はじめまして、小林ゼミOGの齋藤(旧姓・豊田)です。
家族の仕事の関係で1年半ほど前からシンガポールに住んでいます。
みなさんはシンガポールといえば、どんなものを思い浮かべますか?マーライオンや奇抜なデザインの高層ビル、罰金大国などなど、様々なイメージが浮かんでくる(もしくは浮かんでこない?)かと思いますが、ゼミブログを通してそんなシンガポールの様子を住民目線でお伝えできたらと考えています。
今回は、先月15日にオープンしたばかりの現代美術の拠点、Gillman Barracksをご紹介します。ビエンナーレに国際アートフェアArt Stage Singaporeの開催、Singapore Free Port(空港にある免税の美術品専用倉庫兼見本市会場)の整備など、あまりに急速な発展に、国民も我々外国人も置いてけぼり気味なシンガポールのアートシーン。世界各地から有名ギャラリストやコレクターをひきつけ、現代美術界でも世界のハブを目指すこの国に、また一つ新しいアートスポットができました。
Gillman Barracksは1930年代、イギリス軍の指揮官Webb Gillmanの名にちなんでに建設された軍用地。第二次世界大戦中には日本軍との激戦地にもなったそうですが、この度、シンガポール経済開発庁( Economic Development Board)と国家芸術庁(National Arts Council)、ジュロン・タウン公社(Jurong Town Corporation)の開発によりアジアと欧米の13の著名なギャラリーが入居する現代美術の発信地として生まれ変わったのです。(日本からは小山登美夫ギャラリー等が進出)
オープンを記念してNPOによるガイドツアーが行われているということで、さっそく参加してきました。Gillman Barracksは中心市街地からは少し離れた場所にあり、最寄りのバス停からも見つけにくい佇まいをしているのですが、生い茂る椰子の木を恐れずに直進すると看板が目に入ります。(看板や公式サイトに見られるGillman Barracksのロゴはバラック建築に特徴的なアーチをモチーフにしているとのこと)敷地内にはギャラリーや飲食店が入居する15棟のバラック建築が点在しており、小さな芸術村といった様相。炎天下を歩き回るには中々ハードな広さなので、夕方の涼しい時間帯の訪問をお勧めします。(ギャラリーは平日は夜8時まで、飲食店は11時までオープン)
美しくリノベーションされたバラック建築は作品を集中して鑑賞するホワイトボックスとしては贅沢な空間ですが、その分、未知との遭遇というワクワク感は少し物足りない気がしました。2013年には同敷地内に世界各国のアーティストが滞在制作を行い、南洋理工大学(Nanyang Technological University)と協同で現代美術の調査研究も行われる現代美術センター(Centre for Contemporary Art)がオープンするとのこと。ガイドさんによると年間20組ものアーティストが滞在し、展覧会で続々と作品を発表していくそうなので、混沌とした制作現場はこちらに期待したいと思います。
参加したガイドツアーは展示作品の解説がメインでしたが、初めてこの場所を訪れた者としてはその歴史が気になるところ。シンガポール国立図書館の資料によると、Gillman Barracksは軍用地としての役割を終えた後、1990年代に豊かな自然と歴史的建造物の魅力を活かした商業施設として再開発が行われたそうです。しかし施設の人気は思うように伸びず、都市開発庁(Urban Redevelopment Authority)は2002年、シンガポールの歴史地区の保存・活性化を目指すアイデンティティ計画の一環としてGillman Barracksの再開発を決定。国民が古い建物の解体と新しいビルの建築を望む中、政府は植民地時代の面影を残すバラック建築の保存を譲らず、2010年から芸術とクリエイティブ産業の拠点として整備が始まったのでした。Gillman Barracksが単なるアートの商業施設に終わらず、 シンガポールならではの歴史とアイデンティティという付加価値を持った場所となれるかどうか、今後の活動に注目していきたいと思います。
大盛況のギャラリー!と履いていたサンダルを脱ごうとする私たちに「これは作品です」とツアーガイドさん。果たしてGillman Barracksに本物のシンガポーリアンの履物が脱ぎ散らかされる日は来るのでしょうか…。EQUATOR ART PROJECTS(http://www.eqproj.com/)にて。肝心のバラック建築は塗り替えられた白壁の眩しさのあまり写真を撮り忘れてしまったので下記公式ホームページをご参照ください。
■参考■
Gillman Barracks http://www.gillmanbarracks.com
Gillman Barracksの歴史(シンガポール国立図書館)http://infopedia.nl.sg/articles/SIP_1395_2008-12-06.html
Art Stage Singapore http://www.artstagesingapore.com/
SingaporeFreeport http://www.singaporefreeport.com/
Art Outreach(ガイドツアーを実施しているNPO) http://www.artoutreachsingapore.org/
今後も、刻々と変化するシンガポールの芸術文化の現場や 多文化・多民族国家ならではの発見など、みなさんと情報共有できればと思っています。 シンガポールのここが気になる!という疑問、リクエスト等ございましたら是非お知らせください。どうぞよろしくお願いします。
(齋藤梨津子)
2012年10月29日月曜日
2012年10月28日日曜日
紅ミュージアムって知ってますか?
