2014年12月31日水曜日

今年も一年いろいろありました 大町市と小林ゼミ

大晦日です。2014年も終わろうとしています。

今年の小林ゼミ、夏学期はグループに分かれ、「文化によって」大町市に関わる提案を出し合い、冬学期は一気に「冬期芸術大学」の開催、「文化資源活用ビジョン(仮称)」の策定に向けた準備作業に突入していきました。そして12月には「冬期芸術大学」の企画プロデュース、ファッション、空間美術、パフォーマンスの全講座が終了し、各コースの受講者が参加する全体企画会議を経て、2015222日には大町市の平公民館で活動成果発表会が行われます。こう書いてしまうとさらっとしていますが、かなりすごい展開だったなと思います。

◆「冬期芸術大学」の意義
この「冬期芸術大学」によって、文化活動が多い割にはそれが地域の活性力に結びつかないと評されてきた大町で、一歩深い「マネージメント」の概念が共有されていく機会になったのではないかと思います。それぞれの分野の人々が、少しだけほかの分野と全体を意識すること、「行政は敵!」みたいな対立概念を超えて市民も文化の運営主体であることに意識をシフトしていくことの意味を、市民も行政も一緒に考える貴重な機会に、私たちゼミ生も立ち会えてありがたかったなと思います。

私は「企画プロデュースコース」に同席させていただきましたが、たくさんの意見と熱意を持つ市民の方々の議論を聴いて、こういうところから誰のものでもない大町市民から生まれる文化の「企画」が生まれていくのだろうなと思いました。
 

大町市平公民館より撮影。この雪景色のもと2月22日の冬期芸術大学成果発表が行われます。どんな企画が生まれていくのでしょうか?!
 
 
◆ゼミの役割
ゼミが地域に関わることについて、M1の方は今年大いに悩み、M2となったわれわれもいまだにその意味がつかめていなかったりしますが、ゼミの役割は昨年よく言われていたように「触媒」なんだなと改めて思いました。地域のことを何にもわかっていないゼミ生が上から目線で文化政策を押し付けたり、ある方向に誘導したり、自分たちの好き勝手な活動を展開してしまうのではなく、自分たちの持っている力(知識や地域のことを考える想像力)の限りによそ者としての提案をぶつけていくことで地域に化学反応を起こしていくことしかむしろ私たちにはできなくて、その先からは地域の市民や行政の方々がその地域独特のやり方で自分たちの地域を主体的に運営していくことが目指されるのでしょう。

今回の「冬期芸術大学」はそんな化学反応が起こっていた現場だったのではないでしょうか。そして222日の成果発表まで、まだまだいろいろな化学反応が起こっていくのでしょう。点在していた大町の「文化資源」が、じわじわと結びついていく現場に、2015年もできる限り立ち会っていきたいなと思います。よろしくお願いいたします。   Mube

2014年12月29日月曜日

大町市と私の1年を振り返る

長野県大町市という響きに初めて触れてから9か月。
ゼミに入って右も左も分からなかった私にとって怒涛の1年でした。
大町と関わったことで本当に多くを勉強させてもらいましたし、
3度もお邪魔させていただいてすっかり大町を好きになりました。

大町市での宿泊先から撮影(2014年12月22日朝)















新しいことをやろうとするまちにそもそも正攻法などないかもしれませんが
文化政策の正攻法も知らないまま体当たりでやってきました。
外部の人間に何ができるのか、どこまでの権利があるのか、
文化にまちを変える力があるのか、問ばかりが積もりました。
何一つ確信を持っていないし、自分なりのこたえもありません。

大町冬期芸術大学を視察させていただきました。
文化の持つ力など眉唾物と思っていました。
しかしときめきが躍るのを目撃したように思います。
最終的に大町の皆さまが幸せであればそれでよいと思うのです。

そして何より大町のために奔走する市職員の方々と出会えて幸せです。
彼らのような人がいるのだから、大町はずっと輝いていると思います。

それでは皆さま良いお年を!

