墓地保存活動の今
2011年に道路建設計画が公になると、墓地保存を求めて市民ボランティアによる活動が始まった華人墓地ブキット・ブラウン(1922年開設)。ボランティアによる継続的なガイドツアーや調査研究の努力も空しく、2013年12月から政府による墓石の撤去作業が始まりました。墓地には最大で2万基余りの墓石が現存すると言われていますが、道路建設予定地に立地する墓石のうち、親族から申請のあったものから順に合計3442基が、今夏までに撤去されるということです(家族主導で既に304基が撤去された。2013年12月までに親族から申請があったのは1263件。撤去作業の状況はボランティア公式ブログ参照。)
海外からの視線
ボランティアの努力は海外からの注目という形で実りました。近年シンガポールでは初の世界遺産登録に向けて植物園を国際的にアピールする動きが活発化しています。そんな中ブキット・ブラウン墓地は、ニューヨークを拠点に破壊の危機迫る世界中の遺産の保護を訴える非営利組織・World Monuments Fundの「World Monuments Watch 2014」のひとつとして選ばれました(他には東日本大震災の被害を受けた東北の遺産や、シリアの遺跡などが選出されている)。ボランティアの持続的な活動は、政府の道路建設と、その後の住宅地開発計画を覆すには至っていませんが、世界的な遺産の仲間入りをしたことは地元メディアも大きく報道し、その名は広く国民に知れ渡るようになったと思われます。また、ガイドツアーの参加者は1万人を突破。外国人観光客の他、地元の中高生や大学生も授業の一環として墓地を訪れることが増えました。
日本ゆかりの墓石たち
陈馬士野の墓 |
山田おふにの墓 |
二人の日本人の墓石
日本人の墓石は、現時点で2基発見されています。ひとつは政府の埋葬記録に「華人に国籍を変更した日本人」という記述の残る陈馬士野(1853-1934)。シンガポール在住の華人・陈(Tan)氏と結婚し、81歳で亡くなった彼女には娘と孫娘がいたようです。ボランティアは、シンガポールに在住した初期の日本人である馬士野はからゆきさんだったかもしれないと話しています。
もう一つは、政府の埋葬記録に日本人として記されている山田おふに(1869-1941)。植民地時代ラブアン島(現マレーシア)の治安判事を務めた许云发(Koh Eng Watt)と結婚、72歳で没しました。華人の有力者に嫁ぎ、英語話者のための仏教団体でも活動していた彼女については、ボランティアたちはからゆきさんではなく、あった可能性は低いとみています。
これらの墓石は発見当時、木々に埋もれて荒れ果てていましたが、ボランティアたちの清掃により今では墓石の記述や美しい装飾がはっきり見える状態になっています。
ドーリー・タンの墓 |
ボランティアたちは埋葬者に日本との関係がみてとれるものと、墓石のデザインに日本の影響を感じさせるものも日本ゆかりの墓石として調査しています。
日本と関係のある埋葬者の墓の一つは、二人の日本人男性(本村克己(施主)、濱野宏行(友人))によって建てられた華人女性ドーリー・タン(陈金雀/1914-1943)の墓です。ドーリーの名はカタカナで墓石に刻まれ、墓を建てた日本人の名のほか、皇紀と民国の年号、英語の表記も見られます。
二つ目は冯日本娘(Fong Jipoon)という名を持つ女性の墓。26歳で亡くなった彼女の墓石には広東出身である旨が記されていますが、なぜ日本娘という名を持つにいたったかは謎に包まれています。
日本娘の墓 |
海外からの視線と日本関連の墓石を物語るボランティア
ブキット・ブラウン墓地をシンガポールの国家的遺産に、延いては世界的な歴史・文化遺産としてアピールする市民ボランティアたちの活動からは、どんなことが読み取れるでしょうか。山下晋司は世界遺産となった中国少数民族の村を事例に「だれが、だれのために、何を、何のために、文化資源化するか」という問いを投げかけてます(山下『観光人類学の挑戦 「新しい地球」の生き方』,2009, p95.)。ブキット・ブラウンのボランティアによる価値ある墓石の取捨選択にも、シンガポール政府、非華人系国民、グローバルな文脈、といった異なる対象を意識した戦略が感じられます。
日本風?デザインの墓 |
橋本和也は観光体験における「真正性」とは別に、現地ガイド等との交流で感じる「真摯さ」、そして観光客が抱く観光体験の「真正性」といった要素が、「地域的な重要性を持つ価値の伝達」において重要な役割を果たすと述べています(橋本『観光経験の人類学 みやげものとガイドの「ものがたり」をめぐって』, 2011, pp.238-239.)。ブキット・ブラウンのボランティアは個人差はあれ、華人の文化はそれとして、インド系やマレー系の文化はまた別のものとして個別に存在するのではなく、それぞれの要素が混ざり合い共存しているというシンガポールの文化的状況を体現しているこの墓地に、価値を見出し、伝達しようとしています。ガイドツアーの参加者たちは、整備されきった観光地では体験できない”本物のシンガポール"を期待して墓地を訪れ、日本ゆかりの墓石やインド人のシーク教徒像、西洋風の天使にまつわるガイドのものがたりに引きこまれていきます。ガイドの語りが政府や海外の言説ではどのように書き換えられ、伝えられていくのか、引続きこの墓地保存活動の行方を観察していきたいと思います。(齋)
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