約10か月をかけてM1が練り上げてきた、
第13回文化資源学フォーラム「酒食饗宴―うたげにつどう人と人―」が
2月22日、無事終了いたしました、pugrinです。
月初から関東を騒がせた大雪も姿をひそめて
素晴らしい好天に恵まれ、
弥生講堂アネックスは定員80名の満員御礼となりました。
ゲストの綿抜先生には加賀藩の饗応料理について、
伊藤シェフにはフレンチレストランでつくる宴について、
山本さんには米の酒が繋ぐ人と自然についてお話しいただきました。
シンポジウムでは私が進行役として入り、3名のゲストに
宴での食において、思いを込めること、分かち合うことについて語っていただきました。
特にこのシンポジウムは、事前に質問や流れは考えて共有しておくものの
ライブ感が重要となるため、お客さんを前にしての一発勝負は、か・な・り緊張しました。
それでも、何度も顔を合わせて打ち合わせを重ねてきたおかげで
ゲストの皆様それぞれの経験やそれまでの発言を踏まえて
言葉をつなげることができたのではないかと思っています。
これからの社会で宴が担えるのは「和」「輪」を生む力、
それを望むかは個々人によるが、
ただ食べるだけでなく、その力を自分自身に備える場になるのが「宴」
というまとめでフォーラムは終えさせていただきました。
フォーラム終了後の「酒食饗宴―実践編―」では
伊藤シェフのお店「ルヴェソンヴェール本郷」へ移動し
加賀料理フレンチアレンジと日本酒の実食。
それにマジックショーとジャズ演奏、
文化資源の先生方のトークを交えたM1渾身の宴でした。
60名強の方にご参加いただき、
初めて同士の方をお繋ぎしたり、
お世話になった方にご挨拶したりと大忙しでしたが、
食事をする時間と空間を共にした皆様の笑顔が、
本当に心に残っています。
この10か月、リーダーとして頑張ってきて良かった、と思いました。
ちなみに当日ゲストとのランチミーティングでお出ししたお弁当がこちら
おなじみ ゆしま扇の「ひびき」です。
食のエキスパートにこちらから食事を出すというのは
冷や汗ものでしたが、皆様美味しいと言ってくださり一安心。
個人的には「鮭の印籠焼き」がヒットでした。
こんなところでも学会お手伝いの経験が生きています。
2014年2月28日金曜日
2014年2月27日木曜日
長野県須坂市『蔵の町並みキャンパス』~他大学の皆さんの発表編~
皆さん、こんにちは!今回初めて投稿させていただきます、小林真理ゼミ四年のA.O.です。
ここまで続いてきた須坂ブログ、最終ランナーです!!(やや出遅れましたが…)
これまでの記事、みなさんはどのようにご覧になったでしょうか。須坂のこと、私たちがどのように須坂に関わろうとしているかなど、うまく伝わっていると嬉しいです♪
最終ランナーとして私が報告したいのは、ブログの「~交流会編~」でも紹介されていた他の大学の皆さんの発表についてです。それぞれ素晴らしい絵や(建築の方は設計図だけでなく、「絵」も本当に上手に描かれるんですね!)パワーポイントを用いた発表だったので私が文字でお伝えできるのはわずかですが、そのつもりで読んでいただければと思います。発表の順番など、ブログのトップバッターR.Sさんの記事をご参照ください(今月20日の記事です)。
(以下では主に当日の発表順序に従って記します。残念ながら大雪の影響で欠席された文化学園大学・東京工科大学の皆さんの代理発表については省かせていただきます。)
★長野工業高等専門学校の皆さん★
――「蔵の町並み景観に配慮した店舗併用住宅の設計」
長野工業高等専門学校の皆さんは、今回のプロジェクトに向けて蔵の特徴などを調査し、それを活かした店舗兼住宅を設計したそうです。発表ではその中からだんご屋や書店の設計が紹介されました。
設計図が単なる美しい絵にしか見えない私としては、どんな難しい話をされるのかと身構えていたのですが、話の核心は誰もが理解・共感できるものだったように思います。例えば、説明の中には「トイレを入り口付近に設置して利用しやすいようにし、地域に溶け込ませるように工夫した」というものがありました。 蔵の町並みという景観に配慮するというのが今回の事業全体にとってはポイントかもしれませんが、見た目と共に、蔵の町並みという暮らしにマッチする家屋というのが設計者にとっては大きなポイントになったのかもしれませんね。
★長野県短期大学の皆さん★
○生活科学科健康栄養専攻
――「おやき作り体験―郷土食の継承―」
実際に学生が参加して行われたおやき作り体験の様子が紹介されました。須坂は山間部でお米を作れる場が限られているため、おやきは各地で見られるそうです。
――「ガーナ 須坂を行く―パワーポイントで作成したアニメを用いた食育の試み―」
発表者の方が、自作のとても可愛らしい「ガーナ」ちゃんのアニメーションにマイクでナレーションを入れながら見せてくださいました。おやきはもちろん、アニメーションに登場するのはどれも須坂の名物・名所になっていて、須坂全体の素晴らしいPRになっていると思いました!