あまりマトモに外出しない日々が続いていますが、先日、あるコミュニティについていって訪問したミュージアムが面白かったので、紹介します。
表参道にある、「伊勢半本店 紅ミュージアム」です。江戸時代に創業する紅屋(口紅ですね)がもとになっていて、紅の体験、購入ができます。紅って普段は玉虫色で、それが酸化すると真っ赤な色になるんですって。不思議。
で、店舗の中に小さな展示スペースがあって、江戸の装飾に関する展示を行っているということです。私がみた展示は「江戸デザインの”巧・妙”」。型紙やお守り入れ、雨具や千社札などが展示されていて、もうひとつひとつの道具にいちいち素敵なデザインを施す江戸時代のモノの世界を存分に堪能できる展示となっています。
この展示、何がすごいって、展示物の状態がめっちゃくちゃ良いことです。服屋にかかっていたら普通に買ってしまいそうなほど、状態が良く、「これ本当に江戸時代のもの??」と思ってしまうほど。こんなに良い状態でモノが残るんだ!という驚きとともに、江戸時代のモノが丁寧につくられていることが実感できたことによる感心で、とても楽しんで帰ることができました。
こういう、小さくても面白い展示を見つけると嬉しくなりますね。あまり知られていないミュージアムだとは思いますが、根津美術館や岡本太郎記念館あたりから歩ける距離ですので、みなさん足を運んでみては。
(竹)
表参道にある、「伊勢半本店 紅ミュージアム」です。江戸時代に創業する紅屋(口紅ですね)がもとになっていて、紅の体験、購入ができます。紅って普段は玉虫色で、それが酸化すると真っ赤な色になるんですって。不思議。
で、店舗の中に小さな展示スペースがあって、江戸の装飾に関する展示を行っているということです。私がみた展示は「江戸デザインの”巧・妙”」。型紙やお守り入れ、雨具や千社札などが展示されていて、もうひとつひとつの道具にいちいち素敵なデザインを施す江戸時代のモノの世界を存分に堪能できる展示となっています。
この展示、何がすごいって、展示物の状態がめっちゃくちゃ良いことです。服屋にかかっていたら普通に買ってしまいそうなほど、状態が良く、「これ本当に江戸時代のもの??」と思ってしまうほど。こんなに良い状態でモノが残るんだ!という驚きとともに、江戸時代のモノが丁寧につくられていることが実感できたことによる感心で、とても楽しんで帰ることができました。
こういう、小さくても面白い展示を見つけると嬉しくなりますね。あまり知られていないミュージアムだとは思いますが、根津美術館や岡本太郎記念館あたりから歩ける距離ですので、みなさん足を運んでみては。
(竹)
日仏美術学会例会とRes Artis
恥ずかしながらどちらも大いに不勉強なまま行って参りましたので、一言感想まで。
美術学会においては 近年ぐぐっと注目も値段も急上昇中の具体、とりわけ田中敦子とミシェル・タピエを中心にとても興味深い発表を拝聴する事が出来ました。
美術史学的アプローチの面白さに興奮し通しであっと言う間の数時間でした。
そしてRes Artisはアーティストインレジデンスの国際総会で今日まで国連大学で開催でしたが、こちらも各国から様々な取り組みをなさっている方々が登壇されていました。ごく一部しか参加出来なかったものの、やはり現場の方々のお言葉は刺激的でした。Dのかのんさんも先日登壇されたとの事です。
折角日本で開催されているのに、観覧席には日本人の姿は比較的少なかった様にも思いました。日本におけるアーティストインレジデンス等の取り組み対する認知度を表しているのでしょうか?
