内モンゴルの文化団体「Olaan―Muchir」 (「烏蘭牧騎」)
「Olaan -Muchir」は1957年に内モンゴル自治区遊牧地区と半農半牧地区における文化館を基礎とする総合的な文化工作団体として中国政府によって設立されたものであり、当初は遊牧地区における大衆文化活動を展開することを目的にしていた。
「Olaan-Muchir」という言葉自体はモンゴル語であり、中国語に音訳されて「烏蘭牧騎」と書くようになった。Olaanは赤という意味で、Muchirは本来「木の枝」を意味する言葉であるが、「文化団体」という新たな意味を付け加え「赤い文化団体」として名付けられた。
1957年6月17日、最初の「Olaan-Muchir」が内モンゴル自治区のシリンゴル盟に誕生して以来、一種の民族文化団体として55年間、内モンゴル自治区の各遊牧地区や半農半牧地区に活躍し続けている。1997年の統計によると15年以上の歴史を持つ「Olann-Muchir」は内モンゴル自治区全体で305団体もある。
「Olaan-Muchir」は時代や政策の変化によって様々な改革や変化を行ってきたが、設立当初の特徴としては流動的な小型文化団体であり(団員は4、5人~数十人)、団体員の多くは一つの専門技術を持ちながらも多芸に通じており、演奏、歌、演劇、芝居踊りなどの活動以外にも政策の宣伝や科学知識講座や映画放送または髪を切る等の多様な機能を持っていた。「Olaan-Muchir」の活動方式は草原遊牧民族の生活や生産方式に適していて、現地の芸術文化や民間芸能をベースに創作し、現地の人々に愛され、広く知られるような名作を数多く作り上げている。今やモンゴル民族芸術文化の伝承の担い手の一つとしてとても重要な役割を果たすようになっている。
B・S
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