○生活科学科生活環境専攻
――「須坂駅前の景観まちづくりと活性化に関する調査―須坂の魅力を伝える案内人の誕生―」
須坂の駅前のバス停留所や市内のベンチなど具体的な場所・ものを取り上げ、その改善案について発表されていました。たとえば、ささくれたベンチでは誰も座りたがらないような場所となってしまうので、整備するのがよいというお話しがありました。
これは東大チームの「住みやすい都市須坂」という構想に共通するところがあると思います。私は発表を聞きながら、「整備されている」ということの意味合いは「心地よさ」「住みやすさ」ということとのバランスを取るのが案外難しいのかもしれない、などと考えていました。
★清泉女学院大学の皆さん★
――「駅からハイキングプロジェクト」の報告
清泉女学院大学の皆さんは、大雪の影響で順番を遅らせての発表となりました。発表の時には会場の左奥の壁沿いに女学生の皆さんがずらり!驚きました。
皆さんは、「蔵の町並みキャンパス事業には平成20年度からの参加、23年度からはJRの、駅からハイキングという企画の枠組み内で、須坂を題材にハイキングコースを考え、実際に運営することをしています。」…W.Sさんの簡潔明瞭な記事から引用させてもらいました笑
具体的な発表内容で素晴らしいと思ったのは、「市民歌に沿った街歩き」というコース案です。市民歌の歌詞を須坂でのハイキングコースに沿わせるようにし、具体的な地名や場所の目印の名称がちりばめられていました。これなら歌を口ずさみながら楽しいハイキングが出来そうですよね♪画期的なアイディアだと思いました。
★信州大学工学部建築学科の皆さん★
――「街区の再生」
「街区・路地・須坂」「たまり空間の創出」「共存という再生」というテーマで3名の方が交代で発表されました。 「再生」というのは私が参加していた「持続可能な須坂」班の”あるものを活かして”というコンセプトに通じるものがあると感じます。初めの方の、わざと路地を創り出すというアイディアはとても面白いと思いましたが、これも片側のみに建物がある場所の反対側にも建物を作ることで建物に挟まれた道をつくるという具合に、あくまでも「再生」のなかで行われるのですね。
路地って建物に挟まれた場所にできるんですね。当たり前かもしれないですが、妙に納得して聞いてしまいました。
――「民家の再生」
発表の冒頭で説明された担当教官の方によれば、民家の再生に関しては90%がソフト面だとのことでした。美しい景色に加えて日常的な土間の景色を枠の中に取り込むように工夫した設計「切り取る景色」の提案や、現状分析に基づいて民家を学習室・シェアハウスとして再生する設計案、古民家を活かしたサテライトオフィスの提案など、どれも印象的でした。
以上、蔵の町並みキャンパス事業に参加されている他大学の皆さんの発表を簡単に報告いたしました!8日の発表会では、以上の成果発表に続いて信州大学工学部土本研究室の皆さんによる「田中下屋敷調査報告」が行われました(やや専門的でしたので、ここでは割愛)。
発表全体を通して皆さんがこのプロジェクトに非常に精力的に、意気込んで参加しているのを感じ、正直なところ圧倒されてしまいました。具体的に須坂に即して考えられた提案の一つひとつが本当に素晴らしかったです。特に建物の設計については、皆さんが、須坂市民の日常の生活、それこそ一瞬一瞬の視線感覚にまで思いを馳せ、思いやった結果が具現化されたものだと感じました。
ただ、やはり発表の方法については改善のよりがあると感じます。もっと市民に開かれたものにできたらよいのではないでしょうか(例年のことは分りませんが、参観した市民はやはり少なかったように思います…)。建物の提供などの関わりに加え、学生と市民の意見の交換の機会をより積極的に設けることでソフト面での展開にもつながるのではないかと思いました。私が知らないだけでもうされているかもしれませんね。
学生にとっては蔵の町並みというもの自体が素晴らしいキャンパスなのだと思います。もし「町並み」+「キャンパス事業に参加する皆さんの思いやり」+「より広い市民の参加」という足し算が成り立てば、蔵の町並みは須坂のまちづくりのための実践的キャンパスにできるのではないでしょうか。
だいぶ長くなりました。次の須坂の記事はいつになるでしょう…きっと近いうちに!
読んでくださった方、心からありがとうございました。
ここまで続いてきた須坂ブログ、最終ランナーです!!(やや出遅れましたが…)
これまでの記事、みなさんはどのようにご覧になったでしょうか。須坂のこと、私たちがどのように須坂に関わろうとしているかなど、うまく伝わっていると嬉しいです♪
最終ランナーとして私が報告したいのは、ブログの「~交流会編~」でも紹介されていた他の大学の皆さんの発表についてです。それぞれ素晴らしい絵や(建築の方は設計図だけでなく、「絵」も本当に上手に描かれるんですね!)パワーポイントを用いた発表だったので私が文字でお伝えできるのはわずかですが、そのつもりで読んでいただければと思います。発表の順番など、ブログのトップバッターR.Sさんの記事をご参照ください(今月20日の記事です)。
(以下では主に当日の発表順序に従って記します。残念ながら大雪の影響で欠席された文化学園大学・東京工科大学の皆さんの代理発表については省かせていただきます。)
★長野工業高等専門学校の皆さん★
――「蔵の町並み景観に配慮した店舗併用住宅の設計」
長野工業高等専門学校の皆さんは、今回のプロジェクトに向けて蔵の特徴などを調査し、それを活かした店舗兼住宅を設計したそうです。発表ではその中からだんご屋や書店の設計が紹介されました。
設計図が単なる美しい絵にしか見えない私としては、どんな難しい話をされるのかと身構えていたのですが、話の核心は誰もが理解・共感できるものだったように思います。例えば、説明の中には「トイレを入り口付近に設置して利用しやすいようにし、地域に溶け込ませるように工夫した」というものがありました。 蔵の町並みという景観に配慮するというのが今回の事業全体にとってはポイントかもしれませんが、見た目と共に、蔵の町並みという暮らしにマッチする家屋というのが設計者にとっては大きなポイントになったのかもしれませんね。
★長野県短期大学の皆さん★
○生活科学科健康栄養専攻
――「おやき作り体験―郷土食の継承―」
実際に学生が参加して行われたおやき作り体験の様子が紹介されました。須坂は山間部でお米を作れる場が限られているため、おやきは各地で見られるそうです。
――「ガーナ 須坂を行く―パワーポイントで作成したアニメを用いた食育の試み―」
発表者の方が、自作のとても可愛らしい「ガーナ」ちゃんのアニメーションにマイクでナレーションを入れながら見せてくださいました。おやきはもちろん、アニメーションに登場するのはどれも須坂の名物・名所になっていて、須坂全体の素晴らしいPRになっていると思いました!
○生活科学科生活環境専攻
――「須坂駅前の景観まちづくりと活性化に関する調査―須坂の魅力を伝える案内人の誕生―」
須坂の駅前のバス停留所や市内のベンチなど具体的な場所・ものを取り上げ、その改善案について発表されていました。たとえば、ささくれたベンチでは誰も座りたがらないような場所となってしまうので、整備するのがよいというお話しがありました。
これは東大チームの「住みやすい都市須坂」という構想に共通するところがあると思います。私は発表を聞きながら、「整備されている」ということの意味合いは「心地よさ」「住みやすさ」ということとのバランスを取るのが案外難しいのかもしれない、などと考えていました。