蛇足ですが、次回の外国語文献講読(木曜2限)の際には、今回のシンポジウムでOng Keng Senさん(シアターワークス芸術監督/アーツ・ネットワーク・アジア創設者)が引用していたJane Bennettを読んでみたいなと思いました。
(M.O)
2012年10月27日土曜日
102
「peaくん、町並み保存のことを話すときが一番イキイキしているよね」と言われたら、たぶん顔を赤くすることでしょう。誰か言ってあげてください(/ω\*)
このように述べてくると、私が町並み保存を全面的に後押ししているようにみえるかもしれませんが、実はちょっと違います。最近、このブログで研究対象との距離感を話題にするのがトレンドになっているようですが、それは修士論文を提出した後にでも熱く語ろうと思います。
去る10月19日、文化審議会は新たに4地区を重要伝統的建造物群保存地区(以下、重伝建と略す)に選定することを文部科学大臣に答申しました。これで重伝建は全国102地区となり、いよいよ100地区を超えることになりました。下図は、選定初年度(1976年度)からの地区数推移をグラフにしたもので、縦棒が各年度の選定地区数、折れ線が累計地区数を表しています。
今年度(2012年度)は計9地区が選定されるということで、なんと制度発足以来で最多選定数となる見通しです。胸が熱くなりませんか、なりますよね。
重要伝統的建造物群保存地区選定の推移(1976-2012) |
このように述べてくると、私が町並み保存を全面的に後押ししているようにみえるかもしれませんが、実はちょっと違います。最近、このブログで研究対象との距離感を話題にするのがトレンドになっているようですが、それは修士論文を提出した後にでも熱く語ろうと思います。
(peaceful_hill)
2012年10月23日火曜日
「古典」をかじってみる
先日、半蔵門の国立劇場に足を運んだ際、場内に『11月1日は古典の日』と大きく書かれたポスターを発見しました。勉強不足で全く知らなかったのですが、2012年9月5日付で「古典の日に関する法律」が施行され、「国民の間に広く古典についての関心と理解を深めるようにするため」(第3条)に、11月1日が「古典の日」と定められたのだそうです。
古典の日推進委員会HP:http://www.kotennohi.jp
文化庁・古典の日に関する法律について:http://www.bunka.go.jp/bunka_gyousei/hourei/koten_houritsu.html
この法律の第2条では、「古典」なるものが以下のように定義されていました。
「文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったもの」(第2条)
私は、世間で言うところの「伝統芸能」なるものを専門に学んでいます。ただし、(あるいは、だからこそ、かもしれませんが)「伝統」や「古典」といった言葉に対しては、常に警戒心を持ってきました。先日の(竹)様の記事を読んで、自分なりに考え直してみたのですが、今の研究を始めるきっかけとなった個人的な体験は、「伝統芸能」と呼ばれる古い箱の中をのぞいてみた時の、「こんなヘンなものがあるのか!」という新鮮な驚きであったような気がします。この分野では、幼い頃から稽古事の修業を積み、実技の側面も踏まえて学問的探究をなさっている方も多いのですが、私自身はピアノを習い、洋服を着て育った”ごく普通の日本人”なので、初めて聞いた三味線音楽の奇妙な響きや、着物の生地や色づかい、不思議な体の動きの一つ一つが目新しく感じられたのだと思います。
「伝統芸能=面白い」という感覚を出発点に考えると、「伝統芸能=古くから伝えられたスバラシイ価値のあるもの/賞賛しなければならないもの」という前提自体を疑うことなく、その価値や保存を語ろうとするあり方に対しては、つい疑問を感じてします。もちろん、私が感じる「面白さ」の根底には、長く伝えられてきた歴史の厚みがあるのでしょうが、「伝統」や「古典」という言葉でいたずらに敷居を高くしてしまうと、未だ出会っていない人たちに敬遠されて、せっかくの面白さが伝わらないような気がするのです。
とりわけ「芸能」というのは、なまものです。現代という時代の手垢がつかないように白手袋をはめて恐る恐る触れるのではなく、思い切ってかぶりついてみたいと思います。その上で、長い歴史の中で形作られてきた「優れた価値」とはどんな味なのか、じっくり味わって、考えてみたい。私にとっての11月1日は、そんな自分の関心をもう一度見つめ直す日になりそうです。
(mio.o)