(risaia)

2014年12月19日金曜日

ポスターセッションに参加してきました

小林ゼミは、12月6・7日の土日に京都橘大学で開催された日本文化政策学会第8回年次研究大会のポスターセッションに参加し、私を含むゼミ生3名が現地に赴きました。

 
発表件数は19件あり、いずれも力作揃いでバラエティーに富んだテーマが並んでいました。私たちのテーマは「地域と大学の素敵な関係!?~協働の可能性と課題・長野県大町市を事例に~」で、計3枚のポスターを掲示しました。

7日の11:30から13:30の2時間がコアタイムと呼ばれる発表時間で、発表者たちは各ポスターの前で説明をしたり質問に答えたりしました(全体的に若い発表者が多く、我々3人の社会人学生は少し浮いている気がしないでもなかったような・・・)。

ポスターセッションは初めての経験でしたが、通常の学会発表とは違って、聴き手の方々と近い距離でざっくばらんにお話ができましたし、当事者である我々とは違った視点からの質問を受けることにより、多くの気づきを与えていただきました。
  
 
ただ、うちの場合は3枚ということで情報量が他のポスターより多かったため、なかなか隅々まで読んでいただくのは難しかったようです。時折、「全部を読む時間がないので、簡単に説明してもらえますか。」と頼まれることもありましたので、発表の仕方については、今後さらなる工夫が必要かと思います。

個人的には、ポスターセッションに臨むにあたって、これまでのゼミの取り組みを振り返り、先輩方により蓄積されてきた一連の資料に目を通したことで、大変勉強になり、自分の中の情報もだいぶ整理されました。

今回、ポスターを作成するにあたって頑張ってくださったM1の皆さん、本当にありがとうございました。
 
また、小林先生を初め、学会の運営や研究発表をされた先輩方も大変お疲れさまでした。

そして、当日、質問やコメントをくださった皆様に改めて感謝申し上げます。

                                                               (TK)

 

2014年12月17日水曜日

樋口一葉の通った伊勢屋質店、のこしたい

東京大学近くに、樋口一葉の通った「伊勢屋質店」があるのをご存知ですか。
私は割と最近になって知りました。そしてそこが取り壊されることを今朝知りました。
それはだめだ、という思いに突き動かされ、本日シンポに参加しました。

私はもともと、そこまで街並み保存に関心はありませんでした。
勿論、価値のあるものだから保存すべきだろうとは思ってきましたが、
だからといって特別何かを考えたり行動したりするほどではありませんでした。

大学院に入って、古い街並みを大事に思う友人たちに出会いました。
そうして初めて私は、これらの景色に、のこってほしいと思うようになりました。
これまで2年本郷に住んできて、街をさほど愛せなかった自分を恥ずかしく思いました。

今回、所有者と、関わっていた大学との間で交渉がうまくまとまらず、
それゆえ解体する選択に至ったそうなのです。
そんなものなのか?と思いました。
なんとかなったんじゃないか?って。
実際そういう意味では、希望は残っていると信じます。

国の登録有形文化財が、こんなに簡単に失われていいのでしょうか。
なんのための文化財制度なのでしょう。
もともと私自身文化財制度について勉強不足ではあったのですが、
この制度が必ずしも文化財を守ってくれない、という現実に、ただ愕然としました。

東京大学は、地元に目を向けているのでしょうか。
地元で、学問的な価値だけでなく古い時代の趣を今に伝える宝物が失われていく。
その現実を、手をこまねいて見ているだけの大学であるべきではないと思います。
さらにシンポジウムでは、こんなに質店の近くにあるにも関わらず、
買い取り先として東京大学の名前が挙がらなかったこともショックでした。

詳細は以下のURLをご覧ください。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014121702000137.html

事態は予想以上に切迫しています。
本郷でなにかしないと、と思った夜でした。

(risaia)

2014年12月16日火曜日

修士論文からの帰還

無事修士論文を提出したPugrinです。
ただいま小林ゼミ!

今週から本格的に復帰し21日からまた大町に伺う予定ですが、
先日行った展示について共有いたします。

日本科学未来館@お台場
チームラボ「踊る!アート展と 学ぶ!未来の遊園地」
http://odoru.team-lab.net/

チームラボは、プログラマやエンジニア、数学者、建築家、
CGアニメーター、Webデザイナー、グラフィックデザイナー、絵師、編集者など、
スペシャリストから構成されているウルトラテクノロジスト集団です。
アート・サイエンス・テクノロジーの境界線を曖昧にする活動をしており、
その集大成ともいえる14点が一堂に会したのがこの企画展です。