★清泉女学院大学の皆さん★
――「駅からハイキングプロジェクト」の報告
清泉女学院大学の皆さんは、大雪の影響で順番を遅らせての発表となりました。発表の時には会場の左奥の壁沿いに女学生の皆さんがずらり!驚きました。
皆さんは、「蔵の町並みキャンパス事業には平成20年度からの参加、23年度からはJRの、駅からハイキングという企画の枠組み内で、須坂を題材にハイキングコースを考え、実際に運営することをしています。」…W.Sさんの簡潔明瞭な記事から引用させてもらいました笑
具体的な発表内容で素晴らしいと思ったのは、「市民歌に沿った街歩き」というコース案です。市民歌の歌詞を須坂でのハイキングコースに沿わせるようにし、具体的な地名や場所の目印の名称がちりばめられていました。これなら歌を口ずさみながら楽しいハイキングが出来そうですよね♪画期的なアイディアだと思いました。
★信州大学工学部建築学科の皆さん★
――「街区の再生」
「街区・路地・須坂」「たまり空間の創出」「共存という再生」というテーマで3名の方が交代で発表されました。 「再生」というのは私が参加していた「持続可能な須坂」班の”あるものを活かして”というコンセプトに通じるものがあると感じます。初めの方の、わざと路地を創り出すというアイディアはとても面白いと思いましたが、これも片側のみに建物がある場所の反対側にも建物を作ることで建物に挟まれた道をつくるという具合に、あくまでも「再生」のなかで行われるのですね。
路地って建物に挟まれた場所にできるんですね。当たり前かもしれないですが、妙に納得して聞いてしまいました。
――「民家の再生」
発表の冒頭で説明された担当教官の方によれば、民家の再生に関しては90%がソフト面だとのことでした。美しい景色に加えて日常的な土間の景色を枠の中に取り込むように工夫した設計「切り取る景色」の提案や、現状分析に基づいて民家を学習室・シェアハウスとして再生する設計案、古民家を活かしたサテライトオフィスの提案など、どれも印象的でした。
以上、蔵の町並みキャンパス事業に参加されている他大学の皆さんの発表を簡単に報告いたしました!8日の発表会では、以上の成果発表に続いて信州大学工学部土本研究室の皆さんによる「田中下屋敷調査報告」が行われました(やや専門的でしたので、ここでは割愛)。
発表全体を通して皆さんがこのプロジェクトに非常に精力的に、意気込んで参加しているのを感じ、正直なところ圧倒されてしまいました。具体的に須坂に即して考えられた提案の一つひとつが本当に素晴らしかったです。特に建物の設計については、皆さんが、須坂市民の日常の生活、それこそ一瞬一瞬の視線感覚にまで思いを馳せ、思いやった結果が具現化されたものだと感じました。
ただ、やはり発表の方法については改善のよりがあると感じます。もっと市民に開かれたものにできたらよいのではないでしょうか(例年のことは分りませんが、参観した市民はやはり少なかったように思います…)。建物の提供などの関わりに加え、学生と市民の意見の交換の機会をより積極的に設けることでソフト面での展開にもつながるのではないかと思いました。私が知らないだけでもうされているかもしれませんね。
学生にとっては蔵の町並みというもの自体が素晴らしいキャンパスなのだと思います。もし「町並み」+「キャンパス事業に参加する皆さんの思いやり」+「より広い市民の参加」という足し算が成り立てば、蔵の町並みは須坂のまちづくりのための実践的キャンパスにできるのではないでしょうか。
モンハン…??外国人の方がたくさん乗っていました! |
読んでくださった方、心からありがとうございました。
長野県須坂市『蔵の町並みキャンパス』~東大発表編
学部ゼミ4年のmacadamiaと申します。今日のブログでは、これまで何回かお伝えしてきた「蔵の町並みキャンパス」の、東大の発表内容について書きたいと思います。
僕たちの発表のテーマは『須坂市文化芸術振興ビジョンの育て方』でした。僕たちは5つのグループに分かれて、それぞれのグループで須坂市の文化芸術振興ビジョンを実現させるための提案を考え、発表することにしました。
須坂市文化芸術振興ビジョンとは、須坂市の文化芸術政策の基本方針を打ち出したものです。
大まかにその内容をまとめます。現在須坂にある歴史的・文化的な資源を活用することが軸のひとつとなっています。そしてもうひとつの軸は、活動を行う市民や団体どうしや、観光客、そして市(行政)とが連携し、ネットワーク化を図ることです。これをビジョンは「ゆるやかな連携」と呼んでいます。活用とネットワーク化によって、継続的に発展する須坂を創り上げることをゴールとしています。
PDFでダウンロードもできるので、ぜひご覧ください!→http://www.city.suzaka.nagano.jp/files/pdf/bunka_bijyon.pdf
どのグループも、このビジョンに関連した提案をしています。以下が、その5つのグループの提案の要旨です。
(ちなみに、写真はmacadamiaが撮影したものです。ブレブレです。。プ、プライバシーの保護のためです…)
①須坂市文化芸術振興ビジョンの育て方
―市民が評価し、皆で創り上げるビジョンへ―
須坂市の文化政策の指針となっている文化芸術振興ビジョン。しかし、市民がその策定に十分に関われていないばかりか、知られてもいないようなのです。また、文化政策を評価するしくみもありません。これらの問題を解決するために、ビジョンの評価基準を市民の方々に作成していただくことを提案しました。市民の方々にビジョンを理解していただくとともに、ビジョンに市民の意見を反映させ、行政・市民・活動団体が一体となって須坂の文化を発展させることを提案しました。
②今日は須坂の日
―須坂の人が、須坂でくつろげる場を創出するために、蔵のまち観光交流センターをカフェにする―
ボルドーのまちづくりの考え方によれば、都市のなかにくつろげる場を増やすことで市民はその都市を愛し始めるようになるといいます。くつろぐ場として、誰かがそこにいてくれて、自分のしたいことができる場所がいいと考えます。そこでこのグループは、家っぽさのあるカフェを提案しました。そのカフェは、須坂の中心部にある蔵のまち観光交流センターを活用して、市民のための場につくりかえます。そして人を集めるきっかけとして、ワークショップなどのイベントを行います。
短いフレーズを重ねたり、写真を効果的に使ったりして、キャッチーで印象的な発表に感じました!
③「持続可能な須坂」を目指して
―Facebookでつながりを作る―
インターネット上の須坂関連サイトとしては、「いけいけ須坂」のFacebookページがあります。しかしその“いいね!”の数は174(発表時)と多くありません。“いいね!”の数はまちの魅力と相関関係にあります。Facebookへの“いいね!”を増やすことで、須坂の魅力に気づくことができるでしょう。例えば、蔵の町並みキャンパス事業のFacebookグループを作って、情報の共有を継続的に行うことができます。
発表者のK君がプレゼン慣れしていて、とてもよかったです。発表後に拍手が起こりました。笑
今Facbookを見たら、“いいね!”が187になってました。みなさんもhttps://www.facebook.com/suzakacityにアクセス!
