2014年8月27日水曜日

ようやく台湾→東京

合宿では大変お世話になりました。harukoです。今日、みなさんより長い台湾滞在を終え帰国しました。台湾の盛夏の暑さと、energeticさのの両方の洗礼を受けることができました。

台湾では、東大・台大合同のサマープログラムに参加しており、台湾と中国、台湾と日本、東アジアの中での台湾の置かれた位置についての講義を受けたりフィールドワーク(台湾の政党、企業や協会に対する、参加者全員でのインタビュー)に参加したりしました。
どうしても台湾でのレクチャーは、政治の問題についての話題が自然と多くなりましたが、経済・社会についても受けることができました。どの講義も発見の多いものでしたので、少し書きたいと思います。

特 に、ひまわり学生運動の代表の方や、参加している法学者の先生のお話もきくことができたことは大変貴重な機会でした。この運動を、日本の中からみると、台 湾の学生はなんと「政治」に関心があるんだろう、民主主義的な運動が起きるなんて、日本ではどうして起きないのか?というふうな論調が多かったと思いま す。
それに対して台湾の中の視点からみると、まず目に入るのが中国との関係です。そのため、運動の報道のされ方も全く異なっていて、世界のマスメ ディアは運動を積極的に評価する傾向にある一方、台湾メディアの争点はあくまでも経済協定であり、中国との関係の強化を指示し、運動の民主主義的な意味にはふれていません。

プログラムは、これで終わりではなく明日から、場所を東京に移し、ボリュームダウンしての1週間の、引き続きレクチャー受講&フィールドワーク&グループ課題研究を行います。

さ て最後にあまり、「文化」の話題が出せなかったので、台湾でみた劇場の話を。台湾の滞在中に演劇事業についても知りたいと思い、いくつかの劇場に連れて 行ってもらいました。(実は、プログラムが、相当にハードなスケジュールだったため自由行動は殆どできず、観劇まではかないませんでした…)

中正記念堂の近くにある劇場。



小劇場には、多くの若者が。

こ のような劇場には誰が行くのだろうと思って、台湾大の人にもきいてみましたが、文化を楽しむには、「自分たちには時間も、鑑賞能力(taste)もないのだ」と言っていまし た。また、台湾の過去は、侵略の歴史であり、時代によって何が「文化」であるか異なり、台湾の文化かわからないという発言も。台湾の「文化」は、今まさに形成されている最中であり、政治の問題にのぼっていく途上なのかなと感じました。

2014年8月25日月曜日

コンビチュニーオペラアカデミー

M1のRaeです。
先日、びわ湖ホールで7/29-8/8に行われたコンビチュニーのオペラアカデミーに参加してきました。コンビチュニーはドイツの有名な演出家で、父親は高名な指揮者でした。
今回は、5年目ですが、「椿姫」を題材として扱いました。演出部、キャスト、合唱、聴講生が集まりその数は100人以上に上りました。そこで私は10人強集まった演出部に所属して小道具などの担当をしました。

10日間、朝から晩まで練習をし歌手たちに演技を付けて行くのですがスコアに忠実な演出(それがどういう意味かは人によって意見が分かれるところですが)を努めようとしていた姿勢には学ぶことが多かったです。普段は勿論厳しいのですが、歌手たちに受け身になるな(頭を使え)と言い続け、面白いことをやる歌手がいれば大喜び。Super! Genau!と叫び続けていたのが印象的でした。3週間でも練習期間が短い!というようなコンビチュニーなので10日などあっという間だったのでしょうが、それでも歌手一人一人と向き合い、コンセプトをしっかりと説明して要点を押さえた「びわ湖バージョン」演出をしようとしているな、と感じました。

蝶々夫人、ラボエーム、魔笛…と、続いてきたアカデミーですが今年急に終わりを迎えるようになったのは残念です。何でも、公共ホールなので同じ人を呼ぶのはまずいということになったとか。
もちろんプロ、さらにコンビチュニーのような演出家からオペラ演出を学ぶという機会が与えられたことは素晴らしいことなのですが、ここで音楽学者、演出家、歌手、音大教授、音楽愛好者…など、多くの方達と繋がりができ、さらにそれが10日間もともに過ごす中で強まったということが、私にとっては大きなプラスになったと思います。
最終日にも音楽学者の先生が「折角乗ってきたところなのにここで打ち切るのは本当に勿体無いとおっしゃっていましたが、オペラ演出を学ぶ機関が全くと言っていいほどないこの日本で始めた画期的なプログラムですので、これからもこれに続くプログラムを作って欲しいと切に願います。


