大町市での発表内容についてはPugrinさんから報告がありましたが、このブログでは年度末の作業から考えたことを書いてみました。
試されるチームワーク
この1年ゼミで培ってきたチームワークこそが過密スケジュールを乗り越える力だったと、終わった今実感しています。修士1年目だった私は、最初よくわかっていなかったのですが、小林ゼミの場合、発表準備は日々「進化」していきます。はじめの構想が保たれていることはまれで、今回の大町プレゼンでは話し合いが回を重ねるごとに4時間、6時間…と延長し、すごい速度の議論が交わされ、発表のバージョンはどんどん更新されていきました。そして次々と出される新提案に対して、皆が作業を分担し、順次スケジュールを切りながら次回までに新しいかたちにしていくことが可能だったのは、「あの人だったらここまでできる」という「お互いの技量」がわかり合っているチームワークがあればこそで、この年度のゼミメンバーの総力戦と言った感がありました。後半は特にすごい連携プレーだったと思います…。「プレゼンも研究発表も、100パーセント伝わるなんて思ってはいけない」と小林先生は言っていましたが、当然独りよがりであってはいけないわけで、「伝えるため」に最善を尽くした上での、その覚悟ということでしょう。このゼミが共同作業を頻繁に行うのも、たくさんの目で見て考えて、何度も議論を重ねてひとつのものを作り上げていく過程を通じて、伝える技術を学んでいくためなのでしょう。自分は宣教師の研究をしているので、この「伝える」という行為には非常に関心があります。全く宗旨の違う人間に自分の考えを伝えるのは非常にむずかしいことです。「文化政策」や「行政の文化化」といった概念のないところに、新たな概念をもたらすにはどうしたらいいのか?小林ゼミのプレゼンはいつもそんな課題を抱えながら考え出されていきます。小林ゼミって、フロンティアにいるなあ、こんなゼミめずらしいなあと、この1年ずっと思っていました。100パーセント伝わることはないけれども、なにか痕跡を刻んでいく。その積み重ねの先にだけ「文化政策」の土着化があるのかと。
今回の大町プレゼンで、発表直前に行われた小林先生の「演技指導」ともいえる指摘にわりと皆、目からウロコが落ちた感じでした。通常の「原点」授業での研究発表などは特に声の抑揚もつけずに淡々と発表してもなんの支障もないですが(面白くないかもしれないけれども)、学外の方々を対象としたプレゼンでは実は「役者」張りの発声、見せ方が大事なのだ!と改めて実感したのです。ゼミ生には女優さんや歌姫がいることもあり、彼女たちの変化自在な発声や発表姿勢に「自分たちも河原で発声練習するか」という案も出ました。これもまた人に伝えるためにはおろそかにしてはいけないことなのだと学びました。7時間フリーで話せる小林先生の門下としては、実に大事なポイントなのでした。
世代交代はゼミの常なれど
大学院生のゼミではメンバー交代は頻繁でありますが、小林ゼミの場合は継続的なプロジェクトを抱えています。修士課程2年だけ在籍するとなると論文執筆が2年目には控えているので、自分が関わったプロジェクトをすぐに次の世代に伝えていかねばなりません。そして今年度は修士2年生に加え、長年ゼミを支えてくださった博士の先輩2人もゼミから旅立ちます。ゼミ全体の運営をどう継承していくのか、単発的に個人発表をするだけではないこのゼミの課題です。この課題を先輩たちも繰り返し乗り越えてきてゼミの現在があるのだなと、1年めぐってようやく思い至りました。
(Mube)
伊東豊雄のフェミニンな建物と相俟って、会館は華やぎと熱気で満ちていました。開館10周年の足跡をたどるパネル展示もあり、芸術監督の串田和美のインタビューも掲載されている館の冊子『幕があがる』も読み応えがあります。名作『もっと泣いてよフラッパー』『まつもと大歌舞伎 三人吉三』公演も予定され、市民オペラ活動もあります。ほんの短い滞在でしたが、「文化のまち松本」を実感したひとときでした。
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