④住みやすい都市須坂へ
―須坂の文化を醸成するためにアートプロジェクトやオペラワークショップを活用する―
文化を用いて住み良い街にすることを目標に、子育て層をターゲットにした提案を考えました。市民への調査によれば、活気のなさや汚さを解消することが求められています。そこで汚さの解決策として、幼稚園や小学校の子どもたちに動物園をきれいにしてもらい、それを文化芸術の場にもする、ピカフェスという清掃イベントを提案しました。また、地域住民からボランティアを募って子どもが集える場を提供し、活気を生み出すことも考えました。
須坂の動物園にあった飾りに対する、「汚い!」という率直な感想がインパクト大きかったです。
⑤新しいスザカを考える会
―「緩やかな連携の構築」と「人と場所をつなぐ」アイデアを生み出すプロセスの創設―
文化芸術に関わる活動や団体は、例えばNEXT須坂http://www.kuramachinavi.jp/がカッタカタ祭りや街歩きを企画していたり、他にも蔵の朝市や信州岩波講座が行われたりと、実はたくさんあります。それらの団体や場所をつなぐこと、つまり「緩やかな連携」が必要なのです。そこで市民会議を開設し、顔合わせや講座やセミナーの実施、企画の評価といった過程を繰り返すなかで「緩やかな連携」が築けると考えました。最終的にはその過程で市民プロデューサーを育て、「市民が市民を巻き込む」ことを狙いとしています。
単に場を作るだけでなく、プロセスを提案するというのがいいですよね。発表前に雪によるハプニングがありましたが、しっかり発表しました。
僕は①のグループでしたが、なかなかプレゼンを作り上げるというのは大変なことだと痛感させられました。何度も何度もゼミでリハーサルを行い、ゼミのみんなや先生からのやさしくも厳しいコメントをボコボコ受けながら、どのグループも提案をブラッシュアップさせていきました。迷宮入りやお蔵入りになったアイディアたちもありましたが、すごく練り上げられた発表になったのではないかと思います。
そうした思いもあって、発表会後の交流会で市長さんに「僕らの提案は実現してくださるんですか!!??」と聞いてみました。ビビりながらも果敢なアタックです。
…報告書を見てから判断してくださるそうです。なるほど。
ゼミのみんな、報告書がんばりましょう。笑
ちなみに、帰りは大雪だったので、僕は善光寺近くの旅館に泊まりました。長野灯明祭りが行われていて、ライトアップされた善光寺と雪景色と灯明の光が、泥酔した心に沁み入りました。。
では。
2014年2月24日月曜日
須坂探検
学部3年のJです。
これまでの投稿にあったように、小林ゼミは2月8日に長野県須坂市の蔵の町並みキャンパス事業の発表会に参加しました。
発表会に先立って、私は前日に須坂に入り、現地を探検して回りました。
少しばかり、そこでの発見をご紹介します。
1. お洒落な須坂
以前須坂を訪れたのは夏合宿の時でした。その時は文化施設を中心に巡りましたが、ゼミ生から出た感想は「あまりぱっとしない」というもの。お洒落からは遠いイメージでしたが、しかし須坂にもお洒落な場所がありました。
・ゲストハウス蔵
今回宿泊したのがここ。古民家を改装したゲストハウスで、とても落ち着きます。これぞ蔵の町並みといった感じ。若い女性オーナーさんからは、須坂のお洒落な店を色々と教えてもらったり、夜遅くまで須坂のまちづくりについて話してもらったりと、大変お世話になりました。彼女は元日本語教師だそうで、語学堪能。外国人宿泊客が多く訪れるそうです。
・EIGHTDAYS
クラシック美術館の隣にあるセレクトショップ。通りに沿ってガラス張りになっているお店には、洋服や雑貨が美しく並べられていました。長野県全域からコアなファンが訪れるらしい。
・ヤンネ
少し路地に入ると見つかる、可愛らしい雑貨屋さん。須坂発のオリジナル雑貨を販売しています。私が伺った時には、お店の方がソファに座りながら雑貨の制作中でした。素敵なデザインのものが多くて、私も何点か購入しました。
2. おいしい須坂
夏に須坂で食べた料理は、THE伝統、THE田舎料理、みたいなものが多かったのですが、今風においしいものもたくさんあるようです。
・あがれ屋
お蕎麦屋さん。囲炉裏が切ってある店内で、店主が畑で育てた十割そばを食べられます。
つゆではなく水につける水蕎麦は、蕎麦の香りや味が豊かに伝わってきました。
・il vico
隠れ家的イタリアン。家屋にまぎれて見つからず、たまたま通りかかった人に場所を教えてもらいました(ありがとうございました)。前菜・パスタ・ドリンクで1000円のランチは本格的です。
3. 車社会の須坂
お洒落な店やおいしい店もある須坂ですが、しかし歩き回って一番印象に残ったのが、この地が車社会だということでした。
ゲストハウス蔵をはじめとする、日本家屋が立ち並んでいる通りは国道沿い。歩道は狭く、車の往来は多くて、とても落ち着いて建物を見たり散策したりする雰囲気ではありません。観光の中心地であるはずの蔵の町並みも、目の前は車道。私が歩いている時には、教習車が通り過ぎて行きました。観光客が自由に歩き回ることはできないだろうなというのが、正直な印象です。
そして、車社会だからこそ、鉄道の駅周辺は衰退しています。事前調査でそのことは把握していましたが、いざ行ってみると「本当になにもないな」という思いが沸き起こりました。
4. 雪の須坂
ゲストハウスで一泊した翌朝、発表会当日は大変な雪でした。雪が降る地域で暮らしたことがないので、はじめて雪かきをしました。これは楽しかったですが、しかし、雪の中を会場まで歩いていくのは一苦労。キャリーケースを転がすこともできず、もってきた意味がありませんでした。
今回須坂を自分の足で歩いたことで、調べ物をしたり、車で施設を巡ったりするだけでは得られない、土地勘が少しついたように思います。このナマの体験を、次年度も須坂に関わっていくなかで活かせればと思います。
長野県須坂市『蔵の町並みキャンパス』~交流会編
小林真理ゼミ所属、3年生のW.Sです。
前の記事では「蔵の町並みキャンパス事業」や、舞台となる須坂市の紹介がされました。私は「蔵の町並みキャンパス成果発表会」終了後の交流会について書きます!
実は発表会前日から須坂にある素敵なゲストハウスに前泊したり、ものすごい雪の中で須坂市内を移動したりと、いろいろ印象深いことはありますが、それはまた別の機会に^ ^
成果発表会終了後、そのまま同じ階の交流会会場に移動しました。ちなみにこの交流会会場には各校の成果物が展示されていました。
農業が盛んな須坂らしい、ワインや郷土食がテーブルに並びます。成果発表会には参加できなかった須坂市の市長さんが急遽駆けつけ、乾杯の音頭をとってくださいました。
テーブルの上はこんな感じ。
特に私が推したい食べ物を取り上げましょう!!
まずは須坂名物おやき(画面左下の2皿ですね)。「おやきは小麦粉の皮で野菜やあんこなどの具を包んだもの」(https://www.suzaka.ne.jp/oyaki/)。地域によっては「おやき」といっても焼いてはいないものが主流のところがあり、須坂のおやきも、焼いていない、ふっくらおやき。菜の花あんのものが個人的にはお気に入りです。
もうひとつ、みそすきあんぱん(おやき2皿の上、巻き寿司の右にあるもの)。これは発表会終了後にいただいて帰って、翌日新幹線の中で食べたのですが、大雪で乱れた交通網や歩きにくい道路などで疲れ果てた体に染み渡るすばらしい美味しさでした。そもそも須坂には「みそすき丼」という名物があるのですが(詳しくはこちらhttp://www.city.suzaka.nagano.jp/enjoy/kankou/miso/misosuki.php)、何やら須坂にある高校が関わってパンにアレンジされた様子。もうウマー(゜Д゜)!!!なのですよ。全国で発売されたりしないのでしょうか。
さて、せっかくなので、他校の参加者のみなさんに突撃取材してみました。余談ですが、食べて飲んでとにぎやかな会場の中で筆記用具片手にお話うかがえますかなどと声をかけていたのが私だけだったので、何回か須坂市の職員に間違われました笑
まずは信州大学工学部建築学科3年のみなさん。信大建築学科は蔵の町並みキャンパス事業開始当時から関わっています。発表会については、「長かった」という声もありましたが、いろいろな学校の発表が聞けてよかったとの声も聞かれました。信大建築学科の今年度の取り組みについては、「(課題をこなすために)10月から10回以上須坂に来た」「週1で須坂に来た」「学生全員に対して課題が2種類あり、ひとつにつき7週間取り組んだ」とのこと。「3年から4年に進級する人はもう蔵の町並みキャンパス事業に関わらない」そうです。ちなみに「たまたま今回留学生が多い(ケニア、モンゴル、中国、ベトナム)」とのこと。信大建築学科、国際的!