会期中、平田オリザ氏や沼尻芸術監督との対談があったのですがそれについては次の機会にアップしたいと思います。

ワルシャワの“国民食”はケバブ

ポーランド留学開始からほぼ一か月。まだ十分な街めぐりはできていませんが、改めてここは「ワルシャワ蜂起の街」だと感じます。これは194481日から約二か月続いたワルシャワ国内軍と市民が起こした反ドイツ蜂起のことです。結果的に約20万人が犠牲になり(大部分が市民)、街も報復処置として徹底的に破壊されました。世界遺産に指定されている旧市街は戦後瓦礫の中から建て直された、言ってみれば“巨大レプリカ”です(ちょうど同じ寮に旧市街と文化遺産に関する研究を計画している人がいるので、今後彼女から詳しく話を聞くつもりです)。
この失敗に終わった蜂起に対してどのような評価を与えるかはいまだに議論されています(戦後ソ連がポーランドに影響を及ぼしやすかったのも首都が破壊されていたからという意見もあります)。国民の勇気と不屈の精神が最も端的に現れた出来事だとみなすこともあれば、カミカゼと重ねられることもあります。今年は蜂起から70周年の節目だったこともあり、今月前半は関連行事(コンサート、演劇、セレモニーetc.)があちこちで行われ、Pamiętamy (We Remember)の標語を目にしない日はありませんでした。

ワルシャワ大学は町の中心部、観光地としても有名な新世界通り沿いにあります。
その通りの入り口付近、ポーランドの大手書店empikの看板の上には、銃と手榴弾を手にした若い男女のモザイク画。落ち着いた色合いのため意外と周囲に溶け込んでいますが、画題は煽動的です(ちなみに本屋の外壁には「全ての国家は自らの首都を建設する」という標語が大きく刻まれています)。


今月は外国人向け語学セミナーに参加しており、その一環として11日に開館十年を迎えるワルシャワ蜂起博物館に行きました。常に爆撃音(独軍が街を爆破する音)が聞こえる館内では、当時の市民生活やワイダの映画で有名な下水道の“展示”があり、見ごたえは十分。市民は下水道を通ってドイツ軍に包囲された市内中心からの脱出を試みましたが、狭くて暗い(現実には腐臭がしたであろう)展示を進んでいると、映画で描かれたように正気を失う人が出てもおかしくないと納得。少しだけ長野善光寺内陣のお戒壇めぐりも思い出しました。


右は市民が攻撃に使った銃と、その後ろに瓦礫から発見されたキリスト像の写真です。話変わって、私は卒業論文で不条理劇について扱いましたが、その基本的な考えは「第二次世界大戦で秩序ある旧世界が崩壊したため、論理が崩れた戯曲が各地で生まれた」というものです。最も有名なベケットの『ゴドーを待ちながら』には、決して来ないゴドー(=神)を待ち続けるという(もはや言い古された)解釈があります。ですが、ポーランドでこの作品が1957年に初演された時、観客はこの作品に社会主義体制下で未来を待ち続ける自分たちを重ねたそうです。全体主義の不条理が東欧の不条理劇受容に影響したことはつとに指摘されますが、戦時中に甚大な被害を受けてもワルシャワ市民の中で神は死んでいなかったというのがその日の発見でした。

20世紀ポーランド最大の演劇人カントルは古都クラコフ(来月行きますので報告もその時に)を死者の街と言い現わしました。ワルシャワは戦争による死者の街、個人的には銃と神の街だと思っています。 
 


本日午前に行われたワルシャワのユダヤ文化ツアーで訪れた”Umschlagplatz”です。ここからワルシャワゲットーで暮らしていた約30万のユダヤ人が貨物列車によって強制収容所に送られました。

 
 
 
 
 
 
 
 

何だか重苦しい話題になってしまいましたので最後に花を。ヨーロッパの他地域でもそうかもしれませんが、ワルシャワも露店の花屋が多く、10ズロチ(300円ほど)で買えます。ちなみにヨーグルトに限らずどんな乳製品も美味です。さすが農業国。

(N.N.)