古典の日推進委員会HP:http://www.kotennohi.jp
文化庁・古典の日に関する法律について:http://www.bunka.go.jp/bunka_gyousei/hourei/koten_houritsu.html
この法律の第2条では、「古典」なるものが以下のように定義されていました。
「文学、音楽、美術、演劇、伝統芸能、演芸、生活文化その他の文化芸術、学術又は思想の分野における古来の文化的所産であって、我が国において創造され、又は継承され、国民に多くの恵沢をもたらすものとして、優れた価値を有すると認められるに至ったもの」(第2条)
私は、世間で言うところの「伝統芸能」なるものを専門に学んでいます。ただし、(あるいは、だからこそ、かもしれませんが)「伝統」や「古典」といった言葉に対しては、常に警戒心を持ってきました。先日の(竹)様の記事を読んで、自分なりに考え直してみたのですが、今の研究を始めるきっかけとなった個人的な体験は、「伝統芸能」と呼ばれる古い箱の中をのぞいてみた時の、「こんなヘンなものがあるのか!」という新鮮な驚きであったような気がします。この分野では、幼い頃から稽古事の修業を積み、実技の側面も踏まえて学問的探究をなさっている方も多いのですが、私自身はピアノを習い、洋服を着て育った”ごく普通の日本人”なので、初めて聞いた三味線音楽の奇妙な響きや、着物の生地や色づかい、不思議な体の動きの一つ一つが目新しく感じられたのだと思います。
「伝統芸能=面白い」という感覚を出発点に考えると、「伝統芸能=古くから伝えられたスバラシイ価値のあるもの/賞賛しなければならないもの」という前提自体を疑うことなく、その価値や保存を語ろうとするあり方に対しては、つい疑問を感じてします。もちろん、私が感じる「面白さ」の根底には、長く伝えられてきた歴史の厚みがあるのでしょうが、「伝統」や「古典」という言葉でいたずらに敷居を高くしてしまうと、未だ出会っていない人たちに敬遠されて、せっかくの面白さが伝わらないような気がするのです。
とりわけ「芸能」というのは、なまものです。現代という時代の手垢がつかないように白手袋をはめて恐る恐る触れるのではなく、思い切ってかぶりついてみたいと思います。その上で、長い歴史の中で形作られてきた「優れた価値」とはどんな味なのか、じっくり味わって、考えてみたい。私にとっての11月1日は、そんな自分の関心をもう一度見つめ直す日になりそうです。
(mio.o)
2012年10月21日日曜日
「なんで皆コレ好きなの?」
土曜日は、2つの研究会に出ておりました。どちらも、いま修士論文を書いている分野のもの。楽しかった記念に、研究職に就くというわけでもない(竹)の、修論執筆中のたわごとを、書いてみます。各方面に先に謝っときます、生意気ですみません。
大学院に入ったばかりのとき、ある人から投げかけられた問いを覚えている。「あなたがその研究をしようと思ったきっかけって?どんな個人的経験からきてる?…それを考えてみると良いと思う」。こういう意味の問いだった。
「なぜその研究をしたいのか」とは何回も聞かれてきた。が、それは研究上の意義を問う質問であって、それを自分の人生経験から考えてみよ、という課題は新鮮だった。聞かれたときはうまく答えられなかったように思う。結局、それがいま書いている論文の骨子になっているわけだけど、この問いってとっても必然的なものなんじゃないかな。個性出るもんね、面白い研究って。
私の場合は、自分の研究対象が属するといわれるカテゴリのものって、はっきりいって嫌いな部類に入るものです。「何で皆コレ好きなの?」「それ、何でそうなっちゃうんですか?」って思う。でも、これが「何でか」知りたくなった。ざっくり書くと、これがあの問いの答えなんです。
生物学的に逃れられない問題なので、同族嫌悪的なものも多分あるだろうな。でも本当に見ていて面白いんだ、これが。しばらく経ってから、ここから自分の研究が始まっちゃっていたんだなーと自覚した。そのとき、なんともいえなく、非常にすっきりしたのでした。
と、いうわけで、↑の問いをみなさんも考えてみると面白いかもしれませんよ、という話でした。すっごいヒネクレた、かつ個人的なことを書いてしまった気がするけど、でも、私は自分で研究していて本当に楽しいし、意義のあることとして論文やってるのです。
…「徒然」ってタグ、こういう投稿のときに良いですね。お目汚し失礼しました、おしまいです。
(竹)
2012年10月16日火曜日
足のしびれる話