お次は清泉女学院大学のみなさん。蔵の町並みキャンパス事業には平成20年度からの参加、23年度からはJRの、駅からハイキングという企画の枠組み内で、須坂を題材にハイキングコースを考え、実際に運営することをしています。「(実施した)ハイキングは都会の人も長野の人も来る」そうですが、やはり「2年から3年と進級する人はやめちゃう」そうで、最初どのようにJRと関わることになったのかは聞けませんでした。実は基礎英語演習という講義の枠内での取り組みだそうですが、英語はほとんど使わなかったとか。発表会については、他の学校の発表も聞けていいという感想がこちらでも聞かれました。
長野工業高等専門学校も早い段階からの参加校ですが、今までとは違って今年度からは必修の授業の中で、須坂市と関わることになったそうです。発表会について、「オーディエンスがあんなに多いとは思わなかった」「トップバッターで緊張した(注 当日は大雪の影響で発表順が変わり、急きょ長野高専のみなさんがトップバッターに)」といった感想がありました。長野高専の先生の方にもお話を聞けたのですが、東大の発表については、学生らしくズバズバ言っていいのではないか、実際に市民を動かすところまで行くといいね、とおっしゃっていました。
長野県短期大学生活科学科生活環境専攻の発表は、実際に関わった20数名の学生から選抜された2人が行なっていたそうで、お話を聞いた時にはやるべきことを果たして発表者はかなりホッとした様子でした。ちなみにうち1人は須坂在住とのこと。
長野県短期大学は他の学科やゼミも蔵の町並みキャンパス事業にさまざまなかたちで関わっていて、成果発表会では学生たちのおやき作り体験について先生が発表していました。前述のおやきの話はこの先生のお話を参考にしています^ ^
さてさて、今年度初めて学部に小林先生がゼミを開き、そして初めて須坂市に関わり、かつ3年生の私は初めて本格的にゼミに参加するということで、初めてだらけでした。須坂市に夏合宿で行き、その後いろいろと調べ、蔵の町並みキャンパス成果発表会に参加し、交流会では他校の取り組みについても少しだけかもしれませんが理解を深められました。来年度も須坂市に関われると思うので、今年の経験をきっちり生かして、地に足つけてじっくり活動したいなという抱負を語って、交流会編は終わりとしたいと思います!お読みいただき、ありがとうございました!
前の記事では「蔵の町並みキャンパス事業」や、舞台となる須坂市の紹介がされました。私は「蔵の町並みキャンパス成果発表会」終了後の交流会について書きます!
実は発表会前日から須坂にある素敵なゲストハウスに前泊したり、ものすごい雪の中で須坂市内を移動したりと、いろいろ印象深いことはありますが、それはまた別の機会に^ ^
成果発表会終了後、そのまま同じ階の交流会会場に移動しました。ちなみにこの交流会会場には各校の成果物が展示されていました。
農業が盛んな須坂らしい、ワインや郷土食がテーブルに並びます。成果発表会には参加できなかった須坂市の市長さんが急遽駆けつけ、乾杯の音頭をとってくださいました。
テーブルの上はこんな感じ。
特に私が推したい食べ物を取り上げましょう!!
まずは須坂名物おやき(画面左下の2皿ですね)。「おやきは小麦粉の皮で野菜やあんこなどの具を包んだもの」(https://www.suzaka.ne.jp/oyaki/)。地域によっては「おやき」といっても焼いてはいないものが主流のところがあり、須坂のおやきも、焼いていない、ふっくらおやき。菜の花あんのものが個人的にはお気に入りです。
もうひとつ、みそすきあんぱん(おやき2皿の上、巻き寿司の右にあるもの)。これは発表会終了後にいただいて帰って、翌日新幹線の中で食べたのですが、大雪で乱れた交通網や歩きにくい道路などで疲れ果てた体に染み渡るすばらしい美味しさでした。そもそも須坂には「みそすき丼」という名物があるのですが(詳しくはこちらhttp://www.city.suzaka.nagano.jp/enjoy/kankou/miso/misosuki.php)、何やら須坂にある高校が関わってパンにアレンジされた様子。もうウマー(゜Д゜)!!!なのですよ。全国で発売されたりしないのでしょうか。
さて、せっかくなので、他校の参加者のみなさんに突撃取材してみました。余談ですが、食べて飲んでとにぎやかな会場の中で筆記用具片手にお話うかがえますかなどと声をかけていたのが私だけだったので、何回か須坂市の職員に間違われました笑
まずは信州大学工学部建築学科3年のみなさん。信大建築学科は蔵の町並みキャンパス事業開始当時から関わっています。発表会については、「長かった」という声もありましたが、いろいろな学校の発表が聞けてよかったとの声も聞かれました。信大建築学科の今年度の取り組みについては、「(課題をこなすために)10月から10回以上須坂に来た」「週1で須坂に来た」「学生全員に対して課題が2種類あり、ひとつにつき7週間取り組んだ」とのこと。「3年から4年に進級する人はもう蔵の町並みキャンパス事業に関わらない」そうです。ちなみに「たまたま今回留学生が多い(ケニア、モンゴル、中国、ベトナム)」とのこと。信大建築学科、国際的!
お次は清泉女学院大学のみなさん。蔵の町並みキャンパス事業には平成20年度からの参加、23年度からはJRの、駅からハイキングという企画の枠組み内で、須坂を題材にハイキングコースを考え、実際に運営することをしています。「(実施した)ハイキングは都会の人も長野の人も来る」そうですが、やはり「2年から3年と進級する人はやめちゃう」そうで、最初どのようにJRと関わることになったのかは聞けませんでした。実は基礎英語演習という講義の枠内での取り組みだそうですが、英語はほとんど使わなかったとか。発表会については、他の学校の発表も聞けていいという感想がこちらでも聞かれました。
長野工業高等専門学校も早い段階からの参加校ですが、今までとは違って今年度からは必修の授業の中で、須坂市と関わることになったそうです。発表会について、「オーディエンスがあんなに多いとは思わなかった」「トップバッターで緊張した(注 当日は大雪の影響で発表順が変わり、急きょ長野高専のみなさんがトップバッターに)」といった感想がありました。長野高専の先生の方にもお話を聞けたのですが、東大の発表については、学生らしくズバズバ言っていいのではないか、実際に市民を動かすところまで行くといいね、とおっしゃっていました。
長野県短期大学生活科学科生活環境専攻の発表は、実際に関わった20数名の学生から選抜された2人が行なっていたそうで、お話を聞いた時にはやるべきことを果たして発表者はかなりホッとした様子でした。ちなみにうち1人は須坂在住とのこと。
長野県短期大学は他の学科やゼミも蔵の町並みキャンパス事業にさまざまなかたちで関わっていて、成果発表会では学生たちのおやき作り体験について先生が発表していました。前述のおやきの話はこの先生のお話を参考にしています^ ^
さてさて、今年度初めて学部に小林先生がゼミを開き、そして初めて須坂市に関わり、かつ3年生の私は初めて本格的にゼミに参加するということで、初めてだらけでした。須坂市に夏合宿で行き、その後いろいろと調べ、蔵の町並みキャンパス成果発表会に参加し、交流会では他校の取り組みについても少しだけかもしれませんが理解を深められました。来年度も須坂市に関われると思うので、今年の経験をきっちり生かして、地に足つけてじっくり活動したいなという抱負を語って、交流会編は終わりとしたいと思います!お読みいただき、ありがとうございました!
