この失敗に終わった蜂起に対してどのような評価を与えるかはいまだに議論されています(戦後ソ連がポーランドに影響を及ぼしやすかったのも首都が破壊されていたからという意見もあります)。国民の勇気と不屈の精神が最も端的に現れた出来事だとみなすこともあれば、カミカゼと重ねられることもあります。今年は蜂起から70周年の節目だったこともあり、今月前半は関連行事(コンサート、演劇、セレモニーetc.)があちこちで行われ、Pamiętamy (We Remember)の標語を目にしない日はありませんでした。
ワルシャワ大学は町の中心部、観光地としても有名な新世界通り沿いにあります。
その通りの入り口付近、ポーランドの大手書店empikの看板の上には、銃と手榴弾を手にした若い男女のモザイク画。落ち着いた色合いのため意外と周囲に溶け込んでいますが、画題は煽動的です(ちなみに本屋の外壁には「全ての国家は自らの首都を建設する」という標語が大きく刻まれています)。
今月は外国人向け語学セミナーに参加しており、その一環として11日に開館十年を迎えるワルシャワ蜂起博物館に行きました。常に爆撃音(独軍が街を爆破する音)が聞こえる館内では、当時の市民生活やワイダの映画で有名な下水道の“展示”があり、見ごたえは十分。市民は下水道を通ってドイツ軍に包囲された市内中心からの脱出を試みましたが、狭くて暗い(現実には腐臭がしたであろう)展示を進んでいると、映画で描かれたように正気を失う人が出てもおかしくないと納得。少しだけ長野善光寺内陣のお戒壇めぐりも思い出しました。
右は市民が攻撃に使った銃と、その後ろに瓦礫から発見されたキリスト像の写真です。話変わって、私は卒業論文で不条理劇について扱いましたが、その基本的な考えは「第二次世界大戦で秩序ある旧世界が崩壊したため、論理が崩れた戯曲が各地で生まれた」というものです。最も有名なベケットの『ゴドーを待ちながら』には、決して来ないゴドー(=神)を待ち続けるという(もはや言い古された)解釈があります。ですが、ポーランドでこの作品が1957年に初演された時、観客はこの作品に社会主義体制下で未来を待ち続ける自分たちを重ねたそうです。全体主義の不条理が東欧の不条理劇受容に影響したことはつとに指摘されますが、戦時中に甚大な被害を受けてもワルシャワ市民の中で神は死んでいなかったというのがその日の発見でした。
20世紀ポーランド最大の演劇人カントルは古都クラコフ(来月行きますので報告もその時に)を死者の街と言い現わしました。ワルシャワは戦争による死者の街、個人的には銃と神の街だと思っています。
何だか重苦しい話題になってしまいましたので最後に花を。ヨーロッパの他地域でもそうかもしれませんが、ワルシャワも露店の花屋が多く、10ズロチ(300円ほど)で買えます。ちなみにヨーグルトに限らずどんな乳製品も美味です。さすが農業国。
(N.N.)
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