2013年4月18日木曜日

日常から消えゆく伝統-チャイニーズ・ストリート・オペラの明日を担う若き俳優たち


役者さんたちはメイクも衣装も一人でこなします。
大忙しの楽屋には常連客が記念撮影に来ることも。
シンガポールの伝統芸能というと、どんなものが思い浮かぶでしょうか。今回ご紹介するチャイニーズ・ストリート・オペラ(街戯)はシンガポール政府が伝統芸能の一つとして注目し、観光資源として積極的に振興する芸能のひとつです。シンガポールでは独立以来、観光局(Tourism Board)やアーツカウンシル(National Arts Council)が中心となって"シンガポール文化"なるものを創り出そうとしてきました。1970年代、ユニークな多民族国家シンガポールの「民族性」を如実にあらわすものとして取り上げられたのがマレーの太鼓、インドの伝統音楽、ユーラシアン(ヨーロッパ人と土着の人々の混血)の民族衣装、そして中国まれのストリート・オペラだったのです。

 シンガポールのストリート・オペラは19世紀初頭、たくさんの移民が中国からシンガポールに渡った頃からエンターテイメントとして、また宗教行事の一部として始まりました。道路や駐車場、寺廟の敷地や遊園地などに作られた仮設舞台で、華やかな衣装と賑やかな音楽とともに無料で上演されます。(出演料は寺廟など行事の主催者が劇団に支払います)日本では北京の京劇がよく知られているかと思いますが、シンガポールでは福建、潮州、広東のオペラが特に人気があるそうです。

本番前に寺院で奉納の舞を披露する役者さんたち。
手前の女優さんが抱いている人形は演劇の神様で、
上演中は楽屋からお寺の祭壇へ移されます。
ガムを捨てただけで罰金のシンガポールの路上に仮設舞台が?と意外に思われるかもしれません。お察しの通り、シンガポールの経済発展が進むにつれ、1960年代には早くも多くの劇団が姿を消していきました。そして同時期に現れたのが、伝統芸能の衰退を憂えた市民たちが設立したアマチュア劇団でした。シンガポール政府は出演料で生計を立てるフルタイムのプロフェッショナル劇団ではなく、趣味としてパートタイムで舞台に立つアマチュア劇団を積極的に支援することで、消え行く伝統芸能を観光資源として再活性化を図りました。なぜプロではなくアマチュアを支援したのかと言うと、幼い頃から芸に打ち込み十分な教育を受ける余裕のなかった専業劇団の団員より、高い教育を受け他に職を持ちながらも文化的活動に熱心なアマチュア劇団員のほうが、政府の目指すクリエイティブな人材像に合致していたからだとLeeは分析しています(Tong Soon Lee "Chinese Street Opera in Singapore", 2009 参照)

 手厚い支援を受けたアマチュア劇団は19世紀の移動劇団のように木製仮設舞台を建ててコミュニティ向けに上演するのではなく、立派な照明と音響を備えた豪華舞台で公演を行います。ストリート・オペラは福建語や潮州語など方言で上演されるため公演には英語と中国語の字幕もつき、観光客や中華系でないシンガポーリアンでも楽しめる仕組みになっています。新たな担い手として芸を磨いたアマチュア劇団は、今やシンガポールのストリート・オペラを代表する”プロフェッショナル"として、様々な場面で伝統的な専業劇団に取って代わろうとしているそうです(たとえば、プロに代わって寺廟に呼ばれるアマチュア劇団もあるようです)。
会場の様子。奥に見える光がオペラの舞台。
白い服を着て歩いているのは
神様が憑依した童乩(シャーマン)。

 では、昔ながらのプロフェッショナル劇団はどうなったかというと、こちらも寺廟の行事を中心に現在でも活動を続けています。アマチュア劇団の公演が年に4~5回なのに対し、ストリート・オペラを専業とするプロフェッショナルによる公演は毎月15日以上も行われているというのですから驚きです。シンガポールにお住まいの方は、ある日突然空き地にテントが出現し賑やかな音楽が聞こえてくるという光景に出くわしたことがあるかもしれません。そこではこのストリートオペラやより大衆化した歌台(getai)と呼ばれる中華系歌謡ショーが上演されているのです。

