知り合いから「展示技術はほとんど外国からの輸入で、ポーランドが関わっている面は見た目より少ない」といった指摘を聞き、ポーランド研究者による本館とホロコースト表象の関係については事前に読んでいました(リンク。多少読みづらいので注意!)
解説ツアーに参加すると二時間はかかる規模、その展示のほとんどはマルチメディア形式による文字資料です(オーディオガイドもあります)。中世に関する紹介は古文書からの引用、20世紀に関する紹介は物質としての資料が戦災で失われているので、自然とこういう形になります。展示のほかにも児童・学生・一般向けワークショップや、無料レクチャー(波・英語。今月の話題はヘイトスピーチや民族主義)も開催されています。
本館の目的を端的に言えば、ポーランド‐ユダヤ関係史と聞くと世界中が「ホロコースト」や「アウシュビッツ」を思い浮かべる現状を変えるための施設といえるでしょう。結果的に展示は中世から現代までを扱う長いものになり、ホロコーストはその中の重要な、それでも全体の中の一部として扱われています。その展示も収容所よりはワルシャワゲットー内の生活や蜂起の内容に焦点が当てられています。(国内には収容所跡という“実物”があるため)。
本館全体の感想ですが、それはこの博物館の外、つまり現代ワルシャワの街並みと合わせて考えなければなりません。先ほどゲットーに触れましたが、今実際にそれがあった場所に行って何かがあるかといえば何もありません。戦後の社会主義時代は基本的にユダヤ人にまつわる公的発言はタブーとされ、建て直された首都に移り住んだ人々は体制転換までそこにゲットーがあったことすら知らなかったというのが実情のようです。もちろん西ドイツのブラント首相がその前に跪いたことで有名な「ワルシャワゲットーの英雄碑」は1948年からありましたが、むしろそれしかない。博物館から歩いて数分の場所にはUmschiagplatzがありますが、そこには「この場所より約30万人のユダヤ人がナチスのガス室に送られた」とあり、ゲットー内で亡くなった人々の記述はありません。そこからまた数分歩けば大量の十字架が乗せられた荷車の碑、これは東方(ソ連)に送還されたポーランド人を偲ぶものです。さらには現在、戦時中にユダヤ人を救ったポーランド人を顕彰する碑をこの地域に建てる計画が進行中です(記事)。要するにポーランドの20世紀史とは「どの国籍」「どの宗教」「どの言語」の視点で語るかによって様相を変え、しかもその多くが戦後約半世紀もの間、語ること自体禁じられていた、混沌としてグロテスクなものです。この時代の芸術は一般的にグロテスクな作品が多いのですが、はっきり言ってしまえば現実のそれとは比べ物になりません。むしろ現実に対するカタルシスとして機能している気さえします。
それはさておき、これが博物館の外で起こっている現状だとすれば、本館内部はポーランド‐ユダヤ関係のあらゆる面に何とかして焦点を当てようとしている印象があります。古今の反ユダヤ主義に両者の政治・経済・文化的協力関係、各時代の生活風習…。情報過剰ともいえる展示は、本館ができる前に社会が目を向けてこなかったものがあまりに多すぎることへの裏返しです。それでもすべてを網羅できているわけではなく、一般的に現代ポーランド社会のユダヤに対する関心は(確実に広がりつつも)まだまだ低いと言わざるを得ないでしょう。その点からしても、この博物館はどこまでも「現在進行形」であることを宿命づけられていると思います。
最後に現代クレズマー音楽から一曲。
(N.N.)
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