2014年2月20日木曜日
長野県須坂市『蔵の町並みキャンパス』
皆さんこんにちは!
小林真理ゼミに所属している3年生のR.Sです!
先週長野県須坂市で開催された、「蔵の町並みキャンパス」に小林真理ゼミの3年生、4年生が参加しました。まず、ここで須坂市や「蔵の町並みキャンパス」について簡単に紹介させていただこうと思います。続いて他のゼミのメンバーが当日の様子などを紹介して行きます!
【須坂市紹介】
須坂市は長野県北部に位置する人口5万人程の市です。江戸時代には須坂藩主掘氏の館長として、また大笹街道と谷街道の交差する場として、数々の商取引が須坂で行われてきました。その後、明治から昭和にかけて製糸業により繁栄し、その歴史を背景として建てられた「蔵」が今でも商店や美術館、博物館として市内に多く残っています。非常にのどかで美しい町並みがとても魅力的です。特に「蔵」の多く並ぶ中心街は綺麗に整備されており、製糸業によって繁栄した須坂の豊かな歴史が感じられます。中心街から少し離れたところには「臥竜公園」があります。「臥竜公園」の桜並木は『さくら名所100選』に選ばれる程美しく、公園の中心にある池の周りには160本のソメイヨシノが楽しめます。また、公園内にはアカカンガルーの「ハッチ」で有名な「須坂動物園」や水族館などがあります。小林真理ゼミでも「臥竜公園」や「須坂動物園」に訪れました。非常にアットホームな雰囲気で、かわいらしい動物達が多くいる「須坂動物園」は個人的に特に気に入りました!さらに、須坂では一年を通じ、「須坂カッタカタ祭り」や「須坂祇園祭」など、様々なイベントが開催されています。この様に文化も自然もとても豊かな須坂市です!皆様も是非一度行ってみてはいかがでしょうか。
【蔵の街キャンパス】
先程記した通り、須坂は自然と文化が非常に豊かな市です。「蔵の町並みキャンパス」とは、その様に豊かな須坂市の遺産を研究材料にし、様々な大学や専門学校の学生達がより豊かな須坂の実現に向けて様々な案を考える事業です。具体的には、『須坂の歴史と文化の集積である蔵造りの建物を活用し、学生等が研究交流する中で、21世紀を担う知の創出と、新たな情報の発信地として賑わいあるまちづくりを進めるため、“蔵の町「須坂」をキャンパスに(案)”をメインテーマに、市民の皆さん、市内の企業、まちづくり団体と行政が連携し「蔵の町並みキャンパス推進協議会」を設立し、大学、短大、高等専門学校の授業や研究活動を支援する』という試みです。今年は2月8日に開催され、例年よりも3校多い、7校の大学、専門学校、短期大学の学生が参加しました。当日の流れは以下の通りになります:
①開会
②あいさつ
③成果発表
1)清泉女学院大学『駅からハイキングプロジェクト』報告
2)長野工業高等専門学校『蔵の町並み景観に配慮した店舗併用住宅の設計』報告
3)長野短期大学
・生活科学科健康栄養選好『おやき作り体験-郷土食の継承-』、『ガーナ須坂を行く-パワーポイントで作成したアニメを用いた食育の試み-』報告
・生活科学科生活環境選好『須坂駅前の景観まちづくりと活性化に関する調査-須坂の魅力を伝える案内人の誕生-』報告
4)信州大学工学部建築学科『街区の再生』、『民家の再生』報告
5)東京大学『文化芸術振興ビジョンの育て方』報告
6)文化学園大学・東京工科大学『須坂市古民家再生プロジェクト「平成25年度活動報告」』報告
④調査報告
信州大学工学部土本研究室「田中下屋敷調査報告」
⑤質疑
⑥講評
⑦その他
⑧閉会
大雪の影響もあり、今回は来れなかった学生もいたため、全て予定通りには行きませんでしたが、それぞれの大学の報告は非常に興味深く、とても良い経験をさせていただきました。次回の投稿では他のゼミのメンバーが改めて当日の雰囲気や各大学の発表の内容について報告しますので、楽しみにしてください!
R.S
2014年2月4日火曜日
初体験!
久しぶりの投稿です。M.Hです。
先日、オペラデビューしてしまいました!
あまり大きな声では言えないのですが、2○年間オペラは一度も観たことがなかったのです。
イギリスにいた頃はシェイクスピア劇やミュージカルばかり観てい て、オペラは漠然と「敷居が高いもの」と意識していたように思います。
オペラ初鑑賞の演目は藤原歌劇団の公演、ロッシーニ『オリィ伯爵』。
鑑賞前に予習をしようと、 図書館でオペラ入門という本を読んでみるも
、、、、、演目がない!!!!
どうやらマイナーな演目らしいのです。
どうしよう、私にもわかるのか!?