先日、青山の銕仙会能楽堂(東京メトロ表参道駅A4出口徒歩3分)にて、能と創作舞踊の会を拝見してきました。この能楽堂を訪れる際には、タイトなジーンズやミニスカート、そして穴の開いた靴下を履いていかないよう、注意しなくてはいけません。というのも、普通の能楽堂ならば、靴を履いたままカーペットの上を歩き、ふかふかの座席に腰掛ければよいところ、ここではそうはいかないからです。某有名ブランドの奇抜なショップの真向かいにあるこの能楽堂は、コンクリートのすっきりとした外壁で、表参道の街並みに完全に溶け込んでいます。少し奥まった入口から中に入ると、まず三和土があり、靴を脱いで上がるようになっています。一階でチケットをもぎってもらい、綺麗に磨かれた階段で二階まで上がると、そこに能舞台があります。
銕仙会:http://www.tessen.org/
座席は、畳敷きの低い段になっており、大きめの座布団が一面に敷き詰められています。基本的には全席自由席で、観客は思い思いの場所で、床に座って鑑賞することとなります。最初は正座でじっと座っていますが、途中で足がしびれはじめ、最終的には横座りや体育座りで見るという、一風変わった観能体験を提供してくれる舞台であります。この能楽堂は、別名銕仙会能楽研修所とも呼ばれているので、元々は稽古を想定して作られた客席の設計であったのかもしれません。
国立能楽堂・観世能楽堂・宝生能楽堂といった「普通の能楽堂」の快適な座席に慣れた身には、床に座ったまま見る銕仙会能楽堂での経験は非常に特異なものにも思われるのですが、よくよく考えてみれば、能が発祥した世阿弥の時代は椅子に座って見たはずはなく、また江戸時代の庶民たちも、たまの観能の機会には、地面に敷かれたござの上で膝を詰め合って能舞台を見上げたわけです。また、江戸期までの能舞台は野外に建てられており、舞台に差し込む日光や、夜の闇を照らすかがり火の灯りで演じられてきました。そのように考えるならば、「能楽堂」というハコの中で能を拝見するという形式の方が、むしろ新しい独特な鑑賞のあり方だと言うことができそうです。
銕仙会能楽堂は、客席側の一方の壁面が窓になっており、開け放して日の光の中で演能を行うこともできる作りになっているそうです。いつか、天然光の中で演じられる能も見てみたいなあと思っております。
(mio.o)
銕仙会:http://www.tessen.org/
座席は、畳敷きの低い段になっており、大きめの座布団が一面に敷き詰められています。基本的には全席自由席で、観客は思い思いの場所で、床に座って鑑賞することとなります。最初は正座でじっと座っていますが、途中で足がしびれはじめ、最終的には横座りや体育座りで見るという、一風変わった観能体験を提供してくれる舞台であります。この能楽堂は、別名銕仙会能楽研修所とも呼ばれているので、元々は稽古を想定して作られた客席の設計であったのかもしれません。
国立能楽堂・観世能楽堂・宝生能楽堂といった「普通の能楽堂」の快適な座席に慣れた身には、床に座ったまま見る銕仙会能楽堂での経験は非常に特異なものにも思われるのですが、よくよく考えてみれば、能が発祥した世阿弥の時代は椅子に座って見たはずはなく、また江戸時代の庶民たちも、たまの観能の機会には、地面に敷かれたござの上で膝を詰め合って能舞台を見上げたわけです。また、江戸期までの能舞台は野外に建てられており、舞台に差し込む日光や、夜の闇を照らすかがり火の灯りで演じられてきました。そのように考えるならば、「能楽堂」というハコの中で能を拝見するという形式の方が、むしろ新しい独特な鑑賞のあり方だと言うことができそうです。
銕仙会能楽堂は、客席側の一方の壁面が窓になっており、開け放して日の光の中で演能を行うこともできる作りになっているそうです。いつか、天然光の中で演じられる能も見てみたいなあと思っております。
(mio.o)
2012年10月14日日曜日
第22回文化資源学研究会及び特別講演会
皆様こんにちは、M.Oです。新学期が始まりましたね。
昨日、お茶の水女子大学に場所をご提供頂き、第22回文化資源学研究会及び特別講演会が開催されました。
タイムテーブルは以下の通りです。
<研究発表>
14:00~14:45
中村雄祐先生(東京大学)
「巨大な絵図の共同調査 ―学際研究に関する一 考察」
14:45~15:30
松崎貴之さん
「噴水と近代日本」
15:45~16:30
齊藤紀子さん(お茶の水女子大学)
「居間におけるピアノ――住宅改良運動を中心に――」
<特別講演会>
16:45~18:00 特別講演会及び質疑応答
塚谷裕一先生(東京大学大学院理学系研究科教授、植物学)
「木の表現」
研究発表は多様なテーマが扱われ非常に興味深かったです。