 先日、シンガポール人の友人と私は運よくプロフェッショナルによるストリート・オペラに遭遇しました。4月上旬のシンガポールでは華人の間で清明(Qingming)節という、日本のお彼岸のような先祖供養の行事が営まれ、各地の寺廟では様々な儀礼が行われています。そうした宗教行事の一部として欠かせないのが、ストリート・オペラなのです。更に幸運なことに、とても寛容で親日的な一座のみなさんに舞台裏に招かれて、私たちはプロのストリート・オペラの現在を垣間見ることが出来ました。
"おばあちゃん"にヘアメイクをしてもらう劇団員のお孫さん。
彼もりっぱな俳優として舞台に立ちました。

 私たちが出会ったのは双明鳳劇団という福建語(閩語)のオペラを上演する劇団です。伝統的なラッパからキーボードまでどんな楽器でも弾き熟す細身の座長に率いられた一座は総勢20名ほど(毎日役者さんが入れ替わるので総数を把握できませんでした)。役者さんは大ベテランと若手の男優さん二人を除くと全員女性、楽団(中華系のドラムセット、笛など)は全員男性です。今回は台湾から有名な女優さんを一人ゲストで呼んでいましたが、ゲスト以外のメンバーのうち何人かは血縁者で、それ以外の団員も互いを兄弟姉妹と呼び合う、大家族のような集団でした。

 役者さんはお化粧やヘアメイク、衣装の着付けまですべて自分で行います(出番のない日は舞台技術も担当していました!)。濃厚なメイクアップがなされるので、公演の前後では誰が誰だかわからなくなるほど。また、彼らの多くが50代以上の大ベテランなのですが、舞台の上では化粧と照明で実年齢をかき消し、18歳の少女を可憐に演じてしまうのです。
どんな楽器でも使いこなす座長さん。かつては
劇団規模が大きく楽団も大人数だったと思われ
ますが、現在ではキーボードが代役を担っています。

 しかし、団員の高齢化はプロフェッショナルな劇団にとって課題であることは間違いありません。プロによるストリート・オペラ衰退の原因は、若年層の関心の低下と、熱心な好例の愛好者の減少に拠るところが大きいと言われています(その他新しい娯楽の発展や芸の質の低下も指摘されています)。ところが、双明鳳劇団では二人の20代の役者さんに出会うことが出来ました。

 その一人、26歳のオンさんは「子どもの頃から親に連れられてストリート・オペラを観にいっていて、いつしか自分も舞台に立ちたいと思うようになっていました。自分たち若い世代が同年代に伝えていかなければ、この素晴らしい伝統は途絶えてしまうと気づいて以来、もう10年近く女優をやっています。」と語ります。ストリート・オペラとセーラームーンを観て育ったという彼女、普段は体育の先生なのですが、公演のある日は優雅な王女や荒々しい悪党に”変身”します。そんな彼女の生活は多忙を極めるのですが、なぜパートタイムのアマチュア劇団ではなく専業のプロ劇団を選んだのか、その答えは彼女の演技に対する情熱にあるように思いました。

 ストリート・オペラの魅力を尋ねると、オンさんは次のように答えました。
「ストリート・オペラの魅力は他の役者さんや観客の反応を見ながらその場にぴったりなアドリブを入れていく即興性。そこに一番神経を使います。リハーサルも稽古なく、公演直前に演出プランを話し合うので、台本どおりに演じる舞台とはまったく異なります。字幕がついていたら、アドリブを見て、間違った!と思うお客さんがいるかもしれません。でも私たちの舞台に間違いなんてないのです。私たちの表現は相手とのやり取りの中で生まれてくるものなのですから!」
『痴情王子』の演目に出演するオンさん
(向かって左)と台湾からのゲスト(右)

 興味深いことに、漫画やアニメの影響を受けた彼女ならではの新しいアイディアもメイクや衣装に現れていました。双明鳳劇団にはもう一人、普段はオフィスでカスタマーサービスを担当する二十台の男優さんがいらっしゃいました。方言が流暢でなかったり、中国の古典に詳しくない若い世代の観客を開拓していくことは容易ではありませんが、彼らが今後のストリート・オペラにどんな新風を巻き起こしていくのか楽しみです。

 劇団の情熱に感激した私と友人は、結局三日連続でストリート・オペラの楽屋に通いつめ、オンさんや8人のお孫さんがいらっしゃるというベテラン女優さん、役者さんの幼い子ども(お孫さん)たちのお話に聞き入ってしまいました。お寺の敷地で毎夜上演されるストリート・オペラは、劇場空間で行われるそれとはまったく異なる、宗教的かつ生活臭の漂うエネルギッシュなものでした。肝心の舞台は袖からちらりとのぞいた程度だったので、次回はじっくり観劇しにいきたいと思います。(齋)

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