そんな不安を抱きつつ、東京文化会館に向かうと、
公演1時間前には作品紹介が行われていました。
ほっと安心するも、話を聞いてもよく分からない。
オペラを全く見たことがないので、 専門用語を聞いてもぴんとこないのです。
登場人物の名前も、いまいち頭に入ってこない。
どうしよう。。。
軽くパニック状態でしたが、初めてなのだから、 とりあえずその空間を楽しもう!と開きなおりました。
公演自体はフランス語上演で、日本語字幕が表示されていました。内容は非常にシンプルなものだったので、 テーマについてというよりは、歌手の歌声を堪能した3時間でした。
歌を通じて表現するエネルギーや楽しさが舞台から伝わってきて、 こちらも気分がよくなるものです。 気付くと体がゆらりゆらりと自然に動いていました。
劇場には様々な年齢の方がいて、 みなさん思い思いに作品を楽しんでいたように思います。
いつも歌舞伎をみている私にとっては「○○屋!」ではなく、「ブラボー!!」の掛け声がとても新鮮でした。
配布された公演のチラシに目を通すと、 私が想像していた以上に多くのオペラ作品が上演されていて、 日本におけるオペラのひろがりを感じました。
修士論文を執筆する際、明治・大正時代の芸能雑誌に目を通す中で、当時、日本にオペラやクラシック音楽を普及しようと帰国し、活躍した日本 人演奏家、オペラ愛好者の存在が印象に残っています。明治期に、東京音楽学校でオペラ作品が上演さ れて以来、海外からの受容とともに、 日本人による創作活動を意図した試行錯誤を繰り返し、 日本のオペラ文化は独自に展開してきました。
その中で、オペラという文化を支えたものは何であったのか。
現在のようなクラシック・ オペラファンが増えたきっかけを作った要因は何だったのか。
そして、これから日本のオペラはどのような道を辿るのか。
まだまだ未知の世界ですが、今後少しずつオペラに関する知識を深めていきたいと思います。
M.H
2014年2月2日日曜日
事件は現場で起こっている ― あるいはクリエイターに勝つことはできないということ
「美術の現場」とはどこなのでしょうか。
制作の現場だという答えはひとつの正解だと思います。作家やアーティストが作品を生み出す場と瞬間、それこそが美術の現場のひとつであることは疑いないと思います。
それでは美術館はどうでしょうか。制作された作品を収集し展示し人々に公開する美術館を美術の現場と呼ぶことができるのでしょうか。これは美術館批判ではなく、僕が長年持ち続けいまだ解決できていない疑問です。「美術に関する仕事がしたい」と考える人が思い浮かべやすい仕事場は美術館であると思います。しかし美術館(のほとんどの機能)は美術を生み出す場であるとは言い難いと思います。美術批評と制作の関係性にも似て、すでに生み出された作品の存在を起点にして美術館としての機能が発生することが多いわけです(美術館の展示が美術史を形成していったという話は他に譲ります)。美術館が制作の現場ではない場合、美術館は「美術の現場」と呼ぶことはできるでしょうか。「美術の場」ではあるかと思いますが。
この疑問は「文化政策の現場」という言い回しでも適用できると思います。芸術文化を生み出すクリエイターを支援・育成・活用することは得意だしそれこそが文化政策の目的であり主たる機能なのかなとも思いますが(文化芸術の有価値を無批判に前提とする一種の思考停止も如何なものかと思いますが)、制作者としてではない形で文化政策に携わっている人の話を聞いたり本を読んだりしていく中で、文化政策に携わるあなたの立場は文化芸術の「現場」にあるのですかと問いたくなる瞬間が多々あることも事実です。
学芸員という職業に対する疑問は山ほどあるのですが、そのひとつは「結局学芸員はアーティストに勝てないんじゃないか」ということです。
学芸員について話題にされる言説の中に、ひとつのストーリーやテーマに合わせて作品を選択し配置し発表する展覧会というものは学芸員にとっての「作品」といえる、という言い方をするものがたまに見受けられます。学芸員が作り出した展覧会は本当に作品と呼べるでしょうか。少々乱暴な言い方をすればその言説はレトリックに過ぎないのではないかと思います。すでにあるもの、他の誰かが作ったものをストーリーやテーマに合わせて選択し配置することは、一種の「編集」行為だと思います。作家やエッセイストが書いた文章、マンガ家が書いたマンガを集め体裁を正し雑誌という形でひとつにまとめ発表する編集者をクリエイターと呼ぶことができるでしょうか。編集者という機能に重きが置かれる以上、展覧会を組む学芸員をクリエイターと呼び、展覧会を「作品」と呼ぶことには無理があるのではないでしょうか。作家、アーティスト、芸術家をクリエイターと呼ぶことができるならば、学芸員や編集者の仕事はクリエイターの作品を編集することです。そうであれば、「美術」にしろ「アート」にしろ「文化政策」にしろその大きな渦のコアであり中心であるのはクリエイターであることを認めないわけにはいきません。クリエイターが生み出す作品や文化がなければ学芸員も編集者も職業として成立しえないと思います。その時、「現場」とは制作の現場のことであり、その周りにいる立場の人々の機能は制作の現場を設えること、制作の現場を快適にすることでしかないと言えてしまうのではないでしょうか。
そのことは、音楽の世界における作曲家と演奏者・指揮者の関係、映画における原作者と脚本家・映画監督の関係、舞台芸術における原作者と演者・演出家・舞台監督の関係などにもあてはまると思います。
僕個人に関して言えば、美術館や学芸員の根源的なあり方そのものに疑問を持っていることや、まっすぐに学芸員になりたいと言い難い心理的な原因はこのあたりにあります。苦労して学芸員になったところで、結局はクリエイターに勝てないんじゃないか。そう思うからこそ、音楽をやってみたり写真を撮ってみたりいろいろとやっているわけでもあります(もちろんそれだけが理由ではありませんが)。ただそこにも問題はあり、たとえば楽器を演奏するにしても人の書いた曲を演奏しているだけでは演奏者の枠から抜け出すことはできませんし、だからと言ってオリジナルで作曲をしたところで音楽理論なる定型化された大きな枠組みを抜け出すことは非常に困難です。突き抜けてジョン・ケージの真似ごとやフリージャズをやっても一時的に変な音楽をやった面白い人という評価を超えることは難しいでしょう。根源的に音楽理論なる20世紀に体系づけられた[仮の]体系そのものを疑問視し脱構築する必要がある時代に来ているようにすら考えています。写真にしたって、すでにあるこの世界の一部を切り取ることがその方法である以上インデックスを繰り返し再生産しているにすぎず、「その対象に目をつけてその角度でそういうライティングで撮影したそのアイデアが素晴らしい!」というふたひねり半くらいした奇妙な評価になりがちです。見たものそのままを写す写真にはできない空想の世界や偶然キャンバス上にできた模様を目に見える形に描き出せるのは絵画だけだといって写真や写実絵画に対する優位を説いた19世紀抽象画家や象徴主義の作家たちの主張はこの点において正当性を持つものだと思います。フォトショップとかの画像加工ツールを使えば写真だって見たものそのままを写したものじゃなくなるじゃないか!という意見もありますが、それは現実の描写を思うように「修正」しているにすぎず、素材は現実の光景を用いていることには変わりありません。そもそも音楽にせよ絵画にせよ写真にせよそのようにジャンルを区切って話題にしていること自体が前世紀までに美術史学の発展の中で区分されたジャンル分けを無意識に踏襲してしまっているからであり、「クリエイターになろう!」といって「絵画にしようかな、写真がいいかな、音楽家になろうかな」と選択すること自体がすでに確立された(ように見える)ジャンルの枠に最初から無意識に囚われてしまっているわけです。この壁を超えることは容易なことではありません。この壁を乗り越えようと試行錯誤を試みる勇者にはたいがい「変な人」という不名誉な評価を与えられてしまうことが多く、成功し名声を得ることは並大抵のことではありません。ジャンルの壁を乗り越えることに成功したところで、それは「新たなジャンルをもうひとつ生み出した」ことに結実し、結局は新たなジャンルの壁を創出したに過ぎなくなる可能性だって大いにあるのです。コンピュータの発明以降人類の発明は新しく何かを生み出すことは不可能になり、すでにあるものの組み合わせを生み出し続けることしかできなくなったという話もあります。そこまで考えると真のクリエイターになることがどれほど困難なことであるか途方に暮れてしまうことも確かです。