Preziを用いて視覚的にも楽しいプレゼンテーションを行って下さった中村先生の発表内容は、今年度のフォーラムのテーマとの関連もあって、絵図という資源の捉え方を改めて概観する事が出来ました。
松崎さんはさすが「噴水をずっと好きだった」だけあり、噴水からの近代日本考察の手始めとして沢山の画像を用いて発表頂きました。そもそも噴水とは何か、といった所から、人工的な水の利用がある時期をピークに好まれなくなったというご指摘まで、楽しい議論が展開されました。
日本におけるピアノの受容というご自身のテーマから、今回は居間に置かれた調度品としてのピアノについて発表して下さった齋藤さんの発表からは、当時の日本社会における家庭の理想像と実際問題としてピアノがどのくらい弾かれたのかというギャップの考察へ向かって、ピアノという楽器の研究対象としての面白さを知る事が出来ました。
塚谷先生の特別講演は、「日本の視覚文化における木という存在の希薄性」という、私達は全く気付いてもいなかった問題を植物学という見地から明快にご指摘頂き、非常に惹き付けられる内容でした。こんな見方をしたらこんな問題が見えてくる、というのは、まさに文化資源学会ならではなのかなと思いました。プレゼンテーション自体も専門的な内容でありながら非常に分かりやすく、とても面白かったです。個人的には、塚谷先生が終始ご自身やその周りの研究者の方々の事を「生き物好き」と称されていた事が印象的でした。
それぞれの発表については、SさんのFacebookにてリアルタイムに報告がなされていたようなので、そちらも合わせてご参照頂ければ、その場の雰囲気も感じて頂けるかと思います。
次回の研究会も楽しみです!
(M.O)
「対話式」美術鑑賞って?
先日、世田谷美術館にて教育普及系学芸員が4名集まったシンポジウムに行ってきまして、その感想を書きます。まず、以下に概要をコピーしておきます。
ボランティア・シンポジウム「誰かと一緒に作品を見るということ~対話を介する美術鑑賞について」
多くの美術館ではボランティアによる対話を介する美術鑑賞を取り入れています。「誰かと一緒に作品を見る」ことはどういうことか検証します。
日時:10月8日(月・祝) 午後1時30分開場、午後2時開演
出演:一條彰子(東京国立近代美術館主任研究員)
郷泰典(東京都現代美術館教育普及担当学芸員)
森山純子(水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)
モデレーター:東谷千恵子(世田谷美術館主任学芸員)
高橋直裕(世田谷美術館教育普及課長)
会場:世田谷美術館講堂
定員:当日先着150名 ※当日午前10時より整理券を配布
参加料:無料
朝一番に整理券をもらいに行ったのに、私の番号は60番台。この日は世田谷区制80周年記念で無料入館日だったとはいえ、すごいペースで整理券がはけていったようです。
内容は、学芸員さんたちがまず各々の活動を紹介した後、会場からの質問への回答も交えながら各々の活動のポイントをまとめてくださいました。
感想は以下です。まず、前提となる用語から説明しつついきます。
「VTC(Visual Thinking Curriculum)」は、1980年代にMoMAで開発された美術鑑賞の方法です。その開発に携わったアメリア・アレナス氏が「対話式」鑑賞としてVTC的な方法を日本に紹介すると、日本の美術館における鑑賞プログラムに大きな衝撃を与えました。
「美術作品を見て考える力をつけると、生徒の学力や社会的なスキルも向上するというハーバード大学による研究結果もあり、世界各地で行われるようになりました。」と、岡山県美のサイトにもあります。
今まで「美術館では喋っちゃいけません」なんて言われていたので、対話式が影響力をもったのは当然です。図工・美術の学習指導要領にも、「鑑賞」が要素として入り、「学校と美術館は連携すること」なんて書かれるようになって、先生たちは「カタクルシイ」美術館に子どもを連れて行ったりしなければならない。そのような中で、楽しみながら、考えながら美術鑑賞ができる可能性をもつ新しい方法として注目されたわけです。
当然、日本の美術館は自館のプログラムを実行するにあたって、対話式を意識せざるを得ない状況になっていて、それが今回のシンポジウムのタイトルにもにじみ出ているし、話の内容も質問の内容もそのような要素が必然的に入ってきました。