2014年8月18日月曜日

大町に行ってきました


だいぶ日が開いてしまいましたが、大町訪問について書きたいと思います。

実質的に、今年度から小林ゼミに参加することとなったM2の私は、大町市を初めて訪問することとなりました。

夏学期中のゼミを通じて、大町市についていろいろ調べてきましたが、「やはり、一度現地に行って自分の目で確かめないことには始まらない。」という気持ちがずっとありましたので、訪問が叶って本当に良かったです。

他のゼミ生たちも、それぞれの思いを持って大町を回っていたかと思いますが、私の場合は、自身が現役の地方自治体職員ですので、学生という立場で、よその自治体の施設を見学したり、職員さんのお話を伺うということは、ちょっと不思議な感じであるとともに、なかなか得難い貴重な機会であると感じていました。

さて、2泊3日の訪問を終えて私が持った大町市に対する率直な感想は、人口約3万人という規模を考えると、かなりポテンシャルの高いまちだな、ということです。山岳博物館や文化会館ホール、図書館を見て、私の勤める人口約17万人の某市も頑張らないとなあと思いました。それから個人的には、仕事柄、図書館の横にあった文化財センターが気になりました。具体的にどのような活動をしていて、地元住民にとってどのような位置づけの施設なのか、またお話を聞いてみたいです。
 

 (文化財センター)

大町には、他にも青木湖、木崎湖という美しい湖があって大勢の方がキャンプを楽しんでいましたし、温泉郷もあります。そして、信濃大町駅に到着した際に驚いたのは、小さい駅にも関わらず、続々と大勢の登山客が降りていき、チラホラ外国人の姿も見受けられたことでした。

失礼ながら、小林ゼミに入るまで、大町市という市があることすら私は知らなかったのですが、様々な切り口からもっと魅力を引き出し、多くの方に知ってもらえる可能性を存分に秘めていると思います。

私の勤める某市は、観光地としてよく知られ、1年中人で溢れかえっています。なので、観光客のマナーや交通渋滞といった課題を抱え、住民と観光客がいかに共生していくか、ということが永遠のテーマとなっています。ただ、市外、県外、国外から注目され、たくさんの人が自分たちのまちを訪れてくれるということは、やはりうれしく、誇りに思っている住民も多いようです。ちなみに、私は市外に住んでいますが、親類縁者や友人から「いいところで働いているね。」などと言われると、市職員として気分がいいものです(笑)。

大町市も、市外で大町を愛してくれる人、応援してくれる人、言うなれば「大町のファン」をもっと増やすことができれば、住民や市内で働く人の、自分たちのまちに対する見方が変わってくるのではないかと思います。そして、その魅力を引き出すにあたって、文化の力をどう活用していけばよいかということを、今まさに考えているところです。
 
 
 
                                                    (TK)

2014年8月9日土曜日

横浜黄金町、初訪問

アーティストたちが集まりつつあると、噂だけ聞いていた黄金町にいよいよ足を運んでみました。

目当ては、シンディー・望月《loch/穴》の観覧でした。
この作品は、「仮想のコミュニティ・アジア―黄金町バザール2014」(http://www.koganecho.net/koganecho-bazaar-2014/)の参加作品で、
作家シンディー・望月が、占いと交換に黄金町の住民や関係者から収集した『モンスター』にまつわるお話と会話をベースに作った、多ジャンルを横断したパフォーマンス作品です。
非常に興味深い制作形態だったので(特に、占いが大好きである私にとって^^;)知り合いからの誘いもあり、噂の場所黄金町を訪問することになったのです。

パフォーマンスはもっと神秘感溢れるものかと思いきや、想像範囲でのものでした。

《loch/穴》

しかし、このパフォーマンスが行われた空間がとても面白くって、天井も高いし、水も使えるような空間だったので、以前私が出た演劇「サンシッキム(산씻김)」にぴったりな空間だと思い、ここでその芝居をやるとすごくいいかもと思いました。  

<話を戻して> この空間はnitehi works(http://nitehi.jp/)というところで、日常の中で見過ごされている「そこにしかない"気づき"」を活動の軸とし、消費とは対照的な位置からものを考えて、"価値を見つけ"日常に定着させようとする試みをもって活動をする人の集まりの空間だそうです。