ずっと持ち続けている疑問でまだ解決できておらず結論は出せていないのですが、自らクリエイターにならずクリエイターを生かすことを主業とすると決意するのであれば、それだけの理由と意味を自らの中に構築しておく必要があるのかなとも考えています。
(志)
制作の現場だという答えはひとつの正解だと思います。作家やアーティストが作品を生み出す場と瞬間、それこそが美術の現場のひとつであることは疑いないと思います。
それでは美術館はどうでしょうか。制作された作品を収集し展示し人々に公開する美術館を美術の現場と呼ぶことができるのでしょうか。これは美術館批判ではなく、僕が長年持ち続けいまだ解決できていない疑問です。「美術に関する仕事がしたい」と考える人が思い浮かべやすい仕事場は美術館であると思います。しかし美術館(のほとんどの機能)は美術を生み出す場であるとは言い難いと思います。美術批評と制作の関係性にも似て、すでに生み出された作品の存在を起点にして美術館としての機能が発生することが多いわけです(美術館の展示が美術史を形成していったという話は他に譲ります)。美術館が制作の現場ではない場合、美術館は「美術の現場」と呼ぶことはできるでしょうか。「美術の場」ではあるかと思いますが。
この疑問は「文化政策の現場」という言い回しでも適用できると思います。芸術文化を生み出すクリエイターを支援・育成・活用することは得意だしそれこそが文化政策の目的であり主たる機能なのかなとも思いますが(文化芸術の有価値を無批判に前提とする一種の思考停止も如何なものかと思いますが)、制作者としてではない形で文化政策に携わっている人の話を聞いたり本を読んだりしていく中で、文化政策に携わるあなたの立場は文化芸術の「現場」にあるのですかと問いたくなる瞬間が多々あることも事実です。
学芸員という職業に対する疑問は山ほどあるのですが、そのひとつは「結局学芸員はアーティストに勝てないんじゃないか」ということです。
学芸員について話題にされる言説の中に、ひとつのストーリーやテーマに合わせて作品を選択し配置し発表する展覧会というものは学芸員にとっての「作品」といえる、という言い方をするものがたまに見受けられます。学芸員が作り出した展覧会は本当に作品と呼べるでしょうか。少々乱暴な言い方をすればその言説はレトリックに過ぎないのではないかと思います。すでにあるもの、他の誰かが作ったものをストーリーやテーマに合わせて選択し配置することは、一種の「編集」行為だと思います。作家やエッセイストが書いた文章、マンガ家が書いたマンガを集め体裁を正し雑誌という形でひとつにまとめ発表する編集者をクリエイターと呼ぶことができるでしょうか。編集者という機能に重きが置かれる以上、展覧会を組む学芸員をクリエイターと呼び、展覧会を「作品」と呼ぶことには無理があるのではないでしょうか。作家、アーティスト、芸術家をクリエイターと呼ぶことができるならば、学芸員や編集者の仕事はクリエイターの作品を編集することです。そうであれば、「美術」にしろ「アート」にしろ「文化政策」にしろその大きな渦のコアであり中心であるのはクリエイターであることを認めないわけにはいきません。クリエイターが生み出す作品や文化がなければ学芸員も編集者も職業として成立しえないと思います。その時、「現場」とは制作の現場のことであり、その周りにいる立場の人々の機能は制作の現場を設えること、制作の現場を快適にすることでしかないと言えてしまうのではないでしょうか。
そのことは、音楽の世界における作曲家と演奏者・指揮者の関係、映画における原作者と脚本家・映画監督の関係、舞台芸術における原作者と演者・演出家・舞台監督の関係などにもあてはまると思います。
僕個人に関して言えば、美術館や学芸員の根源的なあり方そのものに疑問を持っていることや、まっすぐに学芸員になりたいと言い難い心理的な原因はこのあたりにあります。苦労して学芸員になったところで、結局はクリエイターに勝てないんじゃないか。そう思うからこそ、音楽をやってみたり写真を撮ってみたりいろいろとやっているわけでもあります(もちろんそれだけが理由ではありませんが)。ただそこにも問題はあり、たとえば楽器を演奏するにしても人の書いた曲を演奏しているだけでは演奏者の枠から抜け出すことはできませんし、だからと言ってオリジナルで作曲をしたところで音楽理論なる定型化された大きな枠組みを抜け出すことは非常に困難です。突き抜けてジョン・ケージの真似ごとやフリージャズをやっても一時的に変な音楽をやった面白い人という評価を超えることは難しいでしょう。根源的に音楽理論なる20世紀に体系づけられた[仮の]体系そのものを疑問視し脱構築する必要がある時代に来ているようにすら考えています。写真にしたって、すでにあるこの世界の一部を切り取ることがその方法である以上インデックスを繰り返し再生産しているにすぎず、「その対象に目をつけてその角度でそういうライティングで撮影したそのアイデアが素晴らしい!」というふたひねり半くらいした奇妙な評価になりがちです。見たものそのままを写す写真にはできない空想の世界や偶然キャンバス上にできた模様を目に見える形に描き出せるのは絵画だけだといって写真や写実絵画に対する優位を説いた19世紀抽象画家や象徴主義の作家たちの主張はこの点において正当性を持つものだと思います。フォトショップとかの画像加工ツールを使えば写真だって見たものそのままを写したものじゃなくなるじゃないか!という意見もありますが、それは現実の描写を思うように「修正」しているにすぎず、素材は現実の光景を用いていることには変わりありません。そもそも音楽にせよ絵画にせよ写真にせよそのようにジャンルを区切って話題にしていること自体が前世紀までに美術史学の発展の中で区分されたジャンル分けを無意識に踏襲してしまっているからであり、「クリエイターになろう!」といって「絵画にしようかな、写真がいいかな、音楽家になろうかな」と選択すること自体がすでに確立された(ように見える)ジャンルの枠に最初から無意識に囚われてしまっているわけです。この壁を超えることは容易なことではありません。この壁を乗り越えようと試行錯誤を試みる勇者にはたいがい「変な人」という不名誉な評価を与えられてしまうことが多く、成功し名声を得ることは並大抵のことではありません。ジャンルの壁を乗り越えることに成功したところで、それは「新たなジャンルをもうひとつ生み出した」ことに結実し、結局は新たなジャンルの壁を創出したに過ぎなくなる可能性だって大いにあるのです。コンピュータの発明以降人類の発明は新しく何かを生み出すことは不可能になり、すでにあるものの組み合わせを生み出し続けることしかできなくなったという話もあります。そこまで考えると真のクリエイターになることがどれほど困難なことであるか途方に暮れてしまうことも確かです。
ずっと持ち続けている疑問でまだ解決できておらず結論は出せていないのですが、自らクリエイターにならずクリエイターを生かすことを主業とすると決意するのであれば、それだけの理由と意味を自らの中に構築しておく必要があるのかなとも考えています。
(志)
登録:
投稿 (Atom)