日本の美術館でも色々な世代・来館者層に対してプログラムを行っていますが、対話式を無批判に受け入れて実行することは片手落ちです。「都会」にあるMoMAと日本の地方では来館者層や美術館の浸透度は違うし、館によって方針も様々です。また、まだまだ美術館は敷居が高いと感じている人が多い日本では、「まずは初めての美術館を楽しんでもらう」などのプログラムには、対話式はちょっとハードルが高いでしょう。今回参加していた4館は対話式を参考にしながらも、各館の方針・個性に合わせてアレンジしたり無視したり(笑)していました。これもまた館によって違って面白かったのですが、こういうことを考えていくことが館の「教育普及」の個性になっていくし、実践者には必要になってくることなのだと思いました。
いやぁ、「現代美術は難しい」イメージ、そろそろ払拭にかかりたいもんですなぁ。
まだ話せますが(笑)長くなってきたので、この辺で。
このとき、各館のプログラムをまとめたキレイな冊子群を資料としていただいたので、もし見たいゼミメンバーがいれば私までご連絡くださいませ。
(竹)
ボランティア・シンポジウム「誰かと一緒に作品を見るということ~対話を介する美術鑑賞について」
多くの美術館ではボランティアによる対話を介する美術鑑賞を取り入れています。「誰かと一緒に作品を見る」ことはどういうことか検証します。
日時:10月8日(月・祝) 午後1時30分開場、午後2時開演
出演:一條彰子(東京国立近代美術館主任研究員)
郷泰典(東京都現代美術館教育普及担当学芸員)
森山純子(水戸芸術館現代美術センター教育プログラムコーディネーター)
モデレーター:東谷千恵子(世田谷美術館主任学芸員)
高橋直裕(世田谷美術館教育普及課長)
会場:世田谷美術館講堂
定員:当日先着150名 ※当日午前10時より整理券を配布
参加料:無料
朝一番に整理券をもらいに行ったのに、私の番号は60番台。この日は世田谷区制80周年記念で無料入館日だったとはいえ、すごいペースで整理券がはけていったようです。
内容は、学芸員さんたちがまず各々の活動を紹介した後、会場からの質問への回答も交えながら各々の活動のポイントをまとめてくださいました。
感想は以下です。まず、前提となる用語から説明しつついきます。
「VTC(Visual Thinking Curriculum)」は、1980年代にMoMAで開発された美術鑑賞の方法です。その開発に携わったアメリア・アレナス氏が「対話式」鑑賞としてVTC的な方法を日本に紹介すると、日本の美術館における鑑賞プログラムに大きな衝撃を与えました。
「美術作品を見て考える力をつけると、生徒の学力や社会的なスキルも向上するというハーバード大学による研究結果もあり、世界各地で行われるようになりました。」と、岡山県美のサイトにもあります。
今まで「美術館では喋っちゃいけません」なんて言われていたので、対話式が影響力をもったのは当然です。図工・美術の学習指導要領にも、「鑑賞」が要素として入り、「学校と美術館は連携すること」なんて書かれるようになって、先生たちは「カタクルシイ」美術館に子どもを連れて行ったりしなければならない。そのような中で、楽しみながら、考えながら美術鑑賞ができる可能性をもつ新しい方法として注目されたわけです。
当然、日本の美術館は自館のプログラムを実行するにあたって、対話式を意識せざるを得ない状況になっていて、それが今回のシンポジウムのタイトルにもにじみ出ているし、話の内容も質問の内容もそのような要素が必然的に入ってきました。
日本の美術館でも色々な世代・来館者層に対してプログラムを行っていますが、対話式を無批判に受け入れて実行することは片手落ちです。「都会」にあるMoMAと日本の地方では来館者層や美術館の浸透度は違うし、館によって方針も様々です。また、まだまだ美術館は敷居が高いと感じている人が多い日本では、「まずは初めての美術館を楽しんでもらう」などのプログラムには、対話式はちょっとハードルが高いでしょう。今回参加していた4館は対話式を参考にしながらも、各館の方針・個性に合わせてアレンジしたり無視したり(笑)していました。これもまた館によって違って面白かったのですが、こういうことを考えていくことが館の「教育普及」の個性になっていくし、実践者には必要になってくることなのだと思いました。
いやぁ、「現代美術は難しい」イメージ、そろそろ払拭にかかりたいもんですなぁ。
まだ話せますが(笑)長くなってきたので、この辺で。
このとき、各館のプログラムをまとめたキレイな冊子群を資料としていただいたので、もし見たいゼミメンバーがいれば私までご連絡くださいませ。
(竹)
2012年10月10日水曜日
冬学期開始、「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」
ごぶさたしてます、お元気ですか?
