられますが、公文書などの重要な印刷物に誤変換を見つけるとなんだかいたたまれない気持ちになります。まあ言ってみれば、活版印刷の時代の雑誌とかでまれに文字が横向きになっていたりするのも誤変換に似た一種の誤表記ですよね。文字化けは特に90年代に多く最近はマシンの互換性が高くなってきたのかだいぶ見かけなくなってきた気がしますが、これもデジタルデバイスでなければ起こりえなかった新しい言葉のありかたですよね。椎名林檎が2000年に文字化けした表記を曲名に載せた楽曲を発表していることにはこの時代だからこその意味付けがなされるのだろうと思います。ギャル文字や顔文字は言うなれば意図した文字の乱用、誤変換や文字化けは予期せぬ文字の乱用であるという言い方もできるでしょうか。
 小さいころからパソコンを常用することによって最近の若者はパソコンでしか字が書けなくなった、漢字を書けなくなったという指摘は近年よく聞かれます。本当にそう言えるのかどうかは私には言い切ることができませんが、少なくともパソコンの普及によって普通なら絶対覚えられないし学校では教えてくれないような難しい漢字をひっぱり出してきて使えるようになった、ということは言えるのではないかと思います。これはパソコンの文字一覧表(JISコード)を奥のほうまで見ていった時に現れる複雑怪奇な漢字たちのオンパレードにわくわくする心から発生したものだという推測は容易にできます。これによって生まれた行為は、書けない漢字を当り前のように書く、というものです。書く、よりは(キーボードを)打つ、に近いですが。
 そんな現代に生きるわたしから見てすごく奇妙に感じるのは常用漢字という制度の存在です。常用漢字って定められてある必要あるんでしょうか?これだけどんな難しい漢字も2秒前まで知らなかった言葉も簡単に使えるようになった現代社会において、テレビや新聞の記事に「なんでそこひらがななんだ…」という表記があちこちに見られすごく奇妙に感じます。「拉致事件」の表記が「ら致事件」であることによって事件の重大性の認識が少し低められているんじゃないかと日本海育ちのわたしなんかは憤るわけですが、要するにあれって常用漢字っていうものが制定されているからなんですよね。公立小学校でおそらく今も行われているであろう「習っていない漢字は使っちゃいけません」という謎の指導も学習指導要領に定められた項目なのでしょう、おそらく。まったくもってナンセンス、むしろ害悪に近い指導法だと思いますが。

 最後少し腹を立ててしまいましたが、デバイスの進化による言葉の表記の問題は現代人、特に多種多様な文字を平気で使いこなす器用な日本人にはかなり重要な現象なのだとパソコンをいじりながら日々わたしは考えているのです。

  (志)

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