8月22日(金)19時からは、nitehi worksにて「大岡川文化区宣言」に関する語り合いの場を開催するとのことですが、興味がある方は参加してみると良いかも知れませんね。

また、nitehi worksのよな空間も含め、京急線「日ノ出町駅」と「黄金町駅」の間の高架下スタジオを中心に、周辺の小規模 な建物や既存の店舗、空地などを会場にして、様々なクリエイターの拠点が生まれている黄金町周辺を、散策してみるのも刺激をもらえると思います。

今回んP訪問は夜だったため周辺を深く見れませんでしたが、いつか昼にまた行ってみたいと思いますが、一緒に行きませんか。
(bangul)

2014年8月6日水曜日

水のアート 水のテクノロジー 


 大町市に行ってまいりました、M2 Mubeです。私は3度目の大町訪問、今回も市役所の方々の厚いサポートにより、非常に充実した3日間であったこと、関係者各位にまずお礼申し上げます。緻密な準備の上に、今回の見学調査が成り立っていましたこと、誠にありがとうございました。

 参加者のレポートが次々とアップされていますが、私が一番印象に残ったのは「水のアート 水のテクノロジー」ということでした。

昭和電工資料室 山状のものは最後のアルミニウム
81日に昭和電工にお邪魔させていただき、戦前からの黒部の開発、国策としての電力開発・アルミニウム精錬、アルミニウム製造が全面停止してからの黒鉛電極の生産という、日本産業史の重要なパートを担った歴史に改めて感銘を受けました。


青い線が導水路(昭和電工「地域活動の取り組み」パンフレットより)
大町営業所の自家発電系統図はすごかったです。北の青木湖からはじまり36km にわたり山中にトンネルをはりめぐらせ発電・灌漑・生活用水に水を振り分けながら水の力を利用してきた仕組み、その経路図がまさに「アート」―技術、人工のデザイン、大地に描かれた驚異的なデザイン―さまざまな意味を持つ「アート」という言葉の、あらゆる意味を含意するような治水に釘付けになりました。

つづく資料館も、非常にレトロな建物の中、近代の産業史・現在史をまざまざと見せつけてくれるような資料の数々に圧倒されました。大町は「選ばれし特別な地」だったのだということがわかります。アルミニウム精錬・発電事業は富岡製糸場以上に、ある意味非常にディープな産業だったのではないでしょうか。初期の原子炉用の黒鉛資料もエネルギー政策上興味深い境界点を示すものでした。

黒部ダム 人間の技術(アート)の戦場
そして83日には参加メンバーのほぼ全員で黒部ダムに行きました。今回の訪問前に小林先生から吉村昭の『高熱隧道』が課題図書として提示されていました。厳しい黒部の自然に対峙しての人間の技術の限界への挑戦、続く黒部ダムの建設もまた甚大な犠牲を払いながらのダム建設だったという、人間の技術(アート)の戦場であったような、ここはすごい場なんだと思うと、訪問時かなりクラクラしてしまいました(高所恐怖症もあり…)。黒部ダムは峻厳な山岳に囲まれた中に「割り込んだ人工」であるダム湖とダムが作られています。これはとても壮絶な光景でした。放水される水を見ていると、いろいろな意味での「アート」という言葉が去来しました。

原始感覚美術祭開催中の木崎湖。この山中にもトンネルが掘られて導水されている
そのような人工的な治水システムのテクノロジーの中に位置する木崎湖で「原始感覚美術祭」が開催されて「原始感覚」が問われていることは、これまた「アート」だなあと思いました。41歳寿命説を唱え、近代文明に警鐘を鳴らし続けた西丸震哉がこの美術祭の発祥に関わっているのも興味深いことです。「水の文化 大町」と言われますが、単なる里山文化だけでは語りきれない側面があるかと思います。個人的には、ビリビリするようなテクノロジーに関する作品を編み出してきたアーティストの三上晴子さんにインスタレーションしてもらうといいのではないかと夢想してしまいました。大町は「水・アート・テクノロジー・エネルギー」についての壮大なインスタレーションが可能なポテンシャルがあるところです。

しかし、上記のようなことは何度も大町のことを調査し、大町の方々にいろいろ教えてもらっているからこそ見えてくるものについて語っているので、この「大町のすごさ」を何に、どうやって落とし込んでいったら、それが大町の特徴として可視化されていくのかが今後の課題かと思いました。大きな産業が産業構造の変化とともに撤退してしまったという劇的な変化を遂げた地域である大町という過去を産業遺産的な視点から考えることも可能です。