9日から、冬学期のゼミが始まりました。
初回では、来週のゲスト講義に備えて、
「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」を読みました。
・・・文字通り順番に声を出して輪読しました。
全文はこちら↓
http://www.bunka.go.jp/bunka_gyousei/hourei/pdf/jyoubun_ver2.pdf
写真は
「みんなは若いんだから文字が小さくても読めるでしょ!」と
先生がA4に縮小印刷して授業で配ったレジュメ。
ゼミでは、一通り読んだ後に、
気づいたことや、自分だったらどうやってこの法律を「使う」か、
順番に意見を出し合いました。
せっかくなので、
気づいたことを書き出してみたいと思います。
ゼミでの意見交換に多大な示唆をいただいていますが、
以下はあくまでこの記事を書いているmihousagi_nの
主観に基づく個人的な感想ということで・・・
-------
★「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」について思ったこと★
・「活性化」、振興との違いは?
・現状認識が「不活性」だから活性化?
でも前文等から劇場、音楽堂等のこれまでの活動は一応認めているようにも見える
・前文がとにかく長い、めずらしい長さ、そのぶん熱い想い?
・前文「人々が共に生きる絆(きずな)を形成するための地域文化の拠点」、
絆という言葉に時代を感じる、アピールしやすい
・例えば田舎町で貸館中心でやっている市民会館は「劇場、音楽堂等」にあてはまるのか?
その施設の人たちはこの法律を自分たちのことだと思うのか?
・どのへんの公立文化施設を念頭に置いているのか/対象になるのか、
法律だけだとちょっと具体的に分かりにくい
・前文「実演芸術を創り続けていくことは、今を生きる世代の責務」、
勇気づけられる人もたくさんいる、一方でプレッシャーも感じる?
・2条の定義の中の風営法営業を除く、のカッコ書き。この法律で活性化すべき実演芸術の定義がなされた影響で、逆にこの法律ではなく風営法に該当するとみなされたダンス系の活動への規制は厳しくしようとしている動きにつながっていたりする???
・劇場、音楽堂等という機関(インスティトゥート)の話と演劇や音楽というソフトの話が両方入っている。それぞれに言及しているのは良いと思うけれど、ときどきちょっと混乱している気も。
・6,7条の国と地方公共団体の役割とは別に、9条に「国及び地方公共団体の措置」という項目が入って、必要な措置を講ずることが努力義務になっている。ちょっと注目。
・第二章が前提としている、「頂点の伸長/裾野の拡大」「国際的な/地域における」という二項対立的な捉え方でいいの?
・13条「経営者」:施設の運営者は経営者としての専門家(いわゆるアートマネジャー)に含まれるのだろうけど、例えば財団プロパー職員の館長さんとか、本人にその自覚がない/あるいは実績はあるのに周りから専門家扱いされない、こととかありそう? また日本語の「経営者」は組織のトップを指すイメージが強いので、当然含んでいいと思う現場のアートマネージャーさんなどは、ここに含まれると思われにくいのでは?
・15条学校教育との連携、これで教育委員会や公立学校での演劇ワークショップがやりやすくなったりするか?
・16条指針策定にあたって、関係者ヒアリングを行うことを法律に明記するのはいいと思う。
・附則の「検討」・・・あまり見ない例?
・がんばっている施設ががんばり続けることを承認(追認)、継続の担保、雇用の確保にはつながりそう。
・これまでがんばってなかったところがこの法律の制定だけでいきなり変わるかというと・・・???
・がんばっているところに選択と集中?でもそこまではっきり打ち出されているわけでもなさそう。
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★せっかくなので、この法律に対するニュースと資料リンク集★
・CPRA NEWS ONLINE
「劇場、音楽堂等の活性化に関する法律」が成立
(これまでの経緯がコンパクトにまとまってます)
http://www.cpra.jp/web2/plazaweb/news/2012/120622.html
・朝日新聞
「劇場法案」増えるか自主事業 借り手の反発必至
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201206060335.html
・毎日新聞
社説:劇場法施行 地域活性化の入り口に
http://mainichi.jp/opinion/news/20120629k0000m070134000c.html
・指針作成のためのヒアリング
文化庁アナウンス
http://www.bunka.go.jp/geijutsu_bunka/pdf/gekijo_ongaku_katuseika.pdf
芸団協提出資料
http://www.geidankyo.or.jp/02shi/01_01tei.htm
日本音楽芸術マネジメント学会提出資料
http://www.jasmam.org/news/20120823
(mihousagi_n)
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