日本古来の空間構成を基にデジタル技術を結集し、
観る者が全身でその空間を体感する
「超主観空間」を創りだします。

光が踊れば、観る者も踊る。
光に埋め込まれた「文字」「意味」「過去」「未来」に触れること、
その戯れは学びを超える。

チームラボの創りだすデジタルアートは
アートと科学、学びと遊び、大人と子供といった概念の境界に橋をかけます。
そこから発せられるメッセージは「一緒に創ること」、「共創」です。

これはゼミでも、文化政策でも
今後もっとも大切にされていくことの一つなのではないでしょうか。
休みに入ってから、そして年度の終わりにかけての方が
小林ゼミの本番です。
今年の仲間と、今できる最高のパフォーマンスを、一緒に創っていきたいと思います。

お台場は遠いですが、日本科学未来館は国立の文化施設です。
企画展は3月まで開催されているので、よろしければぜひ行ってみてください。

2014年12月8日月曜日

“呪われた街”ウッチ訪問

師走になるとあちこちで『くるみ割り人形』の公演が開かれます。本日はポーランド第三の都市ウッチ(Łódź)でその一つを観てきました。ところがその数日前、ニュースで今年のとあるジャーナリズムの賞Michał Matys『呪われた街、ウッチ』(Łódź, miasto przeklęte)という記事に送られたことを知りました。私にとってウッチといえば、Andziej Wajda監督の『約束の土地』(原作はノーベル賞作家のWładyslaw Reymont)の舞台であり、19世紀に紡績業で栄え人々の欲望が交錯した多民族社会。また、ポーランド映画の黄金期を支えた監督の多くが学んだウッチ映画大学があるという認識。

記事には街が危機に瀕しているとありました。1989年に体制転換が起こった時、紡績業は自由市場の波に乗れなかった。そしてモノカルチャー経済からの有効な方向転換を果たせないまま衰退していく事態が、仮にも国で第三とされる都市(人口は2013年で71万)で今起きている。予想範囲内の内容でしたが、これがウッチ出身のジャーナリストという現場の人間から出てきた意見であり、また賞というかたちで評価されたこと自体が重要なのだと思います。「最大の問題は教育を受けた若年層が、ウッチから他の街に仕事を求めて流出していくことにある。残るのは教育を受ける機会に恵まれず、他に行き場所もなかった年配層である」という文章を読むのはいたたまれなかったです。

そうしてウッチに対するイメージをこれでもかと悪くして現地へ行きましたが、まずここには旧市街も中心となる広場も存在しないという、ヨーロッパの都市のあり方に照らしてみれば驚くべき事実が発覚。ちなみに今日はカトヴィツェというかつて炭鉱業で栄え、やはり衰退した街から来た方と街を回りましたが、そこにも旧市街や広場はないとのことです。何だか“中心地”がないこととその街の盛衰はどこかで関係があるのじゃないかと適当な推測をしてしまいました。

 
右の写真はメインストリートのulica Piotrkowskaです。多くの店が閉まる日曜だということを考慮しても、この閑散ぶりは首をかしげざるを得ない(一日中霧という天気も大いに影響しているはず)。これでも数年前のシャッター街状態よりは改善しているそうです。おそらく皆は街のランドマークであるマヌファクトゥーラ(Manufaktura)に行っているのだろうという予想は的中。2007年に18世紀の工場跡地を改装するかたちで開業したこの施設には四つ星ホテル、映画館、現代美術館(ポーランドの作品を中心になかなか面白いコレクション)、工場の歴史を紹介する博物館、スポーツジム、各国料理のレストラン街にホームセンターと、まさにここだけで一つの街が形成されていました。クリスマス商戦期間ということもありますが、周辺地域に暮らしているのであろう人々がここに集結する様は、イオンモールで時間を過ごす日本の地方都市住民のポーランド版を思わせました。ただし“集結場所”であるマヌファクトゥーラの一歩外に出れば、なぜか街灯が十分にない真っ暗な街が広がっているので、両者の差は日本のそれよりも鮮明です。元々が工場なので外装は横浜赤レンガ倉庫と似ていますが、倉庫どころか工場をまるまる一つ扱ったわけで、規模が桁違い。逆に言えばこれだけ広い跡地が長らく荒れるにまかされていたわけで、元工場長のMieczysław Michalskiが何とかして事態を打開したかったのも頷けます。改装費は25千万ユーロ、フランスの基金がロスチャイルドの団体と組んで出資したそうです。つまりこれはあくまで工場主を中心とした活動であり、地域住民が何らかの形で入り込めるような規模ではなかったのだと予想します。そして改装が工場跡地の整備を主目的としており、周辺地域の環境整備には手が回わらなかったのだろうということも。