そして過去の掘り起しだけではなく、世界に広がるエネルギー・水資源の問題、科学技術と社会との乖離をつなげていくことといった今日的な問題にコミット可能なことも大町の大きなポテンシャルなのではないでしょうか。

長々と抽象的な記述になってしまいましたが、これにどう肉付けしていくかは、また冬学期のゼミにて検討ですね。よろしくお願いいたします。                          (Mube)

 

 

 

2014年8月4日月曜日

2度目の大町

risaiaさんも書いている通り、私たちは昨日までの3日間、印象長野県大町市を訪問してきました。
小林ゼミでは2012年度より大町市と関わっており、私の場合は、昨年10月に引き続き2回目の訪問でした。
今回の訪問は、これまでの大町とは少しちがった様子を見たり聞いたりすることができたように思います。

というのも、今回の訪問では、大町市の夏の一大イベントである「大町やまびこまつり」を見ることがひとつの目的でした。
信濃大町駅から北に伸びる商店街には、市内外から人が集まって「やまびこ音頭」と「やまびこサンバ」という歌に合わせて踊りながら、市内の商店街を練り歩きます。

上から見た「大町やまびこまつり」の様子

普段はほとんど人が出歩いていないような商店街が、こんなにも賑わっているのを見たのは初めてで、なんだか感動してしまいました(年々人は減ってきているというお話も伺いましたが)。


また、2日から始まった「原始感覚美術祭」や、9日から始まる「食とアートの回廊」という2つのプロジェクトも相まって、私たちが今回訪れた大町は、本当ににぎわいに溢れていました。
「原始感覚美術祭」の出展作品(キム・ヨンミン)
「食とアートの回廊」のまちなかアート
(青島左門、淺井裕介)

市民のみなさんや、美麻や八坂といった合併によって大町市になった地域で働いている方、市内のアーティストの方ともお話することでき、本当に良い機会でした。
これからそのお話をまとめ、これからの活動につなげていきたいと思います。

ところで写真をパソコンに取り込んだところ、たった3日間なのに優に500枚を超していました。
そんな中で最後に、3日目の自由行動の時間に訪れた黒部ダムの写真を。
大町は、長野県側から黒部ダムに行くときの玄関口である扇沢駅がある市として、知られているのです。
上から見た「黒部ダム」

そういえば、今朝テレビを見ていたら、「信濃大町」という言葉が。
何かと思えば、テレビ朝日の「若大将のゆうゆう散歩」という番組で、信濃大町が取り上げられていたのです。


(tantaka)

肉は食っても骨まで折るな

東京→富山→東京→大町(黒部ダムで一瞬富山側)→東京
からの一夜明けてタダイマーのpugrinです。

震えながら読んだ「高熱隧道」や「黒部の太陽」は昔の話ではなく
本当に今も富山から大町には抜けにくいですね。北陸新幹線が待ち遠しいです。

私は3度目の大町訪問でしたが、今回は「大町の一年で一番暑い日」を見た気がしました。

8月1日はゆかた祭り、2日はやまびこ祭りと原始感覚美術祭など
夏の大町は農繁期に加え観光対応、地域イベントととにかく忙しいです。
今まで出会えなかった10~30代の市民が
商店街をブラブラきゃっきゃしているところが見られてキュンとしました。
お祭りは確かに特別なとして存在していて、
それが同じように毎日続けばいいわけではないけれど、
お祭りで許されている何かが、日常でも少し許されたらいいなあ
というのが感想です。(踊ったり、外で座って食べたり、子供だけでぶらついたり。)

どこでだって、毎日生きるのは必死なものだけど、
少しだけそれを放棄できるチャンスがあると嬉しいし、
例えば弱い立場にいる人も、「そこにいていい」と思い合えたら幸せなんじゃないか、
それを文化と行政と地域に注目して挑戦しているのが小林ゼミなんじゃないか、と
改めて私たちの学問やスタンスの在り方を考えました。

さて、タイトルにありますように、そして以前にも書きましたが
大町はお肉がおいしいです。
その代表格「俵屋」さんのお肉をご覧ください。



 
思い出してもよだれが出てきそうな分厚い生でも食べられるお肉!!!!!
この後大きな大きな肉シュウマイと
「大町のソウルフード」と名高い肉パンパンギョウザもいただきました!!!
 
他の日のご飯でも鶏肉の唐揚げや黒カツカレーをいただきましたが
ものすごいボリュームです。
以前も激安焼き肉ランチをいただいたこともあり、
肉を食べるなら大町、大町なら特にお肉とわたしにはすでにインプットされました。
ズバリ信州長野のさわやかなリンゴやお蕎麦やおやきといったイメージを覆す
パワフルな食文化が根付いていると考えて良いでしょう。
 
山岳文化都市というちょっとかちっとしたフレーズもよくつかわれますが、
今や山に登るのも肉を食べるのももっぱら女子という時代。
今回もお世話になった教育委員会のKさん、
インタビューさせていただいた保育園長、病院長
それに賛同してくれる素晴らしい男性職員の皆さんに
熱い信頼を寄せながら、濃すぎる真夏の3日間を過ごしました!!
 
そんな宴会の肉パンギョウザのお陰で気分を良くした私は
転んで手をついて掌がパンパンになりましたとさ(苦笑)
※無事骨は折れていません

はじめての大町訪問

ふくらはぎぱんぱん事件で名を馳せたrisaiaです。
小林ゼミで関わっている長野県大町市を8月1~3日に訪問しました。















私にとって初めての大町訪問で、どきどきでした。

というのは、先生や先輩方は大町を複数回訪問していらして
大町の空気に触れたうえで議論を展開していらっしゃるのに、
私は入手できるデータや情報からしか大町を見ていません。
そんな状態でゼミに参加して、分かったような意見を言ってきました。

バスに揺られながら大町が近づくにつれ、
それまで一種大町を架空のまちとして捉えてきた節があること、
それを恥ずかしく申し訳なく思い、大町の人に顔が向けられない、
そんな思いがじわじわ湧き起こってきたのです。

その思いをある程度解決する足掛かりになったという意味でも
今回大町を訪問してその空気を感じることができたのは
有意義な、そして不可欠な経験であったと思います。

最も印象的だったのは二日目の宴会でのことです。
大町のアツい人たちが少しずつ宴会に加わっていきました。
文化による大町の振興について、引っ張っていくメンバーで意気投合し、
大いにフィーバーする様子を見て、このまちの未来は明るいと感じました。

以前ゼミで「大町の文化資源は何だと考えるか」という課題がありました。
私はそこで、自然や文化施設に加え「Kさんら積極的な市の職員」と書きました。
どんなに素晴らしい文化資源を持っていても、外の人間だけが頑張っても、だめです。
最終的には、問題意識を持ち熱い思いで動ける内部からの力がないかぎり
文化による豊かなまちづくりを標榜しても、意味のないものになると思います。

目の前に「なにか仕出かしてやろう」と意欲を燃やす大町市民が集い、
思いを語り合う様子に、私は純粋に感動し「これなんだな」と噛みしめました。
こんな熱い現場を眼前に見たのは初めてで、それだけでも得たものは大きかったです。

病院職員のOさんがおっしゃっていたように、
盛り上がってもそれをどう具体的なうねりにつなげていくかが最大の問題です。
燻っている人に火をつけ、少しずつ輪を広げていくことが当面の課題だと思います。

…とここまで書いてまいりましたが、逆行する思いもまた私の中にあります。
二日目早朝のひとり散歩で、時間がゆっくり流れる沈黙の森の中で、ふと悟りました。



大町全体を一括りにするわけではありませんが、
大町には大町の時間の流れがあるし、大町の価値観がある。
そこによそ者が踏み込んで、文化による地域活性化を唱えることに
果たしてどれだけの根拠が与えられるのか、という疑念です。

多くの人にとってそれは、余計なお世話なのかもしれません。
大町のことはまだよく知りませんが、私の地元山口県柳井市で同じ状況になった場合
「そんなんやらんでもええのにから。興味ある人は広島でも行くじゃろ」
という声がたくさん聞かれることが容易に想像されます。

このゼミでやろうとしていることって何なんだろう。
なんだかよく分からなくなってしまった朝でした。

※写真は2枚とも八坂の明日香荘周辺。二日目早朝撮影。

(risaia)