ポーランド歴が長い方に聞けば、現在ウッチは映画とデザイン、現代美術の街として売り出そうとしているようです(ちなみにロケ地としてではなく、映画製作を学びたい人を集めたいようですが、映画大学生時代のロマン・ポランスキーが今なおヒョイと出てきそうなほど“昔の映画の路地“がたくさんあります)。個人的にはマヌファクトゥーラ開業から7年も経ってなお、ランドマークができた影響が波及せず、周辺の変化が小さいのはなぜか気になります。またこの街には複数の大学が存在し、つまりは(記事の内容とは逆ですが)流入してくる若年層も確実にいるはずなのに。今回は訪問する機会を逃しましたが、マヌファクトゥーラから数キロの場所にはOff Piotrkowskaという、これまた工場跡を利用したデザイナーギャラリーやカフェ、クラブが集まった施設があるそうです。もしかしたらこここそ注目すべき場所なのかもしれません。
ただ、最も気になるのは変化のための資金がない以上に、人々の中に「お上が何かをしてくれるのを待っている」精神があるらしいことです。これは私がウッチのみならずポーランド全体に対してぼんやりと抱いている印象論にすぎません。九月にエアランゲンに行ったことを思えば、隣同士の国でもずいぶん違うなと思わざるを得ませんが、住民の意見で実際に地域を変えられるという現象自体が新しい(=馴染みのない)とすれば、この精神性にはなかなか根深い経緯があるのではとこれまた適当な予想。現に同じく九月に訪問したヴロツワフ(Wrocław)は非常に元気のある街だと思いましたし、これらの地域に関する事例を私が十分に資料を読めないことが最大の問題です。
(N.N.)

第1回地域プロジェクトのしくみ研究会(小金井市)の報告


なんとか先週に修士論文を提出してきたM2のtantakaです。
昨日は、小金井市で行われた「地域プロジェクトのしくみ研究会」に参加してきました。
先日、このブログでもご案内したトークイベントです。

小金井アートフル・アクション!にインターンとして携わる2人がいくつかの事例を紹介し、その後のディスカッションで、発表者と参加者がいっしょになって、それぞれのプロジェクトの背景や運営方法、プロジェクトを行う理由などについて議論しました。






1人目が紹介した事例は、香川県高松市で行われている「芸術士」という取り組みについてでした。
詳細についてはHPを見ていただければと思いますが、市民有志による勉強会から出た企画が市で事業化されたそうで、「芸術士」と呼ばれる芸術家たちが、それぞれに分担して、市内の保育所や幼稚園で、週に1回表現活動を子どもたちと一緒に行う事業だそうです。
この事業は、イタリアの「レッジョ・エミリア・アプローチ」という幼児教育の考え方を参考にしているそうで、子どもと社会をつなぐきっかけとなることを期待されているとのことでした。

2人目が紹介した事例は、北欧、イギリス、アメリカで行われているアーツ×教育、アーツ×地域活性、アーツ×医療・福祉の取り組みについてでした。
多様な事例をたくさん紹介してくださいましたが、その中で印象に残っているものを2つだけ。
一つ目は、イギリスのロンドンで行われている「Meanwhile Space」という取り組みです。
これは、空き家や空き店舗となったスペースを1週間単位で借りて使うことができるというプロジェクトで、日本でも似たようなプロジェクトは見られるように思います。
ここでは、事業を動かしているのはMeanwhile Spaceという私企業で、仲介役のような形で、レンタルする人を募ったりするためのHPの運営などを担っているようです。
空きスペースは、アーティストや学生などが借り、作品の発表展示の場として使ったりしているとのことでした。
もう一つはニューヨーク近代美術館で行われている「Meet Me」というプロジェクトです。
アルツハイマー患者とそのケアをする人を対象として、月に一回美術館の営業時間外に作品に触れ、ディスカッションをするプロジェクトだとそうです。
私財団によって事業は成り立っているということでした。

このような様々な事例をもとに、参加したみんなでディスカッションをしました。
プロジェクトの進行には、運営する側のモチベーションによって大きく左右されるのではとか、という意見や、芸術文化をツールとして使うのか、それとも芸術文化自体を目的とするのか、といった意見が出ていました。
発表にあった事例は、抱える課題を解決するために行われたプロジェクトが多かったのですが、小金井市においては、危機に瀕しているような問題が見えてこない中で、何のためにプロジェクトを行うか、といった意見も上がり、印象に残っています。

今回研究会に参加して、私が一番に感じたことは、議論が途絶えず、こんなにも地域に向き合っている市民がいるものかということでした。これは、小金井アートフル・アクション!のプロジェクトやミーティングに参加するといつも感じることでもあるのですが、こうやって地域に向き合う人が徐々に増えて行くことで、小金井でしか起こり得ない動きが生まれるのだと確信を持ちました。
内容について言えば、運営側の目的や方向性の共有、役割分担がプロジェクトを動かす要素なのかなということです。
ただ、ディスカッションの時間が短かったのか、今回の主題であるプロジェクトの仕組みだとかについては、あまり深く議論することができなかったのは、少し残念な点でもあります。
市内では他の様々な取り組みがあるようですが、このような取り組みを「点」であるとするなら、おそれをつなぎ、面での取り組みとできるような提案のきっかけになるのではと思っています。

今後も3月までにあと3回の研究会が行われます。
ちなみに、この研究会は市民スタッフの方が企画から運営までを行っていますが、これこそが小金井市らしい仕組みだと私は思っています。
予定では、 次回第2回目は美術館に関することを扱うとのことです。また第3回目には、私も発表者として登場する予定です。
その際にはまたこのブログでご案内します。回数を重ねるごとに議論も深まるのではと思うので、ぜひ多くの方に参加していただきたいと思います。

また、大町市での取り組みだけではなく、小金井アートフル・アクション!にも注目していただければ幸いです。

2014年12月2日火曜日

公開研究会(ゆめたろうプラザとの協働の取り組み)の感想

 M1のAlです。
 先週のゼミで、武豊町にあるゆめたろうプラザ(武豊町民会館)の設立について、運営しているNPOの方に話を聞かせていただきました。


 ゆめたろうプラザの設立当初から住民の意見を取り入れて、設立の構想段階から、運営まで住民参加という形を取り入れられている珍しい事例です。 
 話によると、その会館を運営している、住民を中心に組織されたNPOたけとよは幅広い事業を取り入れています。会館のホールで定期的に各ジャンル(クラシック、ジャズ、ポップスなど)のコンサートを行うだけでなく、ダンス・伝統芸能などのパフォーマンスも開催しています。そして、子ども向けのアート系のアウトリーチ、関連ワークショップもやったり、科学系の体験教室も開催したりしています。NPOの方々の話を聞いて、住民主役の文化施設として設立されたゆめたろうプラザがまさに住民の要望に即して、町民会館の目標に掲げているように「子ども・若者が育つ文化空間」になれたなと思いました。
 住民参画による市民会館の運営についてですが、台湾でも似たような事例を思い出しました。それは、「白米下駄村(白米木屐村)」という文化施設の設立です。台湾の宜蘭県(台湾北東部)にある白米村は、かつて炭鉱業が発達したため、自然環境が悪化しました。汚染された住居地域を改善するため、住民たちによる市民団体「白米地域発展協会(白米社區發展協會)」は、環境の改善に力を入れるようになりました。その動きは行政側から肯定を得て、政府の支援を得られるようになりました。それから、行政のまちづくり政策の一環として、白米地域発展協会はまちづくり振興の主体となり、まちづくりに努力するようになりました。住民たちの希望で昔ながらの下駄産業をテーマに、文化産業を中心としたまちづくりを進めていきました。そういう経緯で「白米下駄村」という文化施設が誕生しました。「白米下駄村」の目標は下駄を工芸品の一種に転換し、下駄の制作過程を体験することによって、住民・観光客に白米村の歴史的な・文化的・芸術的な価値を伝えようとしたのです。現在、住民団体の運営によって、「白米下駄村」は地域の活性化の役割を果たしています。
 しかし、こういう事例は実は台湾ではまだ少ないと言えます。台湾の文化施設の運営は「行政と民間の協働を取り入れられようになりましたが、やはり政府が主導的な立場に立って、部分的な業務を民間企業、市民団体に委託することが大半です。しかし、そういう形で建てられた文化施設は住民の要望に応えられなく、「ただの箱」になってしまった例も少なくないです。以上の二つの成功の事例を考えたら、改めて地域事業は住民参画が大事だと実感しました。